【翻訳者エッセイ:わたしと字幕翻訳2人目】子どもができても続けられる仕事を
【今回の執筆者】
齊藤 詩織(さいとう・しおり)
映像制作会社でエディターとして約10年間勤務したのち、映像翻訳者養成講座を受講しながら字幕制作会社に転職。2016年からフリーランス。
結婚をきっかけに
「子どもができても続けられる仕事を探そう。大好きな映像に関われて、夢中になれるものを」
字幕翻訳者を目指し始めたのは、結婚がきっかけでした。
「字幕翻訳」という仕事を初めて意識したのは中学生の頃だったと思います。ラッセ・ハルストレム監督の『ギルバート・グレイプ』という作品(というより出演していたディカプリオ)をきっかけに外国映画に魅了され映画館に通ううちに、クレジットの最後にカッコよく登場する字幕翻訳者の名前に憧れを抱くようになり、自分の名前もいつかあそこに……と無邪気に夢見ていました。
『ギルバート・グレイプ』(予告編)
でもその後、徐々に興味が日本映画にも広がっていく中で映像づくりそのものに関わりたいという思いが強まり、最終的に選んだのは映像編集という職業。映像制作会社に就職し、主にミュージックビデオなど音楽関連の映像編集を手がけるうちにあっという間に10年ほどが過ぎていました。
当時の仕事は拘束時間が長くて時間も不規則。何より立ち会いが多かったので、もし子どもができたら続けられる気がしませんでした。でも生活を考えると仕事を失うわけにはいきません。別のキャリアを考えなくてはと思ったとき、最初に頭に浮かんだのが字幕翻訳でした。
字幕制作会社を経てフリーランスに
翻訳業界に転職する際は、履歴書に書けそうなアピールポイントが何もなかったので、仕事の合間に勉強してTOEICを受験しました。
小学生の頃に聴き始めたNHKのラジオ講座や、映画と音楽の影響で早くから英語好きではあったので、昔から意欲的に勉強していたほうだとは思います。あとはカナダの映像専門学校に通ったことと、その後しばらく現地でインターンを経験したことも語学力に少しは役に立っているかもしれません。
映像翻訳のスキルや知識については、もちろん翻訳スクールでも多くを学びましたが、まだ実務経験がないうちに運よく字幕制作会社に転職できたので、そこで実際の業務を通じて学んだことが大きな糧になりました。経験のない私を拾ってくれたその会社には本当に感謝しています。
退社後は別の会社で、オンサイトでチェックなどのお手伝いをする機会に恵まれましたが、そこで出会った社員の方々も私にとって最高の先生でした。
字幕翻訳はひとりでする作業ですが、周りの人から広く学ぶことはとても有益だと個人的には感じます。時間の都合で今はあまり行けていませんが、翻訳者の先輩に誘っていただいて参加し始めた勉強会でも、行くたびにたくさんのことを教わっています。
忘れられない作品
初めての字幕翻訳は、字幕制作会社で担当した予告編の字幕です。とても短く、わずかなセリフにテロップがほんの数枚だけという内容でしたが、一日中悩みに悩んで、いつまでも提出できなかったことを覚えています。
フリーランスになったあとは、とにかくたくさんトライアルを受けました。また、制作会社から面談の機会を頂いたときは喜んですぐに伺い、意欲や経験を直接アピールしました。
翻訳作業中は苦しいことのほうが多く、あとで「ああすればよかった」と後悔することも数知れませんが、担当させていただいた作品はすべて、それぞれに思い入れがあります。
中でも印象に残っているのは、NHKが主催する「日本賞」というコンクールで2017年に上映された『Who’s Gonna Love Me Now?』というドキュメンタリー映画です。イスラエルの正統派ユダヤ教徒の家に生まれ、ロンドン・ゲイ男声合唱団に所属する男性が、HIV感染を機に初めて家族と向き合い故郷に帰るという内容でしたが、今でも思い出すと胸が熱くなるほど心を揺さぶられ、字幕翻訳という形で関われる喜びをかみしめながら訳しました。
『Who’s Gonna Love Me Now?』(予告編)
大好きなディズニー映画の特典映像で、本編に入らなかったシーンや歌などを翻訳させていただけたことも心躍るような経験でしたし、年に一度お声がけいただくアウトドアフィルムの映画祭も、山好きの私にとっては宝物のような存在。忘れられない作品に毎年出会えます。
毎回自分の訳に自信が持てず「これでいいのだろうか」と吐きそうになりながら悩み、恐る恐る納品しているというありさまですが、とにかく最善は尽くしたと言えるまで悩み続けることが唯一のモットーです。
字幕翻訳者としての使命感
フリーランスとしてどうにか生活のめどが立ってきた頃に娘を授かり出産、同じタイミングで知人に誘われ映像編集の仕事にも復帰しました(育児と翻訳との両立を条件に)。兼業翻訳者となった私にとって目下の悩みは2つの仕事と育児とのバランスです。
正直、最初は私にとって「映像編集の代わり」という位置づけだった翻訳のお仕事ですが、今では本当に大好きで、この先どんな状況になっても辞めたくありません。1歳半の娘を育てつつ会社にも通いながら、どうやって翻訳の作業時間を確保するか常に模索中です。
現在のデスク。ディスプレイは2画面。1画面にはもう戻れないかも
ヘッドホンはソニーのMDR-CD900ST
とにかくできるだけいい形でその作品を届けなくてはという(勝手な)使命感のようなものに駆られ、疲れも不安も忘れて一枚一枚の字幕に向き合えるような瞬間があります。納得のいく訳が出せなくて苦しい思いもたくさんしますが、そんなふうに打ち込めることや、素晴らしい作品に微力ながら関われることは、私にとってこのお仕事の大きな魅力のひとつです。どんな形であっても一生続けることが目標です。
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