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『じぶんからみとめられるわたしになる』第37言
LINEでみつけたMAXのNANAさんの記事「じぶん取り扱いの術」が「うんうん、そうだよね」と思うものだった。
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歳を重ねるごとに身体も環境も変わっていくけれど、その変化に順応していくためにしていることがある。それは、どんなことも「あきらめる」のではなく「受け入れる」という感覚に変えること。そして、できないことに対して「抗う」ではなく「調整」していくこと。長らく自分という人間と付き合ってきたからこその「自分取り扱いの術」だ。
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今のわたしは分かる。でも10年前、20年前のわたしには分からなかった。生まれてから「自分という人間と付き合ってきた」というのは同じなのに、その時じぶんを理解していたか、と言われると、理解していたと当時のわたしが思っていただけで、「分かっていなかった」と今のわたしは分かる。
それも含めて「人生は魂の修行」なのだとは思うけどさ。
わたしはもーれつア太郎すぎて、じぶんに優しくなかった。でも、その当時「じぶんに優しくない」と思っていたか、といえばそうではない。
今のわたしは分かる「心が泣いていたのに無視していた優しくない自分」だったこと。
30代半ば、行きつけになりつつあった美容院のおねえさんは優しくしてくれた「わたしの髪に」
わたしはよく注意をされていた。「やってもらう」ということが下手くそだったから。職業柄という言い訳もさせてもらいたいが、なにかと気をまわし動いてしまう。シャンプー中おねえさんが首の下に手を入れてくるなーと思ったら自ら首を上げてしまう・・・ほかにもあったが、それをイラっと注意してくれた。
「ゆだねる」「やってもらう」のがお客様側の礼儀だということを教えてもらった。
わたしからすれば気を利かせてのつもりでも、それは相手に失礼になることでもあると言われた。
わたしはまじまじと見てしまった。わたしの髪の毛をあまりに愛おしそうに優しく丁寧にブラッシングするおねえさんを。「そんなに丁寧に扱ってくれるんだなぁ」まるでひとごとを見るように、えらくおねえさんの所作に食い入るように見入ってしまった。
おねえさんはあの時のわたしを分かっていたと思う。
「大切に扱われて当然である自分」をわたしが認めていないことを。
お姫様のようにゆだねることも、やってもらうこともできなかったのは、わたしが自分をゆるしていなかったからだ。だからひとからされるお姫様扱いも受け取れないのだ。
「自己肯定感」「自尊心」ことばで言うのは簡単だ。あった方がいい、高めた方がいいに決まってる。でもあの時のわたしは自分の自己肯定感が低いなんて、自尊心が足りていないなんて、思いもしなかった、じぶんのことなのに・・・。
今は分かる。「ひとはじぶんにもウソをつける」しかもとても上手に。
だから「向上心が強い」「努力家」なだけだと思ってた。「誰かから認められたい」だれにでもある承認欲求だと思ってた。わたしはただ「頑張っているだけ」だと。
今は分かる「じぶんにダメ出してゆるさなかった、認めてあげなかった」
巧妙な自己否定です。じぶんさえ気づかない自己否定(キャー、やめてーのホラー的)
どうやったら気づけますかと言われても、本人にそんな意識ないし、そのウソはとても巧妙なのでなかなか見抜けない。あくまで「頑張ってる」だけですから。
でもやっぱり、もういい加減気づかなきゃいけない、という時にちゃんと物事が起こる。
そこで出会った人や出来事にどういう選択をするか、結局じぶんの選択次第で、その先もまた選択肢の連続で、じぶんの本当の本心に気づくまで…なのかなと個人的には思ってます。これも因果応報とか自業自得だと思います。
「自分のことを棚にあげて考えてみなさい」とまで言われたことありますよ。本来なら「自分のことを棚にあげて!」と怒られるやつですよね?でも、わたしは「棚にあげろ」と怒られたんです。
何かあれば、じぶんが悪いのかな、なにか努力が足りないのかな、もっとより良くしようと「向上心の高い」「努力家」をやっていたつもりなので。。
「相手が悪いんじゃないかと思いなさい」とセンセーショナルな言葉まで続きました。(ひぃー えーーいいんですかーそんなことしてー)
もちろん、その当時のわたしがそうまで言わないと気づかないから出てきた言葉だと思いますけどね。。
スマホの設定ボタンのON/OFF とか 強弱の調節ボタンあるじゃないですか。あんな感じなのかも、人生の調整って。
ONにすればわかることなんです。「自分から認められる」をONにすればいいだけだった。
「他人から認めれる」だけONで、「強」の一番はしっこまで行ってた。でもずっと「何かが足りない」不足感。
原因は「自分から認められる」ことだった。ONにしてみたら、すこしずつすこしずつ変化していった。そのための努力はできるよ。だって「向上心は高い」し「努力家」なんだから。
今はどうか。
案外最初っから満たされてたんだなー、不完全さなんて誰だってあるよ、わたしをゆるしてあげよう、よく頑張ってるよーえらいー。ってなってる。
お姫様扱い全然ウェルカム、今はどっちかというと感謝を忘れないように気を付けている(えへへ)