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日本国が「目指したもの」7~『食の安全保障』について考える~(中編)ー日本人のための『和の国・日本国』講座75ー

こんばんは。高杉です。

日本人に「和の心」を取り戻すというスローガンのもと
『和だちプロジェクト』の代表として活動しています。


さて、

前回から


『食の安全保障』について考える


のテーマでお話をさせていただいています。

前編の続きからお話をさせていただきますので、
ぜひ、前編をご覧になってから、見てくださいね!



今回は、
わが国はどのような暮らしをしていたのか
わが国がおかれている状況についてお話をしていきたいと思います。

よろしくお願いいたします。








1)我が国はどのように暮らしていたのか?





アメリカの歴史家スーザン・B・ハンレーさんは、
『江戸時代の遺産―庶民の生活文化』(中公叢書)の中で

「1850年の時点で住む場所を選ばなくてはならないなら、
 私が裕福であるならイギリスに、
 労働者階級であれば日本に住みたいと思う。」


と語っています。
1850年と言えば…




黒船来航の3年前。

わが国はまだいわゆる鎖国状態にあり、物質的には貧しい国でした。

しかし、歴史家が同時代の世界の国々と比べると、
「労働者階級であれば、日本に住みたい」というのです。


では、どのような暮らしだったのでしょうか?





明治初年の庶民の暮らしぶりを、
アメリカの女性旅行家イライザ・シッドモアさんが
ある漁村の光景から次のように語っています。


日の輝く春の朝、大人は男も女も、
子供らまで加わって海藻を採集し、砂浜に広げて干す。
(中略)
漁師のむすめたちが脛(すね)を丸出しにして浜辺を歩き回る。
藍色の木綿の布切れをあねさんかぶりにし、背中に籠をしよっている。
(中略)
婦人たちは海藻の山を選別したり、ぬれねずみになったご亭主に時々、ご馳走を差し入れる。
あたたかいお茶とご飯。
そしておかずは細かにむしった魚である。こうした光景がすべてが陽気で美しい。
だれもかれも心浮き浮きと嬉しそうだ。
(渡辺京二 『逝きし世の面影 平凡社』)




幕末に赴任し、我が国に不平等条約を締結させた、
かの米国の初代駐日公使のタウンゼント・ハリスも、
同様に当時の庶民の幸福な暮らしぶりを見て
次のように日記に記しています。


私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、
果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、
疑わしくなる。



幕末から明治初年にかけての日本人は、
江戸時代に成熟段階に達した日本文明の中に住んでいました。



2)自然との和を大切にする環境都市のかたち





わが国は、欧米とは異なり、
急峻な山と海に挟まれた狭い平地に年をつくらなければならないので、
治水が不可欠でした。

江戸もかつては、
利根川が江戸湾内に流れ込んでおり、
頻繁に洪水に見舞われる土地でした。

徳川の世になってから、
利根川を銚子の方に流す掛け替え工事を60年もかけて行い、
ようやく洪水を防ぎつつ、新田開発と都市化が可能になったのです。

同様に、
北上川、最上川、信濃川、多摩川、富士川、大井川、天竜川、木曽川、淀川などなど全国的に有名な河川は
どこも何らかの治水工事が行われてきています。

このように我が国においては、
都市と言っても、
常に水の神様をおそれ敬いつつ、
なんとか自然と折り合いをつけて築いてきたのです。

しかも、
外敵からの侵略もなかったので、
西洋の都市のように城壁で囲う必要もなく、
都市から周辺の農村まで明確な区切りもなく広がっていました。

だからこそ、
西洋文明のように、
都市化がそのまま自然との断絶をもたらすという現象は
起こりませんでした。

江戸時代前期は、
新田開発、かんがい整備、農法の発展などにより
お米の生産量は2倍に増えています。

さらに、
糞尿や煮炊きの肺など、都市の廃棄物を集めて、
農村の肥料としてリサイクルシステムを作り上げました。

これによって、
ヨーロッパの都市では、
糞尿を人が歩く通りに垂れ流しにしていたのとは比較にならないほど、
衛生的な生活を送っていたのです。

都市の中でも、
武家や商人のちょっとした屋敷では、
小さな庭をつくり、そこで草花を植えていました。

そういう余裕のない庶民も、春ともなればお花見に繰り出していました。

このように我が国の文明においては、
都市化も進めつつも、
自然と相和し、自然を愛でる生活を実現していたのです。



3)日本社会が忘れたもの~人と人との和~





こうして、成熟してきた日本文明を
我が国は、明治時代に脱ぎ捨てなければなりませんでした。

アジアの植民地化をねらって猛烈に迫る西洋諸国から独立を守るためには、
「文明開化」という名のもとに、
急いで近代物質文明を取り入れて、富国強兵をするしかありませんでした。

そのおかげで、我が国は、独立を守り抜くことはできました。
しかし、本当に豊かになったのでしょうか。





物質的には現代日本の方が幕末よりもはるかに豊かな暮らしをしています。

海岸での光景でのごちそうとは
「あたたかいお茶とご飯。そしておかずは細かにむしった魚」なのです。

現代のコンビニ弁当の方がよほど豪華です。
しかし、
現代日本は、幕末よりもはるかに失ってしまったものが2つあります。

まず一つが、「共同体の和」です。

「共同体の和」とは、家族や地域に包まれた暮らしです。


楽しそうに転げまわる幼児。

海藻を籠にしょって運ぶ娘たち。

ご馳走を差し入れるおかみさんたち。

ぬれねずみになって働く男たち。

幼児からお年寄りまで家族と地域に包まれ、
その中で支え合って暮らしていく。

そのような人々の和が、幕末までの日本文明にはありました。

現代の若者が明日の収入にも不安を抱き、
結婚もできずに寂しくワンルームマンションに住み、
一人でコンビニ弁当を食べ、
職場では仲間との付き合いも希薄で、
短期目標のストレスばかり受けている。

そういう暮らしには共同体がありません。

家庭を持っていても、職場は遠く離れ、
家族は互いにどんな職場で働いているのかも知りません。

一日の大部分を通勤と職場で過ごすため、
住んでいる地域の人々とも疎遠になっていきます。

進化人類学は、
人間は群れの中で暮らしてきた生物として
進化してきたことを示しています。

群れの中で和を維持して生きていくために、
人間は他者への思いやりを本能として発達させました。

人間が生きがいを持って幸福に暮らすには、
共同体の中で支え合って生きていくことが不可欠なのです。



4)日本社会が忘れたもの~自然との和~





もう一つが、「自然との和」です。

自然は、
時には暴風雨や洪水など自然災害となって
私たちの命を奪うかもしれません。

それでも、
家族と地域の共同体は、
自然の中で生かされ、自然に感謝し、自然をおそれ敬って生きています。

この「自然との和」も
西洋化した近代物質文明によって疎遠になってしまいました。

密閉されたマンションや会社の中で、
エアコンで一定温度が保たれ、通り雨にも気づきません。

スーパーに行けば、
季節に関わりなく、南半球から運ばれた、またはハウス栽培で作られた果物がいつでも買うことができます。

かつての日本文明でのエネルギー源は、
近くの里山からとってきた薪でしたが、
グローバル化によって中東から運ばれる石油に代わりました。

朝食も近郊でとれる旬の野菜や魚はほとんどなくなり、
外国から輸入した小麦で焼いたパンになっています。

もともと人間は、大自然の一部として進化してきた生物なので、
これだけ自然と断絶されると、精神的なストレスにさいなまれます。

それを和らげるために、インテリア植物を飾りますが、それは西洋の自然観に基づいた人が管理する自然のミニチュアなのです。

西洋の植民地化に対応するために、西洋文明を取り入れたことが、
150年以上の時間をかけて私たちを苦しめているのです。



5)世界のグローバル化のトップを走る日本社会の問題





こうして我が国は、
明治の「文明開化」以来、近代物質文明による国づくりに邁進して、
一時は世界第二位の経済大国を築き上げました。

しかし、
近代物質文明が進むほど、
新たに得られる経済的なメリットは次第に小さくなり、
共同体の崩壊や自然との断絶という課題が大きくなっています。

すでに、
我が国はグローバル化と都市化という面では、
世界の最先進国になっています。




例えば、
「都市化」に対して、
『主要都市人口が全人口に占める割合』を見ると、


東京圏が28.8%に対し、
パリは18.2%
ロンドンは13.4%
ニューヨークは7.4%
ベルリンは4.3%となっています。


日本に比べれば相当程度の人口がまだ地方の中小都市に分散し、
そのため通勤時間もはるかに短く、
それだけ家族や地域の共同体の中で過ごす時間も長くとることができます。




グローバル化の面でも我が国は独走状態です。

例えば、「エネルギー自給率」

2017年のエネルギー自給率はわずか9.6%
OECD加盟国36カ国中34位となっています。




さらに、今回のメインテーマである、
「食料自給率」は、カロリーベースで37%
年々減少の一途をたどっています。

特に、
小麦や米などの穀物の自給率でみると、我が国はわずか24%です。
食糧輸出国であるアメリカは、126%
フランスは、190%と別格にしても、
イギリス87%
イタリア82%と桜種の平均的な国と比べても格段に低いのです。



価格さえ安ければ、エネルギーでも食料でも輸入に頼ればよいという
まさにグローバル化の最先端を走っているわけです。

このため、国内の農林水産業は衰退し、高齢化が進んでいます。

製造業も低賃金国に工場を移転したために、
国内の多くの就業機会が失われました。
平成に入ってからのデフレで実質賃金も下がり続けたのは、
過度なグローバル化が主な要因となっています。




このように、
経済全体の停滞も、
都市化やグローバル化の行き過ぎが一因になっていると考えます。

「都市化」が進みすぎると、
住宅費や生活費が過重となり、通勤に時間を取られるので、
新たな文化や事業を生み出すべき若者の生活に余裕がなくなります。

「グローバル化」によって農林水産業への打撃を受け続けた地方も疲弊し、
独自の文化も生み出すことが難しくなります。




人々の「和」
人と自然との「和」
農林水産業を通じて自然からいただいた農
作物・水産物・木材が人間を生かし、
また農林水産業の営みが、田畑、山林、海洋を豊かに保つ。

そのような人間と自然が和して支え合う姿が、持続可能性を回復して、
美しい日本を次世代に受け継ぐためには欠かすことができません。

しかし、
現代日本では、行き過ぎた近代物質文明の影響を一気に受けて、
農林水産業が疲弊し、持続可能性をほとんど失ってしまっています。


では、
現代日本が抱える農林水産業が抱える問題点とは何か?
どのようにその問題を解決できるか?

について、次回より迫っていきたいと思います。



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自分や自分の家族の幸せだけを願っていた僕が、この日本国に生まれ、日本人として生きることができ、本当に幸せだな。誇りに思うことができるようになりました。


だから、あなたにも知ってほしいのです。


私たちが生まれた日本国が本当に目指していたものを。日本国が本当に素敵な国だということを。


そして、今日まで、私たちが豊かな暮らしを営むことができるこのすてきな国が続いているのは、日本国を、私たちを命がけで守ってくださった先人たちのおかげであるということを。


先人たちが大切にしてきた精神性。

僕たちの心の中に眠っている精神性。

『和の精神』を呼び覚まし、再び日本を皆がよろこびあふれる豊かな国にしたい。

自分を、自分の国を堂々と語り、誇りに思ってほしい。

子どもたちが希望を感じ、いきいきと輝くことができる国にしたい。


それが今、我が国に生きる僕たち大人の役割だと思うのです。


一緒に、日本を学びませんか?


最後まで、お読みいただきありがとうございました。





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