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働くことの意義を実感し、いきいきと輝くための一手『石門心学』に学ぶ忠の教育観(後編)~「都鄙問答」に学ぶ働くことの意義とは?~ー『日本人のこころ』44ー

こんばんは。高杉です。

日本人に「和の心」を取り戻すという主題のもと
小学校教諭をさせていただきながら、
『和だちプロジェクト』の代表として活動しています。


我が国の衆議院議員選挙が終わったと思えば、

アメリカの大統領選挙も終わりを迎えました。




トランプ氏の二度目の当選が確定し、
さらに
大統領と上院、下院において共和党が多数を占めることが暫定となり、
トリプルレッドとも言われる情勢になっています。

我が国においては、
かつて安倍晋三首相によって
トランプ大統領とは緊密に連携を強固にして
外交を有利に進め、「自由で開かれたインド・太平洋構想」が実現し、
我が国の安全保障環境を整えてきました。

本日、首班指名によって
自民党の石破総理に決まりましたが、
果たしてトランプ大統領とどのように連携を強固にしていくのでしょうか。

我が国の領土・領海・領空を守るために、
そして国民の命や財産を守るために、
他国の情勢は気になる処ではありますが、
まずはわが国における先人たちの叡智に学び、
自立した国家として我が国を立て直すために
今日も学んでいきたいと思います。

今回も、
よろしくお願いいたします。




前回までは、
我が国の先人たちが大切に受け継いでこられた
「和の伝統的経営」について考えてきました。

前回の記事でお話をさせていただいた
松下電器産業創業者で、
経営の神様と尊崇されている松下幸之助さん
座右の書としたといわれている名著でがありました。

この名著の思想を抜きにして
日本経済や日本企業の基礎力を理解することはできないでしょう。

次は、
300年前に刊行され、
いまもなお多くの名経営者に読み継がれている
『都鄙問答』について考えていきましょう。




1)『都鄙問答』とは?



『都鄙問答』は、
江戸中期に活躍した「石門心学の創始者」である石田梅岩さんが、
門弟たちや士農工商の枠を超えて多くの人たちと交わした質疑応答を一冊にまとめた修養書です。

梅岩は号で、
名前は興長で、

『都鄙問答』の巻末に記された勘平は通称です。

石田梅岩(勘平)さんは、
丹波国(京都府亀岡市)の山間部で農民の子として生まれました。

石田家は「中農」で、
地元では旧家として知られていたと言われています。

厳格だった父親は権右衛門で
母の名前はたねで
三人兄弟(1男1女)の次男でした。

11歳の時に京都の呉服商へ奉公に出されました。
ところが、
その商家が傾いてしまい、15歳の時に農業を手伝うことになります。

しかし、
23歳の時に再び上京し、大きな呉服商に奉公します。

「滅私奉公」という言葉がありますが、
身を粉にして働きました。

生真面目で勤勉、律儀で正直、倹約を心がけ、
目下の者や弱者にやさしく接する姿勢は、
たちまち主人一家だけではなく、
取引先の人たちからも好感を持たれたそうです。

住み込みで呉服商の仕事をしながら、
朝は誰よりも早く起きて本を読み、
夜は皆が寝静まってから本を読んで自分磨きを続けました。

その一方で、
寝る場所は、番頭になってからも冬は暖かい場所を人に譲り、
夏は若い丁稚たちが掛け布団を跳ねのけていると、そっとかけてるなど
人が見ていないところでも善行を積んでいたそうです。




石田梅岩さんが、

「なぜ学問をするのか?」と問われて、


「学問をすることでいにしえの聖賢(聖人や賢人)の行いを知り、
 人の手本になりたい。」


と答えています。

石田梅岩さんは、35歳の頃に

「本性とは何か。それを知りたい。」

と仕事の合間を縫って、
京都市内に居住する儒学者の講義を聴いて回るようになります。

その中で小栗了雲という黄檗(おうばく)宗の僧に出会います。

黄檗宗は江戸時代に始まった禅宗で、
了雲の指導の下、自分を磨き続け、ついに高みに到達するのです。

1729(享保14)年、
45斎の時に呉服商をやめて私塾を開講します。

「月謝は無料、紹介者は不要、誰でも歓迎。」

とした案内書きを門前に掲げた公開講座で、
梅岩以後もこの方式が継承されました。

講義用の教材に使われたのは、
『四書(大学・中庸・論語・孟子)』『孝経』
『小学』『近思録』『性理字義』などの儒学が中心で、
吉田兼好の『徒然草』などの国学も使われました。

そして、
私塾を開講して10年後の1739(元文4)年7月。
石田梅岩さんが55歳の頃に『都鄙問答』が刊行されました。



石田梅岩さんの思想を『石門心学』と呼ぶのですが、
これは、シナの「心学」と区別するためです。

南宋(1127~1279年)の
陸象山と明の王陽明の思想を「心学」と呼んだことから、
それと区別するために「石田梅岩一門の心学」という意味で
『石門心学』というようになりました。

「心学」とは、
書いて時の如く「心の学問」のことです。

自分の本心を見つめ、人間性を磨く修養学なのです。


『石門心学』の特徴は、
①儒教・仏教・神道を融合するというこれまでにない大胆で斬新な発想をしたこと。
②「道話」(身近なたとえ話)で分かりやすく説明し、幅広い層に受け入れられたこと。
③商人の儲け
利益)は武士の俸禄と同じと主張し、商人の地位を高めたこと。


の3点が大きくあります。

当時、
商人は士農工商の一番下に位置付けられていました。

その理由は、
賤商(せんしょう)思想があったからです。

武士は別として、
同じ庶民でありながら、
農民は汗水を流して米をはじめとする五穀や野菜などの食料を生産し、
工人は家具や食器などの生活必需品を汗水流しながら生産するのに対し、
商人は農民や工人が作ったものを右から左へ流すだけで利益を得ていると
みなされていたからです。

石田梅岩さんは、
商人に対する偏見は不当だときっぱり否定し、
その代わりに、商人はごまかしたりせず、
誰からも後ろ指を指されない『商人道』に則って正々堂々と商売し、
世の中のため、人のために尽くさなければならないと説きました。

石田梅岩さんが
農民の出であり、
しかも数十年に及ぶ商人体験があることから強い説得力があり、
京都を中心とした商人たちから強い支持を得ました。

そして、
現代においても
稲盛和夫さんや松下幸之助さんをはじめとする
多くの名経営者に読まれている
「商人道の原点」「日本のCSR(企業の社会的責任)」とされる
『都鄙問答』を紐解いていきましょう。



2)『都鄙問答』に学ぶ働くことの意義とは?



『都鄙問答』は、
基本的に問答によって構成されています。

西洋哲学では、
プラトンの本のような形式に極めて近いものです。

収められた問答に登場するのは、
必ずしも実在の人物ではなかったようですが、
内容的には、
石田梅岩先生と親しい門弟とが実際に議論したものを
ベースにしていると考えられています。

『都鄙問答』の内容は、実に多岐にわたっています。

その中で、
最も注目され、評価されてきたの尾は、
「商業や経済についての考えが開示されている箇所」です。

例えば、
『商人の道を問う段』という箇所があります。

次のような質問から始まります。


売買を常日頃より自らの仕事としながら、
何が商人の道にかなっているのか、まったくわかっていない。
どういうことを大切にして、売買の仕事をするのが適切なのだろうか。



つまり、
商人としてどのようなことが大切なのか?を聞いています。

「士農工商」と言われる役割分担がなされていましたが、

武士「秩序や治安を維持をし、政治を司る役割」

農業者「人間にとって欠かすことのできない食べ物をつくる役割」

工業者「生活に欠かすことのできないものづくりをする役割」

とされてきましたが、

その中でも、商人に関しては、
売買によって「自己の利益」を追求することは卑しい行為であり、
農工商のうち、
商人のみが「何も生み出さない存在」だと多くの人が思い込んでいました。

これに対して、
石田梅岩先生は商人の意義を言語化します。




商人の起源からいうと、
昔は、余っているものを足りないものと交換して、
相互に物を流通することが、目的だったのだろう。

商人は精密に計算しながら、今の世で仕事をするものなので、
一銭も軽んじることがあってはならない。

こういったことを重んじて、財産を成すことが、商人の道である。


石田梅岩先生は、
「商人として大切なこと」を説く際に、起源から話し始めました。

商業とは、
「余っているもの」を「足りないもの」と交換することから始まったのだ、

と。


つまり、

商業の本質は、
物の「交換」と「流通」にある
ということです。

これだけでも、
社会的な意義があるのだ、ということです。

続いて、
「精密に計算」することが業務上大切であり、
どんなに少ないお金でも軽視してはいけない。

これを一日たりとも忘れることなく励み、
結果として「財産を成すこと」が正しい生き方なのだ、
と説いています。


また、

基本的な商業の考え方として次のように語っています。


財産の元は天下の人々である。
彼らの心も自分の心も同じなので、
一銭すらも惜しむ気持ちがあることを推測できるだろう。


商品に心を込め、少しも粗雑にせずに売り渡せば、買う人もはじめは、
「お金が惜しい」と思うにしても、商品が良質であることから、
その惜しむ気持ちがなくなっていくはずである。

惜しむ気持ちをなくすことは、人々を善導することを意味するものだ。

天下の財貨を流通させて、すべての人々を安心させることができれば、
「四季が交代して、すべての生き物が自然に養われる」ということと同じく、理に適っている。

このようにして、
財産が山のようになったとしても、それは欲心と表現すべきではない。


まず、
商人の財産の元となるのは、世の中の人々であることを述べた後に、
その人々の心と自らの心は同じである、と説いています。

商業に携わる者は、
細かく計算し、一銭も無駄にしないようにすることが大切である。

その心がけを忘れず、商品に念を込めて、大切に販売する。

そして、
世の中に財を流通させて人々の心を満足させることが商業である。

商人は、
世の人々に共感されるような感情と行為を心がけて仕事をする。

「共感」こそが大切なのだと語っています。




『都鄙問答』には、
息子を医者にしたいという人が、梅岩先生に
「医者とはどうあるべきか」を問いかける箇所もあります。

梅岩先生は、
自分は医業に詳しくないことを断りつつ、次のように述べました。


第一に、医学に専念すべきである。
医書の内容をしっかり理解せずに、
他人の命を預かる仕事をするのは恐るべきことだ。


自分の命が惜しいということを考えて、
他人もそうであると推察する。


そうすれば、
病人を預かっている間は、一時も心が緩慢になりはしないはずだ。


たとえば、
自分に頭痛があったり腹痛があったりするときは、


少病をみて自分の病のように思い、
心を尽くして治療にあたれば、
ただの一夜も安心して寝ることはできないだろう。


頭痛や腹痛は、誰にとっても大変辛いものです。

その辛いという気持ちは、
痛みの当事者であれば説明をしなくても分かります。

しかし、
他人の辛いという気持ちは、知ろうとしない限り、
理解することはできません。

だからこそ、梅岩先生は、
医者にとって何よりも必要なものは、
「他人の病をみて自分の病のように思う」能力、

つまりは、
『共感することのできる心』であることを力説しています。

他人の痛みを、自分の経験したことのある痛みから想像し、
共感し、痛みを分かち合うこと。

それは、
誰にでもできる簡単なことではありません。

しかし、
共感する能力とは、
「何が共感されるのか?」を見極める能力にもつながるのです。

商人に必要なものも、
医者に必要なものも変わりありません。

共感する能力は、
全ての感情と行為の基盤になるべきものであり、
社会に生きる以上、どの人にとっても最も重要な力なのです。



梅岩先生は、講義においてさまざまな書物を取り上げ、
その内容を語って聴かせたと伝えられています。

儒学、仏教、神道、老荘思想、その他さまざまな古典を読み、
自らの解説を付け加えていったのです。

梅岩先生はもとは商人であったので、
内容は淡々としたものだったのかもしれませんが、
回を重ねるごとに、
集まる聴衆の数は増え、
出張講義の要望も多く寄せられるようになっていったそうです。

梅岩先生の講義に集まったのは、主に町人でした。

聴衆の多くは、
朝から晩まで仕事をしていて、夜の講義に顔を出していたと言います。

講義に集まっていた人々は、
梅岩先生に何を求めていたのでしょうか。

おそらく、町人が最も求めていたことは、


「自分が一生懸命に励んでいる仕事の意味」を理解するための知恵


だったのではないでしょうか。

毎日、
へとへとになるまで働いていることに、
いったいどのような意味があるのか。

そのことを梅岩先生のお話から学びとりたかったのです。

そして、
自分はなぜ商人として、
あるいは職人として、農民として、そして武士として生きるのか。

そのことも知りたかったに違いありません。



3)梅岩先生が大切にした「形による心」とは?




梅岩先生の講義の中で、
最も大切にしたことが、「形による心」という考え方です。

『都鄙問答』では、次のように語っています。


本来人間の心は、誰でも同じものだが、
七情に隠蔽されているので、
聖人の知が自分の心とは異なるものだと思って、

よくわからなくなり様々な疑念が起きるのである。

元来、
形ある者は、形がそのまま心であると知るべきだ。


心というものは、
聖人のものであっても、名もなき庶民のものであっても、
本来は同じものなのです。

しかし、
聖人のこころが自分自身のこころとは違うものだと思うのは、
七情(嬉・怒・哀・懼・愛・悪・欲)に
よって覆われてしまっているからなのです。

そうであるならば、
この七情による曇りを磨いて綺麗にすることが修養になるはずなのです。

その際に、
心がけるべきことこそ「形による心」なのだと梅岩先生は伝えています。


「形による心」
とは、

文字通り「形あるものは、形がそのまま心である」という考え方です。


では、
「形」とは何か?というと社会人でいうところの「仕事」であり、
「自分の置かれた状況」なのです。

つまり、


どのような状況であってもそれ自体に不満を呈することなく、
自らの最善を尽くすこと。
この生き方を継続することで、人は本来の自分に近づくことができる


ということなのです。

本当の自分というのは、
どこかにある「理想の状況」にたどり着くことで実現するものではない
というのが、梅岩先生の基本的な考え方にあります。




孟子も、
「君子は命を捨ててでも、義者であることを選ぶ」といっている。
君子は、命より義を優先するものだ。

木綿は小さな話だ。
しかし、たとえ一国を得て、大金を得るとしても、

道に違う行為であれば、どうして不義を行なうだろうか。

品物で損をしても、心を養う点で利益がある。
これに勝ることが何かあるだろうか。


もしも巨万の富や一国が手に入るのだとしても、
道に背くことであれば、決してやってはいけない。

それが『孟子』に書かれた教えであり、
自分の信条であると梅岩先生は力説しているのです。


「自分が置かれた状況」で、私欲に惑わされることなく、
義にかなう行為をすること。


これが形の実践に他ならないのです。

「自分の置かれた状況」で、常に道徳的行為を実践できる人間は、
短期的な「自己の利益」に惑わされることがないために、
安定した働きぶりを発揮する
ことができるのです。




自分は何者なのか?


本来の自分とはどのようなものなのか?


それを知るために必要なことは、瞑想などではありません。


人間は社会を必要とし、
社会においてのみ人生の真の意味を感得することができるのです。

現代社会を生きる人間は、
衣食住のみを提供されても、決して満たされません。

自分が社会から必要とされていて、社会に貢献できているということ。

この実感が、
生きていく上で、幸福感を得る上で必要となるのです。

仕事に励んでいる人は、
企業から正しく評価され、適切な場所に配置され、
そこで成果を上げることによって尊厳を得る。

企業は、
適切な役割と、適切な位置を働く人に提供し、

働く人は、
自分の置かれた状況のもとで最善を尽くし、本来の自分に近づいていく。

仕事に励むことによって到達できるのは、
全く知らない場所ではなく、
本来の自分にほかならないのです。


ここまで、
『都鄙問答』に書かれていることを基にして、
石田梅岩先生の考え方をお話してきました。

『石門心学』の精神は、
現代の日本人においても大きな影響を与え続けています。

いかに古いものであっても、
本当によく練られた思想というものは、
時代的な制約を超えて何度も生き返るものです。

現代に生かすことができる
『石門心学』の精神について、
次回、お話していきます。



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国民一人一人が良心を持ち、
それを道標に自らが正直に、勤勉に、
かつお互いに思いやりをもって励めば、文化も経済も大いに発展し、
豊かで幸福な生活を実現できる。

極東の一小国が、明治・大正を通じて、
わずか半世紀で世界五大国の一角を担うという奇跡が実現したのは
この底力の結果です。

昭和の大東亜戦争では、
数十倍の経済力をもつ列強に対して何年も戦い抜きました。

その底力を恐れた列強は、
占領下において、教育勅語修身教育を廃止させたのです。

戦前の修身教育で育った世代は、
その底力をもって戦後の経済復興を実現してくれました。

しかし、
その世代が引退し、戦後教育で育った世代が社会の中核になると、
経済もバブルから「失われた30年」という迷走を続けました。

道徳力が落ちれば、底力を失い、国力が衰え、政治も混迷します。


「国家百年の計は教育にあり」
という言葉があります。

教育とは、
家庭や学校、地域、職場など
あらゆる場であらゆる立場の国民が何らかのかたちで貢献することができる分野です。

教育を学校や文科省に丸投げするのではなく、
国民一人一人の取り組むべき責任があると考えるべきだと思います。

教育とは国家戦略。

『国民の修身』に代表されるように、
今の時代だからこそ、道徳教育の再興が日本復活の一手になる。

「戦前の教育は軍国主義だった」
などという批判がありますが、
実情を知っている人はどれほどいるのでしょうか。

江戸時代以前からの家庭や寺子屋、地域などによる教育伝統に根ざし、
明治以降の近代化努力を注いで形成してきた
我が国固有の教育伝統を見つめなおすことにより、
令和時代の我が国に
『日本人のこころ(和の精神)』を取り戻すための教育の在り方について
皆様と一緒に考えていきたいと思います。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。




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