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世界最古の文明である『縄文文明』に学ぶ「和の生命観」~『縄文文明』に学ぶ「和の生命観」とは?~ー『和の国のかたち』9ー

こんばんは。高杉です。

日本人に「和の心」を取り戻すというスローガンのもと
『和だちプロジェクト』の代表として活動しています。
小学校の教員としても働かせていただいております。


天長節を終え、
いよいよ2月も最終週を迎えました。

一応、
今シーズンの寒波は過ぎ去ったと言われておりますが、
春の訪れはまだ見えないなあと感じつつも、
卒業式に向かって日々着実に進んでおり
今年度も終わっていくのだなあと感じております。

僕は、
この春に向かう何とも言えない悲しさと
根拠はないけどなんだかワクワクする希望感が好きです。


外で大きく息を吸うと、
空気の冷たさと同時に
自然の温かみを感じるのです。

このように、自然を大切にし、
自然と共にくらしをつくり上げていくことを
先人たちは大切にしてきたと思うのです。

さて、
縄文文明と和の生命観もいよいよ最終章です。

今回も
よろしくお願いいたします。








1)『貝塚』から見える日本人にとっての「いのち」に対する考え方とは?



様々ないのちによって生かされていた縄文時代の日本人は
「いのち」に対してどのような思いを持っていたのでしょうか?

それをうかがうことができるのは
『貝塚』です。

『貝塚』は、
かつてのごみ捨て場と考えられていましたが、
現在は、
「お墓」であったのではないかという見方が定着しつつあります。

貝殻だけではなく、
人の骨、暮らしを助けた犬の骨、
そして土器の破片なども出てきています。

その中でも不思議で大変印象的なものに
土偶』があります。

『土偶』とは、
粘土を人の形にした造形物で、
沖縄を除く日本列島全域に分布
し、
これまでに15000個以上が出土しています。

しかし、
『土偶』は何のためにつくられていたのか?
はいまだ謎に包まれています。




しかし、
人類学者の竹倉史人さんの著書である『土偶を読む』によると、

ハート形の顔は縄文時代を生きた日本人たちが食べていたオニグルミの殻の形そのままであり、
それ以外のはまぐりやシバグリなど、
様々な土偶がみな縄文時代を生きた日本人が食べていた食物の形状を模したものであるということを発見したのです。

すごいことに、
特定の土偶の出土した地域の分布と、
それを模した食物の産地が一致
しており、
さらに、
気候変動によってその食物が採取できなくなると、
その土偶もつくられなくなる
という出土時期も一致しているというのです。

つまり、
はまぐりやトチノミ、イネ、ヒエなど、
日本民族がそれぞれかたどった土偶をつくって、
神様に対して感謝の祈りを捧げていた
と考えることができます。

日本列島の豊かな自然は、
大変ありがたい食物を恵んでくれる様々な精霊に満ち足りていたのです。

祭祀が終わると、
土偶は壊されます。

あの世とこの世はさかさまなので、
壊すことによって、新たないのちが生まれると考えられていたのです。




この他にも、
女性をかたどった土偶や
男性器を表現したと思われる石棒などは、
子孫繁栄を願う祭祀に用いられたと考えられています。

土偶については、
さまざまな説があり、
そもそも女性なのか、男性なのかという考え方もあります。

その中で、
有力な説とされているのが「妊婦の身代わりだった」という説です。

当時は、おそらく今以上にお腹の中で子供が亡くなってしまうことや
出産時に妊婦自身が命を落としてしまうことも多かったことが想定されます。

「子供も母体も無事で生まれてきてほしい。」

その思いは、
現代も縄文時代も変わらないでしょう。

妻が妊娠した時には、
同じようにお腹の大きい女性を土偶としてつくり、
その土偶を破壊することにより、
身代わりとして、あの世へ逝ってもらう。

そのための「身代わり」であったのではないか?
と考えられているのです。

縄文時代の日本を除く、
中世以前の世界では、人柱などという習慣もありました。

誰かを守るためには、誰かが犠牲になる。

世界の歴史の中では、そのようなことが行われていたのです。

しかし、
縄文時代の日本人は、
誰も犠牲にせず、むしろ土偶を身代わりに立てて、神様に捧げました

「人の命」を何よりも大切にしてきたのが
我が国の変わらぬ価値観なのです。



2)『分け命』という日本民族古来の考え方





大切にしてきたのは、
「人の命」だけではありません。

ケニア出身の環境保護活動家で、
2004年に環境分野で初めてノーベル平和賞を受賞した
ワンガリ・マータイさん
が来日した時に、
『もったいない』という言葉を知って感銘を受けたと語っています。

そして、
他の言語で該当するような言葉を探しましたが、
『もったいない』のように
自然や物に対する敬意や愛が込められているような言葉
見つからなかったそうです。


そのため、
そのまま『MOTTAINAI』を世界共通の言葉として広めようとされました。

『もったいない』とは、
もとは仏教用語で「物体」という「ものの本来あるべき姿」がなくなることを惜しみ、嘆く気持ちを表しているという意味です。

人でも物でも自然でもそのものがもっているポテンシャルを
最大限に引き出し、生かしたいという思いが込められています。

我が国では、
まさにこの『もったいない』という考え方
豊かな自然とともに生きる中で大切にしてきました




木も花も、
動物も魚も虫も、
そして川や山や岩さえも、
自然はすべて「生きとし生けるもの」であり、

人間も同様に神様の『分け命』である

とみなすことが、

太古からの日本人の生命観です。

日本人は、
ご先祖様が築いた緑豊かな国土に生まれ、
それが当たり前の環境の中で育てられてきました。

緑豊かな環境に生まれ育った子供は、
自ずと自然を尊ぶ姿勢を身につけていきます。

美しい自然を尊ぶ感性が
美しい自然をつくり、
それがまた次の世代において
美しい自然を尊ぶ感性を育てていきます。

つまり、
世代を超えて国土と感性が継承されていくのです。




文化人類学では、
『アニミズム(精霊信仰)』と呼ばれる生命観です。

同様の信仰は原始宗教として、
古代にはどの民族も持っていたという見方もありますが、
日本人はこの生命観を持ちながら近代化を成し遂げた大変稀有な民族
なのです。

自然界のすべてのものに平等に神様のいのちが宿っている

この生命観は、
人間の中でも男女、体格、能力など外見的にはさまざまな違いがあっても、神様の『分け命』としてはみな平等だという考えを持つのです。

豊かな自然を守ることこそ、
それがそのまま祖先への感謝と子孫への使命感をもたらすと考えたのです。


あらゆるものも神様の『分け命』である。

だからこそ、
そのものの持ち味を最大限に発揮しようとする考え方が生まれる。


みんなが各々の持ち味を発揮し、
くらしを支え、豊かにしていく。


それこそが、
先人たちが目指した「和の国のかたち」だと私は考えています。



3)『縄文文明』に学ぶ「和の生命観」とは?




このように、
縄文時代にはすぐに世界的に見ても
極めて優れた文明がこの日本列島にあったのです。

そもそも、

「石器時代」「縄文時代」「弥生時代」という時代区分は、
戦後に突如生まれたもの

なのです。

では、
それまではどのように呼ばれていたのでしょうか。

戦前は、
初代の神武天皇より以前の時代は、「神代」とされていました。

つまり、
「神様の時代」ということです。

ところが、
先の大戦で日本が敗戦すると、
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって、
神話教育が禁止されてしまいました。

その結果、
神武天皇以前の神代の教育もなくなり、
その代わりに「縄文時代」「弥生時代」といった
新たな古代の時代区分が生まれることになったのです。



もともと人類は、
自然の石ころをそのまま石器として使っていました。

この頃をヨーロッパでは、「旧石器時代」と呼びます。

「旧石器時代」においては、
人間は20~30人の小さな集団で暮らしていました。
そこから石を削ったりして、
少しずつ道具として加工していく「新石器時代」に入ります。

硬い石を加工するには分業が必要になります。
おのずと集団も大きくなっていきます。
150人の集団となれば、コミュニケーションツールとしての言語と、
それを伝えるための神話が必要になります。

そのような「新石器時代」が始まったのは、
世界では8000年前のシュメール文明から…ということになっています。

そのような定説が世界の中ではあったのですが、
冒頭でもお話したように、
相沢さんが発見した『磨製石器』は、
30000年前のものと分かってしまったのです。


つまり、
我が国では、
30000年前から「新石器時代」に突入していた
ことを表しています。




当時は、
敗戦したばかりの日本です。

日本民族としての誇りに思うことや
民族共有の価値である神話を禁止されてしまっている時代です。

ヨーロッパの世界史と食い違いが生じてはまずい

と考えた当時の多くの日本人は、
相沢氏が発見した『磨製石器』を
考古学学会で無理やり『打製石器』として扱ってしまった
のです。

さらに、
日本では「旧石器時代」と「新石器時代」をまとめて
「石器時代」と呼ぶ
ことにしました。

その後は、
縄文土器や弥生土器の出土時期に合わせて、
「縄文時代」「弥生時代」と
世界史の区分にはまったく存在しない分類の仕方をわざわざ持ってくる
ことになります。

波風を立てないように、
ヨーロッパの世界史と整合性を図る道を選んだ
のです。

そのようにして、
「縄文時代」「弥生時代」という言葉は出来上がりました。

それ以降、
学校教育ではいかにこの時代の日本が文明的に未熟であったのかを
こんこんと説いていくようになりました。




しかし、
本当に私たちの国の文明は未熟だったのでしょうか。

これまでお話してきたように、
我が国の文明は、
豊かな日本列島という土地の中で他の国よりも何年も早くに誕生し、
育まれてきました

とてつもなく古い時代から、
高度な文明や文化が栄えていた
のです。

縄文時代に実現していた理想的な社会について、
私たち日本人はもっと学ばなければなりません。

いくら日本を否定し、
日本人から歴史観を奪おうとしても、
ひとたび大災害のような大事が起これば、
実に整然とした日本人の美質が自然と発揮されてしまう。

これは、
縄文時代から育まれてきた日本人のDNAのなせる業
としか言いようがありません。


ひとりでも多くの方が

世界最古の文明である我が国の『縄文文明』に思いを馳せながら、


祖先から受け継いだ日本人らしい誇り高き生き方
に向き合い、


一緒に「和の国」をかたちづくってみませんか。


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「和」とは、
周りに流されることのない主体性と信念を持ちながらも、周りの人々や自然と調和することを実践する道であり、我が国が建国されてからも2000年以上、受け継がれてきた価値観である。

日本が疲弊している。
日本人が疲弊している。

でも、日本を諦めたらいけません。

僕は諦めません。

日本人はまだまだやれる。

なぜなら、
僕たちが歩む道の後ろには先人たちが繋いでくれた
「我が国を遺したいという思い」がたしかにあったからです。

私たちが今できることは、
何よりもまず自分の国の神話、歴史、文化、そして精神性を学ぶこと。自分と先祖の歴史と生き方を学ぶことだと思うのです。

令和時代に、
「和の精神」
を発揮して日本国を再び
よろこびあふれる感動する国へと取り戻す。


そのために、
皆様とともに学んで参りたいと存じます。


最後までお読みいただき、
ありがとうございました。


今後とも、
『和だちプロジェクト』をよろしくお願いいたします。

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