『失う前に気づけて良かった』第117言
【夢も希望もない】
この言葉がネガティブな言葉
「ではない」とはつゆ知らず
実は「今ここ」に意識できていて
「すべてが満ち足りている状態だ」
とわかっていることなのだと
確かにその理解があれば
夢や希望がないことは
なんら無気力や絶望に結びつかない
家族が病気になったとき
ペットが病気になったとき
自分が病気になったとき
何もないというのは
健康で平穏な日常だったことを
思い出させる
わたしは喉が痛かっただけで
それを感じたことがあった
つばを飲み込むだけで激痛が走る
もう今日は寝ることにしよう
ところが
寝る時も、身体は休まず
つばを飲み込んでいることを知る
寝たくても、つばを飲み込む度に
激痛で起きてしまった
普通に寝れることさえ
ありがたいことなのだと知った
でもどうやら人間は
ありがたいことが
また日常に戻ると
「ありがたい」が
「あたりまえ」に
変わる習性があるようだ
【今ここ】
最初よくわからなかった
「今」も勿論あるけど
時間は「未来」に向かって
進んでるんだから
夢や希望は大事じゃないか
あぁ、また忘れてた
また今が「あたりまえ」
になっていた
「今ここ」に意識を
向ければ
「すでに満ち足りている」んだった
「未来」は「今」の延長線上にある
と言いながら
「今」をありがたいどころか
不満不足に感じてないか
夢と希望という名の「未来」に
託してしまっていないか?
満ち足りた「今」を認められずに
どうやって
その延長線上にある「未来」が
変化してくれるんだろう
「夢」や「希望」は将来
「満足」でいてくれるだろうか
今に満足することが
消極的に見えてしまうのなら
何かを得ない限り
今の自分は満たされない
と思い込ませているのかもしれない
今ここを満足しても
やりたいことが
消えるわけじゃない
いま夢や希望がなくても
「今ここ」は満ち足りている
失ってから気づくよりは
今ここで気づきたい
まだ も自由だけど
もっと もいいけど
【あぁ、もう幸せだった】
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