日本料理の食卓作法Ⅰ―A「日本料理の成り立ち」
2006年1月28日 (土)
<A.日本料理の成り立ち>
日本は、周りを海に囲まれ、はっきりとした四季のある気候がさまざまな食べ物を提供してくれる、とても恵まれた国です。
また、旧くから大陸の影響もあり、日本古来のものと交じり合って、独特の食文化を作り上げてきました。
現在の研究では、縄文期には稲作が始まって、日本人にとって大切な「米」が食生活に登場したようです。
おそらく当時は、「炊く」よりも「蒸す」「煮る」という方法で食べられていたのでしょう。
さて、今日はそのあたりからお題をひとつ―。
※※※「おかず」のはじまりと、稲の神様※※※
いまよりずーっと昔々、お米を蒸して食べていたころのお話です。
蒸しあがったご飯は、大勢で車座に座った真ん中に置かれました。
足つきの「高台」に、円筒形に高く盛りつけられていたそうです。
そしてその周りには、山海のものを調理したいろいろな皿を並べ、副食としてめいめいが好きなものを取ってご飯と一緒に食べたとか―。
ご飯の周りをめぐるように置かれたため「おめぐり」と呼ばれたそれらの副食は、また種類が多く、たくさんの数が並んだため、「かずかずのもの」という言い方から、いつしか「おかず」と呼ばれるようになりました。
日本人が主食と副食を分けるようになったのは、だいたい弥生から奈良時代にかけて、と言われています。
現代まで続く、「ごはん」を「おかず」で食べるということは、実はこんなに昔から始まっていたのでした。
さて、農耕民族である日本人は、命をつなぐ大切な米ができる「稲」に、神様が宿っていると考えました。
古い「大和言葉」には、現代まで残っている、この神様にちなんだ言葉がいくつかあります。
●稲の神様のこと
大和言葉では「サ」と呼ばれました
●神様の垣根
「サ」の「カキ」で、榊(さかき)の木のことです
●神様の座(くら)
「サ」の「クラ」で、桜の木のことです
厳しい冬が去って春が来ると、桜の木には美しい花が咲きます。
春になって山から降りていらっしゃる神様の座にふさわしい、そう昔の人たちは考えたのでしょうね。
(神様が降りてらっしゃったから花が咲く、ということでもあるのかな…)
ところで、神様は人間ではありませんから、同じ食べ物は食べない、と考えられました。
となると、「サ」の食べ物「ケ」の出番です。
そうです、「さけ(酒)」とは、もともとは「神様の食べ物」という意味なのです。
神社に御神酒があるのは、神様の食べ物だからなのですね。
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