真新しくないけれど、いまだに体得もできていない(3年後「も」必要なスキル)
RayArc(レイアーク)の皆さま、おつかれさまです。新規事業ユニットです!
今回は、久しぶりの変化球です。日経COMEMO編集部さまのお題に挑戦します。お題は『#3年後に必要なスキル』です。
3年後「も」必要なスキルの話
今回のテーマはリスキリングです。以前この記事ても少し触れました。
ほほう…、リスキリング…でも「3年後」とな? 素通りしそうになったテーマの「3年後」が引っかかります。
「想像してごらん」
VUCAの時代(3年後にはこの言葉じゃないかも)、変化に対応することを考えたら「3年後」に必要…って? 言葉の表層だけ読むと、逆にスローペース過ぎる気がしたのです。直感的に「なんか悠長だな」と感じてしまい…。
意見募集から感じる総合的なメッセージは、たぶんそうではない。むしろ「現時点でHotなDXうんぬんは目先過ぎる。すでに新しくない。だから3年後を想像してごらん」くらいの、先を見通そうという温度感のはず。
直近に目を向けてリスキリングを語ると、どうしても今というより、過去に近い視点になってしまう。それよりは未来の話をしたい。そこで出てきたのが「3年後」なのかな? と。そう、とらえなおしました。
今というより過去に近い話題
現時点でHotなDXうんぬん、とは、たとえばこんな動きでしょうか。
ノーコードツールAdalo触ってみましたが…。エンジニアが背景知識を持ち有効活用するにはかなりよいけど、知識ゼロでノーコードから入る、という発想で触れた場合、その後どんな感じになるのでしょうね…。
将来的にノーコードツールがどう育つかは、もちろん未知数です。まだまだ進化するのかも。ただ、今のところはノーコードどまりだと限界ありそうな気はします。
さもありなん。ノーコードを「きっかけ」にする発想ならありかな?
それよりも未来の話をしたい
問いの答えとして、出題者が期待するものかわかりませんが。3年後に確実に必要とされるものがあるとすれば、それは「普遍的でありながら、手に入れることが難しい」ものだと考えます。たとえば「対話する」スキル。
「Imagine」が示す通り、そのために必要になるのは「想像力」です。今の社会…というよりも、世界に必要とされるもの。真新しくないけれど、いまだに体得もできていない。その意味で求めるに古びていないスキルです。
想像力と対話をうながす「場をつくる」
想像力と対話。ここでの想像力とは、いわば自明性のワナ(=自分にとってのあたりまえ)を、軽やかに、あるいは痛みを伴ってでも踏み越える力です。
3年後に確実に必要なのは、その時代の細かい瞬間(シンギュラリティなAIとか、今より身近な宇宙だとか)にただ追従するのではなく、隣の人とフラットに対話して立ち向かう基本的なスキルかなと。
そのスキルはもともとないのか? それとも?
そもそも、デジタル人材が不足…という課題も。因果関係の最後に出てきた現象に過ぎないとも思います。開発現場におけるトラブルと同じで、因果をたどると、多くの課題は起こるべくして起きています。
今がデジタル人材が必要とされる時代だとして。にもかかわらず、デジタル人材が現れにくい現実があるなら、それはなぜでしょうか? 「もともといない」のではなく「いないようにしてしまってきた」…ことはないのか?
なにかが必要と分かったとき。即戦力を求められるのは、その時点の「現役世代」です。でも、その人が重点的に「学び」を得て育つのは、それよりも「前」であることが多い。現代の日本の仕組みの中では、まだ。
重点的に「学び」を得ていたころ、つまり子ども・学生だったころ、世の中は今とは違う形で。描いた未来も、どこかが今の姿ではないはず。今では廃れた媒体や産業で活躍する夢を、卒業文集に書いた子もいるかも。
デジタル人材をあらかじめ育てることは、ある意味不可能だったのです。少なくとも、教育を『正解を教える場』ととらえる限りは。同様に3年後に必要なスキルをなにか唯一解があるものととらえたら、準備はできません。
場づくりは3年後も必要、そして今も
ここでもう一度、先ほどの問いを繰り返します。「もともといない」のではなく「いないようにしてしまってきた」…ことはないのか?
今デジタル人材がいないなら、それは3年前に(それがどういうものかわかりようもない)デジタル人材を育て始めなかったからではない。時代の変化に対応できるひとを育てなかったという方が、実情に近いと思います。
さらに踏み込んで私見を述べるなら。それはおそらく「もともとないものを、育てなかった」というより「あったかもしれない、可能性の芽をむしり続けた」からかもしれません。
「正解を当てる」ことをあまりに学びすぎた結果、変化がまさに眼前にあっても「私はどうすればよいですか?」(=正解を教えて)と、答えを知る誰かに問いかけるようになる。でも、そんな誰かは、どこにもいません。
正解のない問題に対し隣の人とフラットに対話して立ち向かうこと。子どものころ、そのスキルのたねをほとんどの人が持っているように感じます。それは、オトナになって学びほぐすと、多くは芽吹くからです。
いちどむしられた芽の多くは、学びほぐさない限り芽吹かない。可能性を芽吹かせるには、想像力と対話をうながす「場をつくる」こと、すなわちファシリテーションスキルが必要になると思います。3年後も、今もです。
アンチパターンを乗り越えろ
ファシリテーションスキルは、理論と実践の両輪で、じわじわと高まるものです。私自身も、日々「理論の学び」と「実践からの省察(リフレクション)」を意識的に重ねています。
型どおりでもダメですが、型無しはもっとダメ。守・破・離ですね。
そこで、型を守るために最初に読むのにオススメで、ヘビーすぎない親書をいくつかピックアップしてみました。
強い目的意識がないままワークショップをやろうとすると、つい本質より技巧に走ってしまいがちです。それよりも、まずワークショップってそもそもどういうものかを学んでみるとよいのではと思います。
技法の本もおおいに活用してよいのですが、技法が先に立つとワークショップっぽくやることが目的化してしまいます。よくファシリテーションの先達さまから聞く、導入アンチパターンは、
みたいに、技法のみに意識が向いてしまうケースですね。それこそ企業などで取り組む場合、担当者に問題意識があってやるというよりも「方針だからやる」が入り口になりがちなので、技法の暴走にはとくに注意が必要です。
ただし、型から入り、まず体験することにも一定の価値はあります。あえて技法からやってみるのも、背後にねらいがあれば一概に悪くはありません。ようは、技法から入るにしても本質をとらえて進めることです。
一日も早くその場所に(まとめ)
必要なのは「普遍的でありながら、手に入れることが難しい」スキル。
想像力と対話をうながす「場をつくる」
それは、真新しくないけれど、いまだに体得もできていない
「all the people living life in peace」であってほしい
3年後と言わず、一日も早くその場所にたどり着けますように。
追伸
アイスブレイクの本質については…どうもRayArcでややホットな話題になっている気配があり、よい機会ですので、別に記事にしたいです。もちろん、使い方を間違えなければアイスブレイクは大切な要素です。
(新規事業ユニット・ワクワク魔人S)