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日本国が「目指したもの」3~我が国の『家族のかたち』を考える~(前編)ー日本人のための『和の国・日本国』講座58ー

こんばんは。高杉です。

日本人に「和の心」を取り戻すというスローガンのもと
『和だちプロジェクト』の代表として活動しています。


皆さんは、ゴールデンウイークをいかがお過ごしでしょうか。

僕は、2泊3日で東北旅行に行ってきました。
仙台の牛タン、盛岡の冷麺、青森のせんべい汁、秋田のきりたんぽ。。。
さらに、
仙台城、青葉神社、中尊寺、宮沢賢治童話村、ねぷた村、
十和田湖、白神山地、なまはげ館…。

美味しい食べ物に美しい自然。
そして、先人から受け継がれた伝統文化。

改めて日本国に生まれてきてよかったなあ…と
しみじみと感じる。
そんな我が国を改めて見つめなおす有意義な旅でした。

今日からさらに気合を入れて
わが国の「和の心」を取り戻すためにはどうすればよいのか。
学びにいそしんでします。


本日からは、
いわゆる『選択的夫婦別姓制度』を切り口にして、
わが国の家族のかたちを考える。
そんなテーマでお話をしていきます。

お付き合いいただければと思います。
よろしくお願いいたします。









令和2年12月8日。
自民党の内閣第一部会と女性活躍推進特別委員会の合同会議において
「男女共同社会参画基本法案」が協議されましたが、
「選択的夫婦別姓」の了承は、見送られることとなりました。

いわゆる『選択的夫婦別姓』

最近やたらと耳にしませんか?

賛成か。反対か。

変えるか。変えないか。

「多様性」「男女平等」という名のもと、
これまでの考えは古い!といってどんどん変えようとする動きが見られていますよね。

この問題の背景には、日本の家族の在り方。

わたしたちの家族観が大きく関わっているのではないかと僕は思うのです。

そこで、

今回は、『選択的夫婦別姓』問題から、

日本の家族のかたち

家族観について考えていきたいと思います。





まずは、

そもそも『選択的夫婦別姓』をするとどうなるのかについて

考えていきましょう。




1)『選択的夫婦別姓制度』って何?





『選択的夫婦別姓』とは、そもそもどのような考え方なのでしょう。

現在の日本の民法では、
「結婚したら夫婦は夫か妻のどちらかの姓を選ぶ」事が定められていますがそれを変えてしまおうという動きがあります。

結婚によって姓が変わることにより社会生活上において不都合が生じるという理由から浮上した

夫婦が望む場合は結婚後も夫婦がそれぞれ結婚前の姓を名乗ることを認める制度

がいわゆる『選択的夫婦別姓』です。


では、『選択的夫婦別姓制度』を導入するとどのようになるのでしょうか。



2)もしも『選択的夫婦別姓制度』が実現したらどうなるの?




皆さんもよく知っているであろう
日本の国民的アニメである『サザエさん』をもとに
もしも、『選択的夫婦別姓』が実現したら家はどのようになるのかを考えてみましょう。

まず、磯野波平さんがいますね。

そして、お母さんは石田フネさん。『石田』は旧姓です。

もしも、『選択的夫婦別姓』によって、
石田フネさんが「私は旧姓がいいわ」と言ったら、
磯野波平さんと石田フネさん、
磯野と石田という名字で一つの家で暮らすことになりますよね。

表札も「磯野・石田」になりますね。

そして、二人に子供が生まれました。

一人目の子どもは、サザエさん。

赤ちゃんの名前は、
子供が生まれてから14日以内に届け出なければなりません。

ちなみに、国外で生まれたときは、3か月以内です。

そうすると、二人で子供の名前をどうするのか、
二人で話し合わなければなりませんよね。

「名前」だけならともかく、夫婦で苗字が異なる場合は、「姓」も決めなければなりません。

「磯野」がいいのか?

それとも「石田」がいいのか?

今回の場合、
石田フネさんは、『選択的夫婦別姓』でわざわざ「石田」を名乗っているわけですから、
「石田」に相当のこだわりがあるとみていいですよね。

そして、もしも波平さんも「磯野」にこだわりを持っていたとしたら、
「石田がいいわ」「いや磯野だ」となりますよね。

どうやって決めますか?

どちらかで意見が一つにまとまればいいですが、
二人で決められない場合…、どう決めるのでしょうか?

まあ、仮に一人目が「磯野」を名乗って、磯野サザエ。

二人目が石田カツオになったとしましょう。

三人目は磯野として、磯野ワカメとなるとしましょう。


そして、さらに厄介なことにややこしいことに
磯野サザエさんが結婚する相手はフグ田マスオさんです。

『選択的夫婦別姓』が実現された社会において、
磯野サザエさんは、「磯野」を名乗ることもできますし、
「フグ田」を名乗ることもできます。

もしも、
サザエさんが、結婚した時に
「わたし、お母さんも旧姓を名乗っているから、旧姓がいいわ」
と言った場合、
結婚後も磯野サザエとなります。

しかし、夫であるマスオさんは、フグ田マスオのままです。

そうなると、この段階で表札は「磯野・石田・フグ田」になりますね。

そして、二人の間に生まれた子は、タラオです。

そして、タラオの姓を決めるときにも
「フグ田」か「磯野」かを選ばなくてはなりません。

このようになると、「磯野さん!」と呼んだ時に、
波平さんとサザエさんとワカメさんの3人が返事をするわけですね。

「石田さん!」と呼んだ時には、
フネさんとカツオさんが返事をします。

「フグ田さん!」と呼ぶと、
マスオさんとタラオさんが返事をします。

このような事態になります。

『選択的夫婦別姓』がなければ、全員「磯野さん!」で返事をしますよね。

そうなると、
「磯野家」という一つの家族であるということが他の人から見ても容易に想像できます。

しかし、
それぞれバラバラの場合、「磯野」というのは、もはや家の名前ではなくなりますね。

識別するだけの機能しか果たしません。

「磯野姓」の人もいれば、「石田姓」の人もいれば、「フグ田姓」の人もいる。

というだけであって、一つの家族ということを想像することは難しくないですか?

「磯野家」とも言い切れませんよね?

「石田家」とも言い切れないですよね?

「フグ田家」でもないですよね?

もはや、家という概念はなくなってしまいます



3)『選択的夫婦別姓制度』の問題点とは?





今の例でも明らかになったように、
『選択的夫婦別姓』が実現した社会ではいくつか問題が起こることが分かりました。

まず、兄弟なのに「姓」が異なるということ。

物心ついて、自分の姓が「なぜ自分だけ石田なのか?」とカツオくんが疑問に思った時、
実はこういう事情なんだよと教えられて、納得できなかったらどうでしょう。

まあ、様々な事情でなどできょうだいで姓が異なることは今でもみられることですが、

問題はほかにもあります。

もしも、
子どもが生まれるまでに夫婦間で合意がとれない場合はどうでしょうか。




日本には様々な法律がありますが、
このように、家族の制度や姓や名前などの戸籍に関することなどについて書かれている法律があります。

民法の中でも、『家族法』という分野です。

『家族法』というのは、

長年の民族や地域の家の制度の在り方というのは、伝統文化に根ざしたものなので、

時代の流れによって変えてはいけないものではありませんが、頻繁に変えてよいものでもなく、

影響があまりにも計り知れないため、極めて慎重に検討しなければならない分野なのです。

例えば、『選択的夫婦別姓』を支持する人の中には、

「選択的なんだから、よその家がどう決めようが、あなたは関係ないでしょ?」

という人や、

「そもそも姓が一緒だから一体感がある。姓が別々だから一体感がなくなるって本当?姓が違ったって、仲がいい家族ってあるんじゃない?」


という人がよくいます。

ところが、日本の家族に対する考え方と、アメリカの家族に対する考え方、中国の家族に対する考え方、全然違うんです。

それによって、一人一人は意識はしていないかもしれませんが、

やはり私たちは、日本的な家族のあり方というものが普通だと思って生活しているわけです。


ちなみに、お隣の朝鮮では、家族の結束力が強すぎて、家族以外はみんな敵だという家族観をもっています。

朝鮮の歴史を見れば想像できますよね。しょっちゅう外敵に狙われていたわけですから。

それが当たり前なのです。

日本は、そこまでの強くはなく、ほどよい関係の中での家族観があります。

このような感覚は、一瞬一瞬で感じることはないかもしれませんが、
社会全体に対してかなりの影響力を持つことは間違いありません。



4)『家族法』は私たちにどのくらい影響を与えるのか?





『家族法』がどのくらいの影響力があるのか。


日本の朝鮮統治の歴史から考えてみます。

かつて、我が国は、朝鮮半島を統治しました。

当時、朝鮮には、憲法も民法も刑法もありませんでした。

では、どうしたかというと、日本のものをそのまま適用しようとしました。

ただ、この時、『家族法』だけは適用しませんでした。

なぜかというと、『家族法』というのは、日本民族独特のものであるから、朝鮮民族に当てはめることはできません。

例えば、朝鮮では、同じ姓で先祖の出身が同じ男女は結婚することはできませんでした。

ほかにも、朝鮮では、男尊女卑がものすごい強いので、妻が夫の姓を名乗ることも禁止されていました。

そのため、日本の『家族法』を適用してしまうと、問題が勃発してしまうのです。

当時の日本政府は、朝鮮の家族観に沿った『家族法』を作成しました。

そのくらい『家族法』というのは、
普遍的などんな民族にも適用できる一つのものがあるわけではなく、それぞれの地域で独特のものがあるのです。

「家族のあり方」というものは、
国の歴史の中ではぐくまれていくものであり、
それを無理やり他の価値観を押し付けると暴動が起きてしまうのです。





このように、
私たちは、普段は意識していないかもしれませんが
知らず知らずのうちに、日本という国で育っていく中で、
価値観を形成したり、家族関係を認識していったりすることは明らかなのです。


『民法』の中で、最も慎重に検討しなければならないものが『家族法』なのです。

変えてはいけないとまでは言いませんが、とにかく、変えるのであれば慎重でなければならない。

なぜなら、変えたら、どんな歪みが生じるかの予測がつかないからです。

この問題には、
民族、地域、伝統文化と一体となっている「家族のあり方」が問われているのです。




そもそも、『選択的夫婦別姓』を支持する人たちは、
「ジェンダーフリー」「男女同権」「自由」と乗せられていますが、

これを主導する勢力は、日本共産党であり、立憲民主党です。

そして、彼らは、『日本の戸籍制度』を崩壊させたいと考えているのです。

彼らの思惑は、
入り口は誰もが共感しやすい『選択的夫婦別姓』を取り上げますが、
終局的には、日本の戸籍制度そのものを破壊しようとしていると
僕は見ています。


この『日本の戸籍制度』は、世界に類を見ないほどきわめて優れています。


次回は、
世界に優れた『日本の戸籍制度』のお話
『選択的夫婦別姓制度』を歴史的な視点で考えていきたいと思います。




自分や自分の家族の幸せだけを願っていた僕が、この日本国に生まれ、日本人として生きることができ、本当に幸せだな。誇りに思うことができるようになりました。


だから、あなたにも知ってほしいのです。


私たちが生まれた日本国が本当に目指していたものを。日本国が本当に素敵な国だということを。


そして、今日まで、私たちが豊かな暮らしを営むことができるこのすてきな国が続いているのは、日本国を、私たちを命がけで守ってくださった先人たちのおかげであるということを。


先人たちが大切にしてきた精神性。

僕たちの心の中に眠っている精神性。

『和の精神』を呼び覚まし、再び日本を皆がよろこびあふれる豊かな国にしたい。

自分を、自分の国を堂々と語り、誇りに思ってほしい。

子どもたちが希望を感じ、いきいきと輝くことができる国にしたい。


それが今、我が国に生きる僕たち大人の役割だと思うのです。


一緒に、日本を学びませんか?


最後まで、お読みいただきありがとうございました。



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