まだ間に合うだろうか
最近、人権学習に関する報告会に参加した。
"気になる子"へのアプローチの仕方。その子自身が背負わされている差別や偏見に対して、声を上げるサポートをした経緯。そして、学級へとその子の思いを広げ、差別をしない学級集団づくりを行っていくという内容のレポート発表だった。
その研修の中で、
「出会い 向き合い 語り合わねば 誰かと繋がることはできない」
という言葉が胸の芯をとらえた。
得体の知れないものは怖い。
人間は、分からないこと・理解できないことに恐怖を抱く。
でも、それは"出会っていない"からだと。
顔と顔を合わせて、直接話こむ。
相手と自分と重ね、自分に差別心は無いか問い続けながら真摯に向き合う。
自分の思いを差し出しながら、相手と語り合う。
そうやって初めて、自分の大切な思いも受け取ってもらえるし、相手も思いを渡してくれる。
「自立とは、人に自分の思いを話すことで繋がれること」
とも。
私は、自分の弱さや思いを話すことがずっとできなかった。家族にさえ。
特に、家族の仲が終わっていることは自分の中で"恥部"だと思っていたし、母や弟や父の苦しみに触れるのも怖かった。
私は、家族に"出会えていなかった"。
ただ一緒にいるだけでは家族にはなれなかった。私には何も出来なかった。それが悲しくて認めたくなくて蓋をした。
そんな私も、夫にだけは、家族のことを話すことができた。
夫は「そっか。話してくれてありがとう」と一言。 それ以上何も尋ねることは無かった。
同情の言葉も無かった。
なんだか呆気ない感じで、もっと早く話せば良かったな、なんて思った。
でも寧ろそれが『受け入れてもらえた』と感じて、凄く安心した。
初めて人に本当の自分を見せられた気がしたし、別に話してもいいことなんだって思えた。
それから、友だちにも何気ない会話で言ってみたら、「私の家もさ、」と相手も話してくれた。
抱えていた苦しみがするすると解けていくのが分かった。
いつか、母や弟、父にも私の思いを伝えたい。
そうしたらまだ間に合うだろうか?
今からでも家族として繋がれるだろうか。