見出し画像

発する言葉と装いが違う世界に導いてくれる

突然の担任宣告。
年度途中から担任になるのは勿論初めて。
やり甲斐がありすぎるクラス。(少しマイナスの意味で)
ただでさえ結婚式前&年度末で慌ただしい中、授業も何もかも上手くいかない。

ついつい彼に、
「突然担任になって余裕がない。大変だ」
と愚痴を言った。
彼から返ってきた言葉は
「来年度から担任になるかもしれないから、肩慣らしに丁度良かったね。専科の視点を持って担任になれるのはすごく貴重な経験なんじゃないかなぁ」
という私にとっては拍子抜けするものであった。
そして、
『慰めて欲しい。労わって欲しい』
という甘えた魂胆を持って愚痴を垂れた自分を心底恥じた。
彼でさえ、この状況をポジティブに変換して捉えることができるのに、
曲がりなりにも教師である自分が、弱音を吐くとは!
"私は大したことない人間だ"と自分で証明しているようなものではないか。
どんなポジションであっても、任された以上、全うするのが当然で。
彼のいう通り、"チャンス"だと捉えなければ。
今まで専科として色々なクラスを見て、学んできたことを実践する良い機会だ。
私を甘やかさず、成長できるきっかけをくれた彼には本当に感謝しないといけないし、心から尊敬している。

愚痴を言っている内は、まだ二流。
何事もポジティブな言葉に変換しよう。
未知な状況は『学びのチャンス』と捉えよう。
自分の発する言葉が、自分の価値を決めるのだと心に刻む。
甘えた考えは捨て去る。
私は教育のプロだと言い聞かせる。



もう一つ。
最近ネイルをしたのだが、
自然とダンボールを開ける時カッターを使っていた。
今まではダンボールも封筒も素手でビリビリに破きながら開けていたガサツな私が。 
せっかく綺麗にした爪を守りたかったのだ。
ネイルすることで、自ずと仕草が丁寧になった。

髪や肌や爪・身に纏うもの・持ち物に気を使うと、人格まで変わるのだと最近は感じている。
手に持つものを、缶コーヒーからスタバのコーヒーに変えるだけで、なんだか自分が特別だと感じる。
スーツを着ると気持ちまで引き締まる。
髪や爪や肌をケアした日は、自分を大切にできた気がして気持ちが明るくなる。自信が出る。
何より、装いが美しいとダサいことはできない。



「人の前に立つ人は、ストイックな部分を持たなければならない」
とノノガでちゃんみなは言った。
教師もそうだ。
そして、そのストイックさは、
決して愚痴を言わないとか。
学んだことをアウトプットしているとか。
身だしなみや持つ物を綺麗に整えているかとか。
お洒落に気を使い、女性としての底が見えていないとか。
そういったところに現れると思う。

"発する言葉と装いが、私をより良い世界に導いてくれるはず"
と信じて自分を磨いていこう。

いいなと思ったら応援しよう!