本野/物書き教員
食を通じて感じたこと
自分のこと (機能不全家族、依存、仕事、恋愛、心療内科、発達障害)
コンテストやお題に応募した文章
教育、自己啓発本、ポッドキャスト、映画
ある話を書きたいと思っている。 教師について。 良さも苦しさも等身大に、そして、多くの人と関わり、全力で子どもと向き合う事で成長していく姿を。 誰かの為に、自分自身を変えていこうと必死にもがく姿を。 教師という仕事を、ポジティブに描けたらと思う。 この仕事にはネガティブなイメージが付き纏いがちだ。「#教師のバトン」で検索すれば阿鼻叫喚のツイート。 事実、働き方改革とは逆行している部分はある。 しかし、人と人が繋がり、時には子どもの生きる指標ともなり得る魅力的な仕事だと思う。
昨日は出張だった。 片道3時間。 帰る途中で日も暮れた。 薄闇の中、運転する。 …たまらなく寒い。 昨日から急激に冬の気温になった。 手先が冷え、身体全体がこわっていく。 空腹も拍車をかけて、体温を下げる。 まずいなぁ。 と思っていたところに、 『サイゼリヤ』の看板。 救われた…! 迷わず入店することにする。 冷たい風に、縮こまりながら急いで店内へ。 店内はオレンジの明かりに包まれ、暖かく感じた。 注文はQRコードになっていた。 今はどこも属人的なシステムから脱却しようとし
大学の頃から近しい友人のはずなのに、いまだにうまく話せない人が居る。 何人か居ると、とびきり楽しい。 二人で居ると、どことなく息が詰まる。 その人と上手くやれない私が悪いのかなと思っていた。 でも、よくよく考えてみれば、一緒に居ると話が弾んで、時間を忘れてしまうような友だちだって居る。 私が壊滅的に人とコミュニケーションが取れない訳ではないということ。 ああ、単に、相性が合わないのだ。 そのことに10年も気付けなかった。 じゃあ仕方ないか。 苦痛なら距離を置かないとな。 そ
昨日は朝から、 「今日は職場の人に"ありがとう"って言うぞ」 と決めていた。 それは、『最近人に感謝を伝えていないな』と思ったから。 今年度、専科になってから疎外感があった。 誰かに相談することもないし、自分の裁量だけで仕事を進める。 早く帰れるし同僚と仲良くする必要も無いから楽でいいじゃん。 そう思う反面、凄く凄く寂しくて。 誰にも必要とされていないし、誰とも繋がれていない気がした。 昨日は、 自分の授業に入ってくださる支援の先生、 ゴミを捨ててくれていた先生、 授業を
結婚式を挙げることにした。 近しい友人と家族・親族のみで、こぢんまりと行う予定。 結婚式って結構やることが多い。 招待客のリストアップ、様々な打ち合わせ、自作する物の用意、等々。 拘りの多い私に、彼が随分と合わせてくれるお陰で、今のところはスムーズに進んでいる。 私の家族も彼の家族も、式を挙げることを喜んでくれ、協力的で一安心。 ただ、最近モヤモヤしたことがある。 それは、ある友人に結婚式に来てくれないかと声掛けをしたのだが、 「友だちとの先約があるから行けない」 と言われ
未知を知りたい。 それ故、期間限定・流行りに弱い。 季節のフラペチーノ、パンケーキ、生ドーナツ、パフェ…etc. SNSで情報を集めては、食べに行くことが趣味。 『ユダヤの商法』という本の中で、 「ユダヤの商法に商品はふたつしかない。それは"女"と"口"である」 とある。 これは、儲かる商売をしたいなら、女性をターゲットにした商品か、食べ物を扱うべきという意味(意訳)だ。 まんまと策略通りに財布を開いてしまう一消費者として、 昨日は、アサイーボウルを食べに行きました。
最近、人権学習に関する報告会に参加した。 "気になる子"へのアプローチの仕方。その子自身が背負わされている差別や偏見に対して、声を上げるサポートをした経緯。そして、学級へとその子の思いを広げ、差別をしない学級集団づくりを行っていくという内容のレポート発表だった。 その研修の中で、 「出会い 向き合い 語り合わねば 誰かと繋がることはできない」 という言葉に蒙が啓かれた。 得体の知れないものは怖い。 人間は、分からないこと・理解できないことに恐怖を抱く。 でも、それは"出会っ
組織の中で信頼を得ている人は、 「知っている人」 だと思う。 物の置き場所、子どものこと、行事のこと、厚生関係…etc 何でも尋ねたら答えが返ってくる。 答えも曖昧ではなく、解像度が高い。 『〇〇さんなら何でも把握している。〇〇さんに聞けば間違いない』 そう思わせるほどに。 その人を見ていると、 「〜ってどうなってます?」 とよく尋ねている。 自分から知ろうとしている。 「〜については自分はこう思う。こうすべきだと思う」 と自分の意見を持っている。 いい意味で、あらゆる場面
金曜日、夜21時、 定食屋さんへ行った。 久しぶりのおひとりさまにワクワクする。 夜ご飯のピーク時間を過ぎたからか、 店内は、仕事終わりであろう男性たちばかり。カウンターにずらっと座って、黙々と定食を食べている。 バラエティ番組と気のいい店員さんの声だけが響く店内。 この疲労感がうっすら漂う、"食べる"ことだけに集中できる感じが好きだ。 ガッツリ食べたい気分。 今日は夜に滅多に食べない揚げ物にしよう。 唐揚げに齧り付く。 片栗粉でサクッと揚げた食感。 それでいて、ニンニ
家にある自己啓発本を売った。 今、棚の中は隙間だらけで、寂しそうに残った本が傾いている。 首を傾げながら本棚を見つめる。 『次は、どんな本が入っていくのだろう?』 と思った。 元々、自己啓発本は嫌厭しているタイプだった。 読み始めたのは社会人になってから。 生き方、メンタルコントロール法、コミュニケーション法…etc 仕事がうまくいかず病んだ時、無我夢中で読んでいた。 「死にたい」「自分なんて居なくなればいい」と思うほど、仕事ができない自分が嫌いだった。 「私は、そもそも
彼と入籍した。 婚姻届を出して、夫婦になった。 意外にも、嬉しいとか高揚感とかは無く。 夫婦になれど、二人の関係は何も変わらないな、なんて思った。 「これからもずっと愛してるよ」「幸せにするよ」 と彼に言われた時も心が動かなかった。 こんな時まで、甘言を信じきれないネガティブな自分に嫌気がさす。 「私は彼を愛し続けることができるだろうか」 「彼は本当に私を愛し続けてくれるのだろうか」 「自分の両親のように冷え切った仲になってしまうのではないか」 不安を挙げればキリがない。 で
↓の喧嘩について、 自分の思いを伝え、不機嫌になったことを謝罪し、無事仲直りすることができた。 今回は、 "『何をするか』の言い合いではなく、『なぜそうしたいか』という話し合いをする" ということを彼と約束した。 彼との喧嘩から、対人関係において大切なことを、いつも学んでいる。 人として成長できるのが、ありがたい。 そして不思議なことに、彼とは、喧嘩するほど愛情が深まる気がする。 「喧嘩してよかった」 とすら思えるほどに。 * これまでの人とは、喧嘩する度に愛情が減っ
最近、大愚和尚の説法を聴くのにハマっている。 YouTubeで多様な人の考えにアクセスしやすくなったのは、大変ありがたいことだ。 自身の学びになる。 * この回の中で、人間関係が上手くいかない人は 『人のしたこと、しなかったことは見ない。自分のしたこと、しなかったことのみ見つめる』 というブッダ様のお言葉を肝に銘じるべき、と紹介されている。 そして、「人と上手く付き合えないと思う人は、そもそも自分と上手く付き合えていないのです」 とも。 とてもとても腑に落ちた。 私は、人
今日は、彼とあんまり良くない雰囲気で解散した。 原因は、私が勝手にやったことに、彼が思うように返してくれなくて、一方的に機嫌を悪くしてしまった…。 もうこのパターン何回目!? 我ながら本当にいい加減にして欲しい。 * 他人に期待し過ぎない。 察してちゃんを発動しない。 何故、やってあげた後に「お返しをしてくれないんだ!💢」と思うのかというと、私が無理をしているから。 与えた方がいいかな?と勝手に思ってしまっている。 相手のために、良かれと思って、自分を犠牲にしている。 知
私は、コミュニケーションが苦手。 教師という職に就くべきではなかったのでは?と自分でも思うほどに。 気の利いたことは言えない。 集団をまとめ統率することもできない。 気を遣いすぎて、自信を持って指導できない。 でも、勉強は好きだし子どものことは好きだ。 だから、兎に角、授業力を高め、一人一人の子どもに真摯に向き合うことが私のやり方だと思う。 弛まぬ自己研鑽を行う。 子ども一人一人の気づき(特にいいところ)をメモする。そしてそれを伝える。 子どもがもやもやしたまま帰すことだ
過去最強クラスの台風が近づいている。 どうなってしまうのか未知過ぎて、一周回って何をしたらいいのか分からない。 とりあえず缶詰やパン、水などは買いました。 特に、鹿児島・宮崎の皆さまは、今大変な状況にあると思います。 どなたにも被害がありませんように。お祈り申し上げます。 * 明日は仕事だというのに眠れない。 YouTubeの台風速報LIVEをずっと見ている。 どんどん膨らんでいく不安。 寝れないぐらい不安なら辞めておけばいいのに。 ホラー映画と同じだ。怖いものほど見たく