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慧眼で選び抜いた浮世絵を提供する。浮世絵専門店 原書房vol.1

「アートを見て何かを感じられたらどれほど楽しいだろう……!」、美術館でそう思った人は多いかもしれない。昨今の私たちは、日常にデジタルツールがあふれ、いかに速く正解を得るかというタイムパフォーマンスの技術には長けていくが、美術品を見て心が動くという経験からは遠のいているように感じられる。しかし、この時代にあってアートを見るアナログな感覚をビジネスとしてシビアに活用しているのが『美術商』たちである。

DXやAIの発展の加速に対して「アート思考」という言葉がブームになっている。意味はさまざまに解釈されているが、ここではアートを鑑賞する感性を身につけ、感動に至ることができる道筋と捉えてみたい。この『美術商に学ぶアート思考』では、アートビジネスの各分野からトップクラスの美術商を招き、プロの見方の奥底にあるものを明らかにしていく。

今回ナビゲートしてくれるのは、国内外の目の肥えた愛好家に信頼される浮世絵の老舗画廊・原書房の原敏之氏だ。4回シリーズの初回は、美術商として世界に通用する眼が養われた背景について聞いた。ロジカルに割り切ることが良かれとされる時代だからこそ、感じる心を研ぎ澄ませ、美術品がもたらす味わいに身を任せてみよう。

話し手:原敏之(原書房 代表)


浮世絵のキラーコンテンツとは

ーーはじめまして。今日はよろしくお願いします。

原:よろしくお願いします。

ーー先ほどから来店されるお客様を拝見していますと、若い男女のグループ、スーツ姿の男性、上品なマダムなど、多彩な層で驚きました。浮世絵のファンというと昔気質なイメージを持っていましたが現実は違うんですね。

原:そう、いろいろですよ。最近はマンガやゲームの影響で武者絵を購入する若者が増えました。美人画にこだわる方もいますし、自分にゆかりのある地が描かれたもの、特定の動物や楽器、料理、化粧品など描かれているものをピンポイントで探されているお客様もいらっしゃいます。資料や研究のためであったり、さまざまです。

 ーー皆さん、アドバイスを求めることなく目当ての作品を黙々と探している姿が印象的でした。浮世絵は、パッと見て今の私たちにも共感できる時代を超えた言語を持っているということですね。一般的に人気のモチーフはなんですか。

原:風景なら富士山、桜、 雪 などです。コロナ禍が明けて以降、外国人の方が増えていますが、皆さんだいたいこれらを欲しがります。世界に通じる浮世絵のキラーコンテンツと言ってよいでしょう。そのほか、刺青、幽霊、猫も人気があります。

ーー原書房さんがある神保町は古書の街として有名ですが、お店の成り立ちを教えていただけますか。

原:新潟出身の祖父の代がはじまりです。今も神田にある古書店の大雲堂書店さんで丁稚奉公し、蒲田の方で本屋をやっていました。神保町に来たのは80年ほど前です。

当時は、学生街にある教科書や辞書を扱う普通の古本屋でした。父の代になって「弘文荘」の反町茂雄氏を中心とした勉強会「文車の会(ふぐるまのかい)」に参加し、何か専門分野を持ったほうがよいという話になり、競合がいなかったということがあるのでしょう、1階は占いの書籍、2階では浮世絵を扱うことになったそうです。

文車の会の研修で海外へ行ったり、当時はちょうど景気が良かったこともあり、浮世絵屋さんのなかでも父はいち早く海外で買い付けを行っていました。その姿を見て、幼いながらそれが格好いいなと感じていました。小学生の時から、「将来は父から店を継いでニューヨークに支店を出す」なんて言っていたみたいです。

ーー浮世絵を海外で買い付けるのですか。

原:そうですね。幕末から明治にかけて、かなりの数の浮世絵が海外に渡っていきました。その影響で、浮世絵は海外で人気になり、ヨーロッパの美術にも影響を与えました。戦争や震災の際に向こうにあってくれたからこそ、残っている作品もたくさんあると思います。

ーー神田には、浮世絵の画廊さんがいくつかありますね。

原:最近では、美術系の本屋さんが浮世絵を扱いはじめたり、美術屋さんが浮世絵を扱いはじめるという傾向があります。このあたりの画廊のオーナーのなかでは、70年生まれの私は年齢的に中間層です。私の次の世代にあたる若い店主も増えており、みんな仲が良いです。うちになければ「この店にあるかも」と紹介するような、ストレスのない関係を築けていると思います。

眼が磨かれた、クリスティーズでの経験

ーー原さんご自身は、どうやって浮世絵の勉強をされたのですか。

原:子供のころから浮世絵に囲まれて育ちましたので、特に勉強はしてなくても大学の頃には一通りの浮世絵師を知っていたと思います。ちゃんと勉強を始めたのは卒業してイギリスのクリスティーズというオークション会社に就職し、日本美術を担当したときからです。そこでの6年間の経験が大きかったですね。とにかく作品を見る機会が劇的に増えた職場でした。

ーークリスティーズというと、アート関係者なら誰もが憧れる世界的なオークション会社です。入社するのはかなり難しかったのではありませんか。

原:幸運でしたね。「入れてくれ」って言ってなかなか入れていただける会社ではありませんから。それができたのは、当時その日本美術部門を立ち上げた部長さんは、学生時代に日本で浮世絵の研究をしていた時に父の店によく立ち寄って懇意になったそうで、ある時「僕は家業を継ぐつもりなんだ」という話を彼にしますと、彼が「ならばその前にうちで働いてみるか」とお誘いくださったのです。

ーー当時はどんなものを目にされましたか。

原:クリスティーズでの最初の1年間はロンドンにいたのですけど、そのときは向こうにたくさんあった日本の伊万里焼などの陶磁器も見ていました。根付や刀剣はまた違う世界なので別の専門家の方が担当されていましたが、何となく見て物がわかるようになりました。
出品の相談カウンターがあって、個人の方でもわりと頻繁に品物を持ち込んでくるわけです。そこで呼ばれると、誰もいなければちょっと私が行って「これは新しい時代のものだから駄目です」というくらいまでいきました。

ーーそのあとニューヨークへ異動されたんですね。

原:そちらでは浮世絵をメインに担当させもらえました。そのときの上司が、私に来るように声をかけてくれた方だったのです。日本の大学を出て浮世絵師の歌川国貞の研究で博士号を取り、その後クリスティーズの日本美術の最初の部長になった方です。彼の下でオークションのカタログ作りの手伝いをしていました。彼は私より先に会社を辞められ、その後しばらくは私がビジネスゲッティングからカタログ作成、ビジネスゲッティング(品物集め)、カタログ製作、売り込みまで、一応浮世絵責任者的な立場でした。当時のカタログには一応名前が載っていますね。

ーー忘れられない思い出はありますか。

原:ある時、「ウチにこんな絵があるんだけど、何だろうね?」と一枚の写真が送られてきて、陽が燦々と入る部屋の壁にかかっている額に入った浮世絵がなんと本物の東洲斎写楽の名作「市川鰕蔵の竹村定之進」だったりとか。アメリカってすごいところだと思いました。上司である彼の働きが大きいのですが、浮世絵が膨大に持ち込まれて扱う数がすごいのです。その頃は浮世絵だけでセール全体で500点というスケールのオークションをやってた頃なのです。

ーーそれは、すごい量ですね。オークションと言うと映画やドラマである「ハンマープライス」のシーンが思い浮かびました。

原:私も一応セールルームで表に立つトレーニングもしました。お客さまとの間に入って電話でやりとりをして、代わりに手を挙げるトレーニングもしました。

ーーそういった環境でトップクラスの専門家でもある上司について、浮世絵の眼識を磨く経験を積まれたわけですね。

原:そういう面では、おそらく若いときから数を見てきた方だとは思います。そんな背景もあって日本の浮世絵画廊の同世代の中でも早い段階から海外のオークションへ行くようになってたんです。2001年に帰国してからウェブサイトを整え、海外のお客様にも情報を発信するようにしました。今では世界中からお客さまがいらっしゃいますね。

ーー海外に対する抵抗がないのは、すばらしいことですね。

原:でも、少し早く行きすぎたのではないかという心残りもあります。日本の業界のことを知らずに向こうに行ってしてしまったからです。

ーー日本の業界を知って向こうへ行っていたら何が変わりましたか。

原:日本ではこういうものが人気があるんだとわかっていたら、やはり作品を見る目が違うんですよね。もっと良いものを見つけられたかもしれませんし、お客さまへのアプローチも違ったでしょう。海外の人は浮世絵の画題や刷りや状態の良さを見ますが、日本人にとっての浮世絵は資料としての価値も大きいのです。「ここにこれが書いてあることが重要なんだ」ですとか。日本の業者の眼、つまり日本人コレクターさんの眼は、海外の業者の眼、上司である部長の眼とも少し違うわけです。

自分がそれを好きなのかどうか

ーー原書房さんの特徴は何でしょうか。

原:うちは本屋さんから派生した店で文献の知識がありますので、お客さまの仕事に関するもの、住んでいるところ、好きなものを把握して、提案することができます。
園芸屋さんには植木の作品、食べ物に関するお仕事をなさっている方には、食べ物が入っている作品をおすすめしたりですとか、いわゆる美術品というより、資料的な面で探される方も多いのです。ほかにも八代目團十郎だけが好きで集めている方もおられます。その間口の広さが、この店ならではのおもしろさだと思います。値段は、数千円から数百万円までと幅広いですが、他のジャンルの美術品と比べると浮世絵は安いものだと感じます。

ーー歴史を振り返ると値上がりはしているのではありませんか。そうなると浮世絵を投資の対象として見る方が増える気がしますが。

原:今、値上がりしていますね。そして常にお金があるところに流れて行ったり戻ってきたりを繰り返しています。
いちばん最初は、明治の頃に外国人に大量に買われていって、そのあと戦争があって、バブルになってまた戻ってきて、リーマンショックでまた戻ってきて、今は円安でまた外へ流れて行って……ずっと海外と国内を行ったり来たりしているのです。
「何が値上がりしますか?」と聞かれる方は、たまにいらっしゃいます。ただ、うちは浮世絵を投資の対象として見ることはおすすめしていないのです。値段が上がるか下がるか、それはわかりませんし、「自分がそれを好きなのかどうかが一番大事です」とお答えするだけです。

ーー特に好きな浮世絵師は誰ですか。

原:今は歌川国貞(江戸時代の浮世絵師。のちの三代目歌川豊国)でしょうか。彼の初期の武者絵が好きです。昨今人気の歌川国芳(歌川国貞の師匠)のライバルとでもいったポジションです。例えば『漢楚軍談 壮士辛奇山間に虎を撃つ』は天保期の武者絵ですが、力強く躍動感にあふれています。早い時期のものは国芳よりも力強いと思います。
浮世絵は本当に信じられないような高度な技が詰まったものなんです。浮世絵は西洋の美術などと違って分業だから、彫り師や刷師など様々な職人の熟練の技があってこそできる作品なんですよね。多色刷りの木版画というのは世界には他にないですし、その技術の高さは唯一無二のものだと思います。さらに、浮世絵は海外の美術にも物の配置、構成、空間などの点でかなりの影響を与えています。一枚の浮世絵には、いろいろなエッセンスが詰まっているのです。

歌川国貞 漢楚軍談 壮士辛奇山間に虎を撃つ 天保頃 (c.1830)


ーー確かに。木版画なのに、これほど細かく多彩な色が出せるのは大変な技ですね。

原:浮世絵は美術品として作っられたのではなく、もともとファッション誌や歌舞伎役者のプロマイド、新聞でもありレストランガイドでもあり、様々な役割を兼ねたメディアでした。いわゆる品物の宣伝だったりとか、これから流行らせたい柄や反物の値上げが背景にあったりか。その代表的な版元が、来年の大河ドラマでやる蔦屋重三郎です。浮世絵と古書はビジネス的にリンクしているんですよ。
人気役者や評判の美人などが浮世絵に描かれ、多くの人がその着物の柄や着こなし、髷の結い方などを真似して流行が作られたんだと思います。現代と同じですね。

ーーすごい戦略です。

原:本当に感心します。着物の模様とかも本当にすごいですし、テーマに沿ってシリーズ化もされていたのです。

ーーーマニアックな質問ですが、この版元、刷師、彫り師がいいなどありますか。

原:私はあまり意識しないですね。絵師と違って刷師や彫り師ってあまり版画に名前が出てくるものじゃないんですよ。蔦屋重三郎だからいいとか意識したことはありません。確かに彼の売り込みの才能はすごいと思いますが。
海外の版画と違って浮世絵にはエディションナンバー(刷られた版画の管理番号。1/100とあれば、100枚刷ったうちの1番目の刷りという意味)がありません。ですからどこで判断するかというと、どれだけ線がきれいに出ているかとか、他のものと比べてここに一色を多く使ってあるとか、そういうところでしかないんですよね。その中で知識としてその彫り師刷師の印が入ってるのが初刷りであるというのはあります。

和本を扱う本屋さんでは、すごくそれを重要視するみたいですね。同じ絵だけど、後で版元が変わるものがあるので、〇〇版というのはすごく大切なんです。ですから和本をカタログに載せるときも〇〇版と記載しますね。浮世絵のカタログをつくるときも〇〇版と版元を載せていますが、刷り、彫りまでは書かないです。

ーー絵師の名前と版元が有名なんですね。

原:どこの版元がいいというわけではなく、この絵の初版がこの版元から出てるというだけの話です。

ーーところで、インターネットの中古品のオークションサイトを見ていますと、数千円で北斎や広重の浮世絵が売られていることがありますが、原さんが扱っている浮世絵との違いはなんでしょうか。

原:私たちプロが見れば、一瞬で使ってる顔料が違うとか、紙が違うとか、その刷りのテクニックが下手だな、奥行き感がないとか、そういうところから複製品はすぐ判りますけど、いちばん大きなものはオーラですよね。そこにあるだけで空間が変わる、精神的な満足度が高まる、それが本物が持つ力と呼べるものではないでしょうか。(vol.2へ続く)

《終わり》

原敏之
1970年生まれ。原書房の3代目として幼少期より浮世絵に囲まれ育つ。1995年より老舗オークション会社クリスティーズの日本美術部門担当としてロンドンとニューヨークに赴任。現在はその慧眼を生かして国内外のコレクター、美術館などに浮世絵を売買している。

原書房
〒101-0051 東京都千代田区神田神保町2-3
営業時間:火~土曜日 10:00~18:00 / 定休日:日・月・祝
TEL:03-5212-7801

企画・取材執筆:杉村五帆

執筆者プロフィール
杉村五帆(すぎむら・いつほ)。株式会社VOICE OF ART 代表取締役。20年あまり一般企業に勤務した後、イギリス貴族出身のアートディーラーにをビジネスパートナーに持つゲージギャラリー加藤昌孝氏に師事し、40代でアートビジネスの道へ進む。美術館、画廊、画家、絵画コレクターなど美術品の価値をシビアな眼で見抜くプロたちによる講演の主催、執筆、アートディーリングを行う。美術による知的好奇心の喚起、さらに人生とビジネスに与える好影響について日々探究している。
https://www.voiceofart.jp/

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