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歴史③『市丸さんがルーズベルト大統領に宛てた手紙』第46言
昨日に引き続きですが…わたしの中の「伝えなきゃ」が昨日の「終戦の詔書(しょうしょ)」と今日のこれはセットになっているので…書きます!
世が世なら「市丸さん」なんて呼べないけれど…敬慕の念をもって。
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大日本帝国海軍 市丸利之助少将
そこは生きてかえる確率はほぼ0、特攻隊となんら変わりない厳しい戦地。
米兵は死んだ日本兵の服を脱がせて戦利品をあさる、ということがそれまでの戦闘後の状況でわかっていた。
だから最後、玉砕覚悟で出ていくときに2人の体に書簡を巻き付けた。
一人には英語の書簡、一人には日本語の書簡。
米兵の中に日本語がわかる日系二世がいることや、日本人がアメリカにいることを知っていたのかもしれません。
いずれにせよ、本意が正しく伝わるように、と強く願ったからでしょう。
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あなた方は、もう充分あり余るほどの大きな国土も、力も、財力も資源も蓄えて持っているではないですか。
なのになぜ、「あるものでなんとかしよう、ないものは隣人と協力し合ってなんとかやっていこう」という私たちの考え(大東亜共栄圏構想)の真意を理解しようとせず、まるで弱い者いじめのようにあれもこれも取り上げて自分たちの思い通りにしようとするのですか。
わたしたちには、あなた方のように、力をつけてあなた方から奪おう、取り上げよう、言いなりにさせよう、という発想がありません。
小さい国同士が自立し、協力し合って共に生きていこう、ただそれだけじゃないですか。
それを八方ふさがりになるようにして、このままでは自滅というところまで私たちを追い詰めて、戦争に駆り出して・・・
今ここで、ドイツでやっていることの、うんぬんまで、記す時間がないので控えるが、いしにえより繰り返すそのあやまち、同じ轍(同じ道)をふまないように、よくよく、よくよく、考えていただきたい。
大国を統べる一国の主として、賢い思慮があなたにあることを切に願う。
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「あるものでなんとかしよう」とかいうのは現代風にわかりやすく伝えたいというわたしの想いとは言え、原文と比べてしまえば稚拙な表現の仕方で、市丸さんに怒られてしまうかもしれません。。
ただ、これが「市丸さんが命をかけてでも手紙にしてアメリカの大統領に届けたかった想い」はこういうことじゃなかったのかな~とわたしが感じた解釈です。
参謀の腹に巻かれた文書は、彼らの戦死とともに発見され、米国に打電された。全米の新聞は「ルーズベルトに与ふる書」のこの翻訳文を一斉に報じ、米国民に感動をもって読まれたものという。
………そんなふうに米国民に一斉に報じられ感動されたようなものがあったこと、日本はどうして学ばせないんだろうね。。別にさ、戦争なんて嫌いだし、この文書みて先の戦争は正義だーなんて言わないし、思わない。
いや…なにより自分が知ろうとしてこなかったことに悔しがったのだ。
「歴史は勝者がつくるもの」・・・それはいいさ
だからこそ、「負けた国から見た歴史」を、じぶんの国のことなのに、なんで知らなかったのか、知ろうとしなかったのか。教科書は「勝者がつくった歴史」が書いてあるだけかもしれないと、なんで気づかなかったんだ、と思うわけです。完全に思惑通りの骨抜き腑抜けにでもされていたような気分。
それでも知れて良かったことがある。
戦後、東アジア諸国は、欧米諸国の植民地に戻らなかった。彼らはもはや弱者ではなく、自立して自国をまもる叡智も勇気も誇りもたくわえていたから。
たしかに戦後、教科書でならった東アジアにおける「植民地」は存在しなくなったわけで、それは昨日の記事で書いたとおり、「東アジアを独立開放させて各国が共存共栄できる平和な世界づくり」はこうしてちゃんと実りになってあらわれた。
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市丸さんが原文で書いている「あなたは真珠湾の不意打ちを戦争にかりたてる唯一の宣伝材料にしているが」という指摘も、真相の真相をたどれば、その真意がわかる。
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どれほどの命が、わたしたちの国をまもってくれたことか。
どれほどの想いで、わたしたちの御魂をまもってくれたことか。
知ったからにはやはり伝えないと、と思うんだ。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました(●´ϖ`●)!