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人生は「誰かに何を残したか?」

時々「人生って何だろう?」って思う時があります。

思う時と言うよりは「思ってしまう」と表現した方が正しいかもしれません。

そんな時は、何かと比較して。
過去の自分と比較して。
目に見えないものと比較して。

そんなことを繰り返して、現実に戻ってきた時に「自分の人生って何だろう?」と解決しないことをいつまでも繰り返している。

そんなことが多いです。

ただ、その時に思ったのは「人生は自分1人では絶対に解決しない」と思いました。

「自分」または「私」と言う表現も、明日誰も名前を呼んでくれなければ、自分として存在していていいのかわからなくなってしまう。

そのため、自分1人では解決しない。
誰かに自分の人生を「見てもらう」「感じてもらう」ことによって、自分の人生というものが表現される。

私はそのように思いました。

ただ、自分の人生で何をするのか?
自分の人生で何を残すのか?

その部分がポイントになってきます。

重要なのは「モノではなく、コトを残すしかない」
相手にとって、私の人生がどれだけ印象に残る出来事になったのか。

それによって、自分の人生でやってきたことがつながってくると思います。

・・・

あなたがやったこと。
あなたとやったこと。

それが、現世に残った人の記憶に残る。

いつまでも残る。

それが人生の厚さ、人生の厚みとして残る。
それが「人生なのかな」と思い始めています。


仮にモノを残しても、その行方次第では、受け取った人の人生をいろんな意味で大きく変えてしまうかもしれません。

それがプラスに働くこともあれば、マイナスに働いてしまうこともあるため、モノはいい面も悪い面もあります。

「コト」であれば、過ごした時間が宝物になってきます。「モノ」は、いつかくれた人ですら、忘れてしまうかもしれないけど、コトならいつまでも覚えていてくれるかもしれない。

それだけ印象があれば、モノよりもコトの方が人生を生きた証になってくると考えています。

今からあなたが人生を生きた証。
人生を生きた証である「コト」を残してみてください。


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