『常識ほど常でないことはないから、My常識だと思っておけば、ま、いっか』第53言

今日は「常識」というものほど「常ではない」ものはない、というお話です。

半額シールとサシの美しさに魅せられて買った、黒毛和牛サーロインとトモサンカクのステーキ肉。昨日は早速サーロインステーキを焼いたんです。

ステーキと言えば、「牛肉は焼く前に冷蔵庫から出して常温にしておく」「煙が出るほどフライパンを熱してから焼く」が『常識』だとすっかり思わされていた

だけど、それをあっさりと覆す「お肉は冷たいままでいいんです」「弱火でじっくり焼くんです、煙が出るほど熱してジュッと焼いて何秒したら裏返してだなんて慌てる必要ないんです」って。

……えーーーっ。


(しかし、焼いてみると全然美味しく焼けてしまうわけです)

この前、梅沢富美男さんもTVでトンカツの揚げ方の『常識』をあっさり覆していたなぁ。

適温になった油に肉を投入…ではなく、まず鍋に1、2センチ油を入れて、そこへ衣をまとった豚肉を置く。その上から油をたっぷりかける。そこでやっと火をつけ弱火でじっくり揚げる。

……えーーーっ。

(しかし、映像で見るかぎり切り口はうーっすらピンク色「それベスト オブ ベストのやつやん!」な仕上がり)

柔軟剤というのは衣類をホワホワやわらかーんにする、+アルファのいいやつという『常識』もこのほど覆りそうなのである。

「柔軟剤は石油が原料の化学物質ですのでお避け下さい」

……えーーーっ。

(だけど、妙に説得力ある。調べるとさらに。。)

こんな感じで『常識』なんて常でなく、あっさり覆ることは多いわけで、、昨日の記事ではないが、世の中知れば、えーーーっなことは起こりまくるわけです。

もうこれからは

「こんなの常識だ」

こんなのMy常識だ

に言い換えてほしい。

そうすればなぜかほっこりもしてムカつきもしない。

常識をふりかざされると ムムムーだけど

My常識だとふりかざされれば、なんかこっちも優しい気持ちになれる。

なぜだ。

この寛容さはどこから生まれる。

正論も似たところがあるな。

「正論をかざせばいいってもんじゃない」というムカムカも、「これはMy正論ですが」と言われると、なんかやわらぎそうではないか。

みんなそれぞれ「My」をもっているんだから、「あー、あなたのMyはそうなのね」とみたら、なんか丸くなりそうだと思えるのはわたしだけだろうか。

そのMyですら、10年前と5年前と今では違ったりするんだからさ、そりゃーひとさまや世の中の常識も無常、常にあらず、ものごとは流転するんだなー。

これも「My」だからいいのだけどさ(●´ϖ`●)♪




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