現存する世界最古の国家・日本国の元首「天皇」とはどのような存在か?(番外編)ー先生のための『和の国・日本国』講座㉚ー
こんばんは。りたろです。
自らの持ち味を社会に貢献する「『和』の学級経営」を軸に発信しています。
今回は、【番外編】と題して、
「先生のための『和の国・日本国』講座」という主題のもと
「天皇(すめらぎ)」に焦点を当て、
2000年の歴史の中で、
皇祖皇宗が国民とともにどのような想いで国づくりを
行ってきたのかがよくわかるお話を通して、
『和の国・日本』とは何か?を考えていきたいと思います。
【今日の内容】
現存する世界最古の国家・日本国の元首「天皇」とはどのような存在か?(番外編)~先生のための『和の国・日本国』講座㉚〜
1)『神武天皇』の「建国のお話」
2)『仁徳天皇』の「竈のお話」
3)『昭和天皇』の「終戦後のお話」
4)マッカーサーが語る「天皇と日本国民のお話」
1)『神武天皇』の「建国のお話」
日本国の建国は、
今から2680年前の
紀元前660年2月11日
初代・神武天皇が即位したことが始まりです。
神武天皇の時代は、
弥生時代後期と言われています。
弥生時代の有名な史跡である「吉野ケ里遺跡」を見れば分かるように、
弥生時代後期は日本列島のあちらこちらで
土地を奪い合い、人を殺し合い、戦争で明け暮れていました。
このように、
自分の利益や生きていくことのみに固執する豪族が多い中、
神武天皇は違いました。
ある有名な言葉が残っています。
「六合を兼ねてもって都を開き、八紘(あきのした)をおおいて宇(いえ)と為(せ)んこと、またよからずや」
(よもの国々を統合して都を開き、天下を覆って、わが家にすることははなはだよいことではないか)
「六合」とは、日本列島のこと。
「八紘」とは、8つの方位、つまり日本全国ということ。
日本列島全土が戦争で明け暮れていた時代。
元をたどれば、日本民族は皆同じ祖先にたどり着く。
つまり、親戚であること。
「奪い合えば足りなくなる。分け合えばあまる。」
日本人は、一つの家族である。
日本列島は家である。
苦しい時代だからこそ、助け合っていこう。
神武天皇は、各地方の豪族にこのように呼びかけました。
そして、それに共鳴した人が
一人、また一人と集まり
戦争をせずに国を家として建てたのが
私たちが暮らす「日本国」なのです。
外国では、戦争で勝った者が国を建てました。
アメリカも、イギリスも、中国もどこもそうです。
でも、日本国は違います。
「争いはやめよう。助け合って生きていこう。」
日本では、「国民のため」に国家ができたのです。
「国民のために」国家がある。
「国民のために」政府がある。
「国民のために」天皇がいる。
この神武天皇の
「国民」を何より大切にする御心は
『大御心(おおみこころ)』
と呼ばれ、
歴代の天皇は、この神武天皇の意思を大切に受け継いできました。
日本国は、
世界最古の「国民のために」できた民主主義国家だったのです。
2)『仁徳天皇』の「竈のお話」
みなさんは、世界最大のお墓を知っていますか?
世界では、ピラミッドが有名ですよね。
でも、実は!
なんと!日本国にあるんです!!
大阪府堺市にある『大仙陵古墳』
です!
墳丘の長さは486m。
体積140㎥。
(333mの高さの東京タワーを寝かせても上回るくらいの大きさ!)
盛り土の体積は10tトラック27万台分。
建設の工期と費用は、
多い日で2000人、延べ、680万7000人。
15年8カ月、796憶円。
これは、関西国際空港が造れちゃうくらいの大きなお金なんです!!
では、この世界最大のお墓に眠っているお方は誰か?
それが、
第16代 『仁徳天皇』
です。
この仁徳天皇も、
神武天皇の大御心を受け継ぎ、体現なさりました。
仁徳天皇が、ある日高台に登って遠くをご覧になられました。
すると人々の家からは、食事の準備のために煮炊きする煙が少しも上がっていないことに気付いたのです。
仁徳天皇は
「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから、地方はなおひどいことであろう。」
と仰せられ、3年間、税を免除されました。
税を免除したために朝廷の収入はなくなり、宮殿は大いに荒れました。
天皇は衣を新調されず、
茅葦屋根が破れ、雨漏りがして、
星の光が屋根の隙間から見えるという有様でした。
3年がたって、
仁徳天皇が同じ高台に出られて、遠くをご覧になると
今度は、人々の家々から煮炊きする煙が盛んに立つのをご覧になり、
その時、仁徳天皇がこのように言われたということです。
「高き屋に のぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」
そして、
一緒におられた皇后に
「私は豊かになった。喜ばしいことだ。」
とおっしゃったということです。
皇后はそれを聞いて
「陛下は変なことをおっしゃいますね。衣服には穴があき、屋根が破れているのに、どうして豊かになったといえるのですか」
と仰せになりました。すると、
「国とは民が根本である。その民が豊かでいるのだから、私も豊かということだ。」
と言われ、
天皇は引き続き、さらに3年間、税をとることをお許しにならず、
6年が経過して、やっと税を課して、宮殿の修理をお許しになりました。
すると人々は命令もされていないのに、
進んで宮殿の修理をはじめ、
またたくまに立派な宮殿ができあがったといいます。
このようなことから
仁徳天皇は、『聖帝(ひじりみかど)』と呼ばれています。
この話は神話であり、作り話であるという説もあります。
しかし、
こうした神話こそが、その国の国柄を示しているとも言えるのです。
3)『昭和天皇』の「終戦後のお話」
こうした天皇と国民の関係性は、
何も仁徳天皇に限ったことではありません。
敗戦直後の昭和20(1945)年9月27日。
第124代『昭和天皇』
はマッカーサーと会見をしました。
そして、その会見で昭和天皇はこのようにマッカーサーに話したのです。
「今回の戦争の責任はすべて自分にあるのであるから、東郷や重光らを罰せず、私を罰してほしい。ただし、このままでは罪のない国民に多数の餓死者が出る恐れがあるから、ぜひ、食糧援助をお願いしたい。ここに皇室財産の有価証券類をまとめて持参したので、その費用の一部に充ててほしい。」
と。
それまで、
天皇陛下が、多くの国王のように、命乞いに来たのだろう。
と考えていたマッカーサーは、この言葉を聞いて、
感動して立ち上がり、陛下の前に進み、
抱きつかんばかりにして陛下の手を握り、
「わたしは初めて神のごとき帝王を見た」
と述べて、
陛下のお帰りの際は、
マッカーサー自らが出口まで見送りの礼を取ったのです。
4)マッカーサーが語る「天皇と日本国民のお話」
そして、敗戦後、
天皇と国民との関係に気づき、
「天皇」と「皇室」を残したのも
マッカーサーその人でした。
連合国軍の統治下の中で、
世界最古の歴史を持ち、
強固な天皇と国民の絆を持ち、
強靭な精神性を持つ日本国を
完膚なきまでに叩き潰したい
アメリカやフランス、ロシア、支那は
「天皇」を処刑し、「皇室」を廃し、
日本国を解体することを考えていました。
そのようなことが話し合われていた中、
昭和21(1946)年1月25日。
マッカーサー元帥の電報がアメリカ本土にある
陸軍省に届きます。
「天皇を告発すれば、日本国民の間に想像もつかないほどの動揺が引き起こされるだろう。その結果もたらされる事態を鎮めるのは不可能である。」
「天皇を葬れば、日本国家は分解する。連合国が天皇を裁判にかければ、日本国民の憎悪と憤激は、間違いなく未来永劫続くだろう。復讐のための服種は天皇を裁判にかけることで誘発され、もしそのような事態になれば、その悪循環は何世紀にもわたって途切れることなく続く恐れがある。政府の諸機関は崩壊し、文化活動は停止し、混沌秩序はさらに悪化し、山岳地域や地方でゲリラ戦が発生する。」
「そのような事態が勃発した場合、最低100万人の軍隊が必要であり、軍隊は永久的に駐留し続けなければならない。さらに、行政を遂行するためには公務員を日本に送り込まなければならない。その人員だけでも数十万人にのぼることになるだろう。」
「陸軍省をこれだけ脅かした後、天皇を戦犯として裁かれるべきかどうかは、極めて高度の政策決定に属し、私が勧告することは適切ではないと思う。」
この電報を受けた陸軍省は、
すぐに国務省(バーンズ長官、アチソン次官)との会議をもち、
「天皇には手をつけないこと」を合意しました。
日本最大の危機を救ったのは、
歴代天皇に受け継がれてきた
「国民を大切にする」という『大御心』と
天皇を支え続けてきた国民の姿
天皇と国民の絆だったのです。
このように、
初代・神武天皇以来2680年に渡り、
わが国は日本型の民主主義が穏やかに定着した世界で類を見ない国家です。
日本国は先の大戦で、負けました。
しかし、
だからといって
アメリカから初めて民主主義を与えられたわけではありません。
また、
革命で日本人同士が殺しあって民主主義をつくったわけでもありません。
古代の昔から、
日本国は、
天皇陛下と民が心を一つにして暮らしてきた
穏やかな民主主義精神に富んだ国家だったのです。
私たちは日本や日本人のことを決して卑下する必要はありません。
世界一長い歴史とすばらしい伝統を持つわが国に誇りを持ち、
世界や世界の人々に貢献できるようにしてきたいですね。
これまで、
「日本はいい国だ!」というと
軍国主義者と言われたり、
危険思想だと思われたりしていました。
しかし、
2011年3月11日
東日本大震災を契機に外国から注目されてから、潮目が変わりました。
じつは、わたしたちが住んでいる『日本国』はすごい国なんです!!
まだまだ、
歴史の闇に埋もれてしまった「真実」が
たくさんあります。
「日本を知ることは、
『自分のルーツ』を知ること」
わたしたちの生まれた国をもっと学びませんか?
そして、子どもたちに伝えませんか?
自分の生まれた国を誇りに感じることは、
きっと自己肯定感とか自己効力感につながるはず。
一緒に、『和の国・日本』を楽しく学びましょう!
最後まで、お読みいただきありがとうございました。