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現存する世界最古の国家の『建国の詔』に学ぶ「和の国家観」~『建国の詔』に学ぶ「和の国家観」~ー『和の国のかたち』5―
こんばんは。高杉です。
日本人に「和の心」を取り戻すというスローガンのもと
『和だちプロジェクト』の代表として活動しています。
小学校の教員としても働かせていただいております。
あっという間に1月が終わり、
今日から2月となりました。
今日は、新潟の美味しい料理をいただきました!
改めて日本に生まれてよかったなあ…と
しみじみと感じております。
今年も
日本国のよさを体験することを通して
学んでいきたいと思います。
さて、
神武建国と和の国家観もいよいよ最終章です。
今回もお付き合いのほど
よろしくお願いいたします!
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1)日本国はどのような思いで建国されたのか?~『建国の詔』を読む~
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神武天皇の建国宣言が今も伝えられています。
『建国の詔』です。
「詔」というのは、天皇がつくる公式の命令のことを指します。
現代の政治もこの「詔」がもとで動いているのです。
法律の中身を決めるのは、天皇ではありませんが、
公布するのは天皇陛下のお仕事です。
これは、
天皇の名にもって「詔」として出されているのです。
では、
『建国の詔』の内容を見ていきましょう。
【建国の詔】
吾、東(ひむかし)を 討ちてより
ここに六年(むとせ)と なりにたり
皇(すめら)き天(あめ)の 威を頼み
凶徒(あた)うつために おもむかむ
ほとりのくには 清まらず
のこる妖(わざわ)ひ 梗(ふさ)げども
中洲(うちつくに)には 風塵(さわ)ぎなし
誠(まごこ)ろこめて おほいなる
ひらめきひろめる 皇都(みやこ)をつくる
九州の宮崎を出発し、
東に向かって誰もが安心して食べていくことができるように正しいこと(稲作)を行ってきた。
そうして早6年が経過した。
偉大な天照大御神様のお言葉を信じて、
悪い奴らも討ってきた。
まだまだ周辺には悪い奴らが残っているし、
様々な難題は目白押しになっているけれど、
九州から畿内に至る一帯にはもはや騒ぎはない。
そこで、真心を込めて大きな米蔵をつくろう。
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いま運びたる わかきくら
民のこころは 朴素(すなお)にて
穴を巣として 棲むあるも
大人(ひじり)の制(のり)を そこにたて
つねに義(ことは)り したがへば
いみじき民に 利のあるに
聖(ひじり)の造(わざ)に 妨げもなし
その米蔵には、
今、若者たちが全国から届けられたお米を運び込んでくれている。
民衆の心は素朴で素直なものだ。
まだまだ稲作を拒否して竪穴式住居に住む人たちもいるけれど、
大人としての正しい制度を打ち立てて、
常に正しい選択をして、いみじくも民衆に利益があるようにしていくのだ。
そうした聖なる道を歩むのに、
なんの障害があるだろうか。
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山や林を 拂(はら)ひては
宮や室(むろや)を 経営(をさめ)つつ
宝位(たからのくらひ) 恭(つつし)みて
元元(おほきもとひ)を もって鎮まん
上(かみ)はすなはち 乾(そら)の霊(かみ)
授けたまひし 徳の国
下(しも)にやしなふ 皇孫(すめみま)の
正きこころ 養む
山林を切り開き、荒れ地を開墾し、
米蔵をつくり、宝の位(天皇の位)にのぼり、
民衆が、そして人々が生きていくために、
もともと大切なことを行っていこう。
この国は、もともと神様から授かった「徳」の国だ。
そして自分は天照大御神様の皇孫(すめみま)である。
だから、正しい心を養っていくのだ。
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しかるのちには 六合(りくごう)を兼ね
都ひらきて 八紘を
掩(おほひ)て宇(いへ)と なしゆかむ
またよからずや それ観るは
畝傍山の東南(たつみ)かた
橿原の地は 国のなか
この地におひて 国治(しら)しまむ
そのために天と繋がり四方を助ける都(米蔵)をつくり、
四方八方を大きな屋根の下に暮らすひとつの家族としていこう。
畝傍山の東南になる橿原の地は、国の中心にある。
この地において、民衆を宝としていこう。
2)現代に大切に受け継がれているもの
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神武天皇の生きた時代は、
弥生時代の晩期ではないか?と考えられています。
弥生時代は、まさに戦乱の時代でした。
シナの後漢の正史である『後漢書』東夷伝には、
2世紀後半に「倭国大乱」が起きたと伝えています。
この時期は、
多くの地域で防衛を意図した環濠集落や高地性集落がつくられました。
また、戦いで亡くなったと推定される方々が埋葬された遺跡も見られることから、当時の日本列島は日本人同士が戦って命を落とす時代だったと考えられます。
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そのような時代の中で
「私たち日本人は皆家族ではないか。日本列島は一つの家ではないか。日本人同士が戦って「命を落とすことはよくない。奪い合えば足りなくなる。分け合えば余る。皆で助け合って思いやりのある国をつくっていこうではないか。」
そのように呼びかけたお方こそ、
神武天皇だったのです。
この考え方を
『八紘為宇』
と言います。
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どのような企業や学校にも必ず創業者がつくった時の「思い」があると思います。
創業の精神。
建学の精神。
「私はこのような目的で会社をつくるんだ!」
「私はこのような気持ちで学校をつくるのだ!」
このような意思がしっかりしていれば、そののちも語り継がれ、創業者が亡きあとも、その精神は生き続けるのです。
国家も同じです。
誰かが強い思いをもって国を創ったのです。
ある時は、戦争かもしれません。革命によって建国した国もあります。様々な形による建国はあります。
日本国においては、
神武天皇の思いでした。
弥生時代晩期。
日本人同士が命を奪い合う時代において、命を奪い合うのはやめよう。みんなで仲良くして、みんなで協力して、みんなで幸せになることができる世にするためにはどうすればよいのか。
そのような思いをもって九州を出立し、奈良に入って国を建てました。
この九州を出立した時の思いを、また新たに建国にあたって『建国の詔』としてお言葉になさったのです。
そして、
『八紘為宇』という我が国の建国の精神は、
「大御心」として歴代天皇によって継承され、
現在は、天皇陛下が体現なさっていらっしゃるのです。
3)『建国の詔』に学ぶ「和の国家観」とは?
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冒頭でお話したように、
我が国は現存する世界最古の国家です。
さらに、
世界で唯一、思いやりと助け合いのために生まれた国家なのです。
この事実を知ることで
「日本ってそんなに古い歴史があったの?!」
「日本ってそんなにあたたかい理由で建国されたの?!」
と誇らしくなるのではないでしょうか。
しかし、
我が国の義務教育ではこのような建国の歴史を教えていません。
なぜか。
それは、
「戦争で負けたから」です。
戦争で負けてしまうと、誇りが踏みにじられてしまうのです。
占領を受けている間は、
日本人は日本を愛したり、誇らしく思う内容はすべて教えてはいけませんでした。
そして、
占領が解除された後もその政策は継続されてしまっています。
「日本は極東の小さな小さな島国で、中国や朝鮮から伝わった文明で発展し、オリジナルなものはなにもありません。先の大戦では、侵略戦争を起こしてアジア諸国に迷惑をかけました。これからも反省し続けます。」
のような、嘘で塗り固められた歴史を私たちは学んでしまったのです。
歴史の授業で
「日本ってすごい!」
と感動したことがある人はいますか?
おそらく、
ごく少数のはずなのはこのような理由があるからなのです。
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この国は天皇の災害が多い。
しかし、私たちの国は、神様から授かった国だ。
だから、
いざという時に備えて、大きな米蔵をつくり、
これを『みやこ(御屋蔵)』と名付けよう。
そうすることで四方八方に住む人々が、
大きなひとつ屋根の下に暮らす家族のように、
お互いに助け合って生きていく。
そのような国をつくろうではないか。
世界の多くの国が、
征服と制圧によって建国している中にあって、
我が国は、
もともとお米を通じた災害時の助け合いを基にして建国されたのです。
思いやりと助け合いのために生まれた国家は、
歴史上、世界でただ一つ。
「日本国」だけです。
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海外の歴史教育では、
「我が国にはこんなにすばらしい歴史やん文化があります!」と学んだり、すごい発明をした偉人の話をしたり、
戦争で国のために勇敢に戦った軍人さんをヒーローとして紹介したり。
学べばまなっぶほど自分の国を誇らしく思い、
好きになるのです。
我が国ではその逆です。
だから、
みんな「歴史嫌い」「歴史オンチ」になってしまうのです。
しかし、
私たちの国は本当にそのような国なのでしょうか。
何も誇るものなどないのでしょうか。
そうではない。
と私は思います。
思いやりと助け合いのために生まれた国家。
国民の幸せのために建国された国家。
この精神は不変的なものであり、
これから先に続く世界においても通用する考え方だと思います。
だからこそ、
我が国は2000年以上経っても国が存続し続けているのです。
和の国・日本。
その建国の精神。
『八紘為宇』から学び、
一緒に「和の国」をかたちづくってみませんか。
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「和」とは、
周りに流されることのない主体性と信念を持ちながらも、周りの人々や自然と調和することを実践する道であり、我が国が建国されてからも2000年以上、受け継がれてきた価値観である。
日本が疲弊している。
日本人が疲弊している。
でも、日本を諦めたらいけません。
僕は諦めません。
日本人はまだまだやれる。
なぜなら、
僕たちが歩む道の後ろには先人たちが繋いでくれた
「我が国を遺したいという思い」がたしかにあったからです。
私たちが今できることは、
何よりもまず自分の国の神話、歴史、文化、そして精神性を学ぶこと。自分と先祖の歴史と生き方を学ぶことだと思うのです。
令和時代に、
「和の精神」を発揮して日本国を再び
よろこびあふれる感動する国へと取り戻す。
そのために、
皆様とともに学んで参りたいと存じます。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
今後とも、
『和だちプロジェクト』をよろしくお願いいたします。