昨今のTVコンテンツ 〜 ヱヴァンゲリヲン 〜 ゆとり教育 〜 いざ社会に出た時には〝ゆとり〟も無けりゃ〝それも個性〟だからと許容してくれるトコもヒトもsoso見つかんない 〜 心理的安全性 / 2年前の戯言
どこで見たんだか、、昨今のTVコンテンツは作り込まれたものはダメで、嘘の無いドキュメトの様なモノが数字を取るんだとか。
製作者の思惑、、みたいなのがアザトイから、、的な論調だったか、、
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なるほどねぇ、、と思う反面、単純化され分かりやすい〝モロ〟な表現がウケている。っぅか、そーいうのしか受け付けない様になってはきちゃってるのかもしんないなぁ、なんて。
それプラス、製作者の思惑がアザトイ、、っぅのも製作物の〝芯〟が評価されるレベルに無いからって気もする。
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昨晩、ヱヴァンゲリヲンやってて観ちゃった。w
相変わらず(?)中二病の 7メンドクサィ 顛末をダラダラ、、ってぇので気づいた事があった。二号機だかの女の子が〝自身の居場所〟ってぇのに拘ってる筋書きがあって、それはヱヴァンゲリヲンの共通のテーマ1つでもあんのかなぁ、、って。
〝ゆとり教育〟なんてぇのを思い返すと、学校の先生はお上の決めた指針に乗っ取って、競争が無い学び方だったり、劣っていたり改善したりしてもいいだろうコトを「それも個性ですから大切にしましょう!」とノタモーテ、卒業する時に励ましの言葉をくれるだろうけど、、
いざ社会に出た時には〝ゆとり〟も無けりゃ〝それも個性〟だからと許容してくれるトコもヒトもsoso見つかんないんじゃないだろうか。それらが有ったにしても優れて秀でた才能なりの引き換えなんだと思うんだけど。それでも「あいつ変じゃね⁉︎」っぅ疎外感てぇのも受けそうだ。
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2年前の戯言
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追記。
いざ社会に出た時には〝ゆとり〟も無けりゃ〝それも個性〟だからと許容してくれるトコもヒトもsoso見つかんないんじゃないだろうか。それらが有ったにしても優れて秀でた才能なりの引き換えなんだと思うんだけど。それでも「あいつ変じゃね⁉︎」っぅ疎外感てぇのも受けそうだ。
ゆとり世代の方たちとも普通に仕事させてもらってて、優秀だという印象を持つ皆さんに付き合いを重ねていくうちに知ったことで共通しているのはガッツリ挫折を味わっているということ。
直接の知り合いでなく世の中でご活躍されている方たちもガッツリ挫折を味わっていると公表されてる方は少なくないように思う。
勝手な想像だけど、負けとか失敗とか壁に阻まれた時に、ソレはソレとして真摯に向き合って言い訳とかしたりせず逃げなかったんだと思う。
なぜ負けたのか、なぜ失敗したのか、どうしたら壁を越えていけるか、、そういうフゥにメチャクチャ考えに考えて考えて考えて、、を続けて来たんじゃないかと思う。
そう、割りと単純。やるのは大変だけど。でも言い訳して逃げたりする自分っぅのが恥ずかしかったり許せなかったりっぅコトなんじゃないかな。想像だけど。