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「コミュ障」という言葉の違和感
コミュ障という言葉が使われ始めてから、「んー?」とちょっとぴりな違和感があるんです。どんな違和感か?
(コミュ障なら)しょうがないってなるわけじゃないのに。
これは自分をコミュ障だからと言っている人へとか、使ってる人にどうこう言いたいわけじゃなく、ただ単な言葉の違和感ってだけです。
たとえば、お仕事がうまくいかないときや、相手の嫌なことを言ってしまったときに
「コミュ障で〜」
といったとしましょう。コミュ障はコミュ障で問題なのかもしれませんが、お仕事能力や、相手を慮ることができないというのとは違う気がするんです。
たぶん、「わたしコミュ障で〜」と言っている人は、半分本気半分冗談くらいで使ってると思います。それと、あちらこちらで“コミュ障”という言葉が、簡単に手に入りやすくなってしまったのも原因かなと。
そもそもコミュ障とは、コミュニケーション障害の略で、文章をつなげるのが難しくて〜とか、会話が苦手とかの症状です。(調べればかなりの数出てくるので割愛)
ラフにコミュ障という言葉を使いすぎた結果、ネットスラングかのように「コミュ障で〜」というまくら言葉がついてしまっているような気がします。というぼくも、一時期使ってしまっていました。
だから、やめた。
演劇専門学校やラジオ、司会、ナレーターなどのお仕事を経験して“伝えることの難しさ”を感じることはあっても“伝え方がわからない”と感じることはないからです。
そして、それなりに喋りのお仕事をしているのであれば、できなくてもしょうがないなんて言い訳を作ろうとするのもやめようよと感じていて。
ただ、超絶人見知りなんです。とくに初対面の人と食事をするとなると、ほんとに何を話していいのかわからない。
なのでそういう場合は
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正直に言います。話を上手くするため、映画を見たり本を読んだりのお金に当てます。直近、島に暫く住む予定なのでそちらの生活費に。