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コレクションは黙って語る:映画「イヴ・サンローラン」(2014)

当時、自分が恥ずかしくなって映画館を出た

ライトが当たり、美しいモデルが新作を着て颯爽とランウェイを行く時、我々はどれだけの理解をもってそのファッションを眺めているだろうか。

世界的なファッションショーに行ったこともなければ、ショーウィンドウを眺めることすらおこがましい気がしてうつむき気味に表参道をやり過ごす私には、この作品によって自らのファッションに対する無知と気まずさを追体験させられた気がした。

しかし、本作はただ「きらびやかなファッションの世界」を描いたブランド自慢ではない。モード界に変革をもたらしたデザイナー、イヴ・サン=ローランの苦悩とその人生という、また別の理解されづらかった世界を描いた作品だ。

帝王にかかる重圧

イヴ・サン=ローランは、その才能によって若い頃から名声を手にした。
しかし、彼のパートナーであるピエール・ベルジェが語るように、その名声は彼を苦しめ、「苦悩から解放されるのは1年間で春と秋(のコレクションで拍手を浴びる)2日間だけ、その次の日からまた苦悩は始まった」と言わしめた。
その苦痛が彼にもたらしたのはドラッグやアルコール漬けの日々であり、静かで陰鬱な昼から、派手で騒がしい夜へと場面を次々と展開させる。

自身を支え続けるピエールに当たり散らし、浮気をすることもあったイヴの憔悴に、我々は彼の弱さと繊細さ、そして受け続けた期待の重さを見る。

イヴ・サン=ローランについては、没後2年経った2010年にフランスでドキュメンタリー映画が製作されている。ピエールがインタビューに答える形式で映画は進み、イヴとピエールで蒐集した美術品をオークションにかけるシーンは、この映画「イヴ・サンローラン」の冒頭でも描かれている。

ファッションという世界に生き、美しいものを愛で、頽廃的に生きた彼のすべてを解ろうとするには、イヴの台詞はあまりにも少ない。その姿はまさに、物言わぬモデルがランウェイを行くコレクションのようである。
我々は、それに対してうつむいてやり過ごすのか、せめてショーウィンドウの外からじっと眺めるのか。

少なくとも、猫背でいるのはかっこわるいと彼のコレクションは教えてくれるようである。

2014年9月執筆


再掲に寄せて

この映画を観て以降、私はファッションブランド「イヴ・サンローラン」を気にするようになった。イヴが存命のうちに手がけたデザインも、エレガントすぎるのではなく「愛してくれ」と投げかけているように見えるようになったからだ。
彼がデザイナーを引退した後のものだが、一応YSLでスーツを揃えた。ついでにDiorのジャケットも買った(中古だが)。
その当時は出版社や商社にいたので、モード系の服は男社会で自分を支えてくれたように思う。少なくとも一時期、猫背は治った。

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