アウェイ君とドナドナ君
最近ライブハウスで関係の方々もよく使うらしい「アウェイ感」と「ドナドナする・される」という言葉を知った。
それぞれの意味はいろいろだから検索して調べてね。
代表的な意味だと「アウェイ感」とは「場違いな感じ」
「ドナドナ」とは「本人の意思に反して連れ去られる」とか言う意味らしい。
たしかに過去いくつかのライブハウスでそのアウェイ感を感じたことがあるんだけれど、初めてのお店であればある程度アウェイ感があってあたり前なのだ。
ワタシはこの言葉に引っかかるのはもっと根源的な
生まれたときから感じる「アウェイ感」なんです。
世界に対しての「アウェイ感」っていうか子供の頃からずっと感じていたこと、そして時が経つにつれてあまり自覚しなくなったけれど、いつも確かに自分のまわりに存在している、それは親しい感覚。孤独者とか単独者と言わなくてもみんな多かれ少なかれ感じているものだと思う。ライブハウスの客席でもしくはステージの上で感じる・・・もう擬人化して「アウェイ君」と私は呼んでいる
(^_^:
それでこれを読んだ人の中には「そんな思いで歌ったりしているのは、それは聴いている人間に失礼だろう、歌うことをやめるべきだ。」という意見を言う人もいるでしょう。
そして「ドナドナ」これは広い意味で使われている。「左遷される」とか「本人の意思に反して連行される」とか・・・この頃よく聞く「強制送還」という言葉もここに含まれるのかも。
それで自分で日本化して歌ってきた歌「ドナドナ」が知らないうちに俗語になって広く使われていて・・・多分これは、市場に売られている子牛の運命から連想されて定着したのだろうかとおもいます。
先日のライブから「ドナドナ」の歌詞を
男が一人石に座り泣いている
彼には帰る 家 もない
を
彼には帰る 国 もない
に変更したのです。
意図せずに入管法改悪の騒ぎのなかでこの歌を歌ってきたのは日本的な表現ではなにかの縁、もしくは超越的な誰かのみちびき、ではないかと。まあそれは言いすぎだと思いますけど(^_^:
アウェイ君もドナドナ君も自分の古くからの親友。
あ、ドナドナも擬人化しちゃいましたね。
握手のために差し出した手を、パシッとはらわれた、そんなことを何度も体験してきたワタシ。人のことはわからないし、自分が全て正しいとも思えないけれど、少なくとも自分の体験したつらいことは決して人にはしないこと。これは自分の鉄則なんですね、そしてアウェイ君もドナドナ君もそんなワタシと、今までもこれからも親しい友達でいるでしょう。