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『スーパーおムーンと今朝の小話』第100言
今夜20時過ぎはそわそわ「お月見」タイムですね。
皆既月食とは何ぞやを調べると
そういえば月は太陽に照らされて光っているんだったと思い出します。
そして
月 ⇦地球 ⇦太陽が一直線上になった時、地球がかげになって、太陽光が月に届かず隠れたように見える。実際には赤い光だけが届くので赤っぽい月に見える。
いろいろ空想してしまう。
かごめかごめの鶴(火・日)と亀(水・月)が統べったら後ろの正面だあれ、は皆既月食の状態を言ってるのかなぁ。
日+月=明
日と月の間にできた子は明けの明星
明けの明星は金星というけど、この地も明けの明星だといいなぁ
地球という球を磨きあげたら、なれるかなぁ
うしろの正面は太陽であり月であるか。
天照らすは太陽だけでなく、月もだ。
だけど 月は太陽の光がなければ 照らすことができない。
そして 月の明かりなくして この地球は生きられない。
だから「おひさま」も「おつきさま」も「おかげさま」
天を照らすありがたい存在愛
月を愛でてやさしい気もちになれるのは幸せなこと。
そんな日の今朝、太陽の光を浴び、感謝した。
そして今日も一日よろしくお願いしますの挨拶もした。
【今朝の小話】
なぜ悪が「悪役」として存在していたか。なんのお役目だったか?
➡「おそれ」を克服し、集合意識に戻るため。
※「集合意識に戻る」=「原点回帰」=「神様意識に戻る」
わたしたちは分け御魂ゆえ、自分以外の分け御魂を「異物=敵だ」とみなすことがあり、自分をまもるために攻撃してしまう。
そうさせるのは自身の「おそれ」だ。
自分の中に「おそれ」があると、それに見合った悪役が登場してくれるというカラクリだ。
「出たな!」と思うわけだけど、出したのである。(認めがたいけれども)
その悪に対し「ゆるせない」を手放す、「本当にゆるして大丈夫なのか?それが本当に正しいことなのか?」ゆるすことのおそれを克服する。
ふしぎなことに、その時「おそれる必要がない」とわかってしまう。
そこで悪役はお役御免となる。
*
分け御魂なのだから
大きな〇の中の ・が自分である。
周りのひともまた
大きな〇の中の ・である。
・には個性がある(自分らしさ)
だから 相性もある(合う、合わない)
だけど 敵 ではない。
だって わたしたちは そもそも
〇 でしかないから。
*
そうはいっても相性が悪いと・同士であっても「異物」に見え、さらには自分の存在をおびやかすものだと「おそれ」が生まれれば「敵」にも見えるのである。
結局、「敵」とは自分の中の「おそれ」なのである。
だけど、もとはひとつ、大きな「〇」
では 〇は何か。
それは分け御魂であるわたしたちに御魂を分け与えてくれた、おおもとの御魂、つまり親である「創造主」とほぼ同義なわけで。。
「同胞」という言葉も、この世界を知る者の言葉だと思う。もともと同じおなかの中から生まれたんだってこと。
〇の中にいろいろな・がある「和多志」
(多)くの分け御魂(志)を(和)す
すると「わたし」は集合意識に行きつく
結局、していたことは
いろいろな・があるけど、「おそれる必要がない(=悪も敵もない)」ことを学ぶための大がかりな修行だったんだな、と思い至りました。
球を磨くように 分け御魂たちが「〇」でいられるように。
もとはひとつ。自他もない「わたし」の存在愛であれるように。
そこに宇宙平和がある。
愛だなぁ(しみじみ)
今夜のスーパーおムーン……
愛でたし めでたし(●´ϖ`●)