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日本人にとって国旗「日の丸」とは何か?(中編)ー先生のための『和の国・日本国』講座⑨ー


こんにちは。りたろです。

自らの持ち味を社会に貢献する「『和』の学級経営」を軸に発信しています。


今回も引き続き、

「先生のための『和の国・日本国』講座」という主題のもと

国旗「日の丸」(日章旗)の視点から

「日の丸」がどのようにして日本国の国旗となったのか?

ということを中心に

『和の国・日本』とは何か?を考えていきたいと思います。


【今日の内容】
日本人にとって国旗「日の丸」とは何か?(中編)
~先生のための『和の国・日本国』講座⑨〜 
1)なぜ、中心に「赤丸」があるのか?
2)「白地に赤丸」の起源は『源平合戦』にあり!?
3)幕末の〇〇によって日本国旗へ…



国旗とは、「国を象徴するもの」


前回の学習では、

国旗には
悠久の歴史の中で
日本国を作り上げてきた
日本国を支えてきた
たくさんの日本人の想い
が込められている

という話をしてきました。


では、どのようにして、

「日章旗」がわが国の国旗となっていったのでしょうか?

歴史の観点から考えていきたいと思います。



1)なぜ、中心に「赤丸」があるのか?



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「日章旗」といえば、

白地に赤い丸というシンプルなデザインですよね。


真ん中にある「赤丸」

これは、「太陽」を表しています。


もともと日本は、

「神道」

もっと古くは「古神道」です。


つまり、

山があると、山には神が宿り、

海には、海の神が宿り、

あらゆるところやものに神が宿ると信じられてきました。


その中でも、

「太陽の神様」

最も尊いものとして大切にしてきました。


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どんなに寒い冬でも

パッと日が差した瞬間にふわっと暖かくなりますよね?


わたしたちは、

「太陽エネルギー」に支えられて生きることができています。


わたしたちには、「体温」が保たれることによって生きていることを感じることができます。

では、その「体温」はどのようにつくられているかというと、

食べ物を体内に取り入れることによって熱に転換しています。


例えば、

日本人の主食は、「お米」です。

その「お米」は、光合成をすることにより、

「太陽エネルギー」を「糖分」という形に変化させて

甘みのある美味しい「お米」にしていきます。


パンの原料である小麦も同じです。

野菜も同じです。


肉を食べている人も、

動物が「太陽エネルギー」を浴びた草を食べて

大きく育ち、わたしたちの食卓に届けられるのです。


わたしたちは、今でも

「太陽エネルギー」に支えられて生きることができます。


日本人は、
感覚的に世界を認識していくという特質がある。


と言われることがあります。


当時、科学的に「太陽エネルギー」の循環などということを

知識としては

分からなかったと思いますが、

太陽になにか特別なものを感じ、

「最も尊い神は太陽に宿っている」

「あらゆるものの生命力が『太陽』からきているものである」

と直感で捉えたわたしたちの先人たち。

すごいと思いませんか?!


このように、

日本人は

豊かな大自然の中で、

あらゆる天地万物のあり方を感じて

尊いものの中で、

群を抜いた特別神聖なものとして

「太陽」と言ったのです。


だから、

数あるお宮の中でも

太陽の神である天照大御神をお祀りする

「伊勢の神宮」が最も尊く中心的なお宮とされているわけです。


そして、

太陽の神様である天照大御神の子孫

「天皇」の系譜になっていくのです。

(天皇は「日の皇子」とも呼ばれますよね!)


つまり、

「天皇」を表すものは「太陽」です。


その「天皇」と国民とのつながりによって

わが国は、2680年間続いているのです。




2)「白地に赤丸」の起源は「源平合戦」にあり!?



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前章で、

「赤丸」は「太陽」を表している。

「太陽」は「天皇」を表すものである。

という話をしました。


そして、天皇がご即位されるときに掲げられる

『錦の御旗』

というものがあります。


『錦の御旗』

太陽(天照大御神)を表す

「赤地に金色の日輪」

月(月読命)を表す

赤地に銀色の月輪」(月読命)との

2種類あり、

天皇の印として平安以前に使われていました。


そして時は流れ

『源平合戦』


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昔から、戦争は

「太陽を背負っているものが勝つ」

というセオリーがあります。


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例えば、「巌流島の戦い」

太陽を背負った宮本武蔵が佐々木小次郎を討ち果たしました。


太陽を背負っている方は相手がよく見えます。


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ところが、

太陽に向かって戦おうとすると

逆光で暗くなり、相手のことがよく見えません。


そのため、

太陽を背負った者が有利となります。


「戦うときには、自分たちが陽を背負っている!」

という意味合いがあるのです。


そのため、

『源平合戦』では、

源氏も平氏も太陽をかたどった旗を持って戦うことになりました。

当時、朝廷であしらわれていたのは、

「赤地に金丸」の錦の御旗です。


しかし、どちらも同じ旗では、

見分けがつきません。


そのため、


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平氏は「赤地に金丸」

源氏は「白地に赤丸」

を使いました。


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そして、

源氏が勝利して、

勝者の象徴として受け継がれたと言われています。


(もしも、

ここで平氏が勝っていたら

今の日本国の国旗は「赤地に金の日輪」であったかもしれませんね。。。)


その後、

室町時代で行われた勘合貿易

そして、

安土・桃山から江戸時代初頭までの朱印船貿易

このとき

船に「白地に赤丸」の旗が掲げられることになります。


このように、

「白地に赤丸」の御旗は、

『天皇』を意味するものであり

『天照大御神』を意味するものであり

『天下の統一』を意味するものになっていきました。


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現在、

運動会や年末の紅白歌合戦など

赤と白の配色は「紅白」と呼ばれ、

縁起がいい色として使われていますよね。




3)幕末の〇〇によって日本国旗へ…



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そして、幕末。

『ペリー来航』

によって、

「日米和親条約」を締結することになり、

日本も船を作って、外国とやり取りをすることになります。


その時に、

日本総船印」(日本国の船であることを示すもの)として

何かが必要だ!ということになります。


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そこで、

「白地に赤丸」の御旗が採用されることになりました。


いくつか説はありますが、

有力なものとしては、


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「薩摩藩 島津斉彬公」が建議したとされています。



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当時、

中には「徳川の家紋を日本国旗に!」という声もあったそうです。

江戸幕府の力が弱まり、

朝廷の力が復活してきた幕末だからこそ

「白地に赤丸」に決まりましたが、

ペリー来航があと50年くらい前だったとしたら、

もしかしたら、

徳川の家紋が日本国旗として使われていたかもしれません。。。


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そして、

公式に「日章旗」が掲げられたのは、

安政2(1855)年

薩摩藩 島津斉彬公

軍艦 昇平丸」を江戸幕府にプレゼントするにあたって

船尾に「日章旗」を掲げました。

(国際的なルールとして、船尾に国の旗を掲げるというものがあります。)



こうして、

日本国をつくってきたたくさんの人の想い

歴史上の様々な出来事と絡み合って

現在、わたしたちが使っている「日章旗」が

わが国の国旗となったのです。


次回は、

「日章旗」に関係する話のあれこれ

についてお話ししたいと思います。




これまで、
「日本はいい国だ!」というと
軍国主義者と言われたり、
危険思想だと思われたりしていました。

しかし、

2011年3月11日

東日本大震災を契機に外国から注目されてから、潮目が変わりました。

じつは、わたしたちが住んでいる『日本国』はすごい国なんです!!

まだまだ、
歴史の闇に埋もれてしまった「真実」が
たくさんあります。


「日本を知ることは、
       『自分のルーツ』を知ること」


わたしたちの生まれた国をもっと学びませんか?

そして、子どもたちに伝えませんか?

自分の生まれた国を誇りに感じることは、
きっと自己肯定感とか自己効力感につながるはず。


一緒に、『和の国・日本』を楽しく学びましょう!


最後まで、お読みいただきありがとうございました。


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