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my books_風の谷のナウシカ

自粛期間の1か月間くらい、毎日文章を書いてきましたが、今日からはすきなときに思ったことを書こうと思います。
最近はネトフリの海外ドラマにはまっていて、ずっと画面を見て過ごす日々でしたが、電子画面を見るのに飽きて、ここ数日は「風の谷のナウシカ」をずっと読んでいました。

※この先はネタバレを含むので嫌な方はお戻りください。

スタジオジブリの最初の作品である風の谷のナウシカは1984年に上映されました。実に36年も前のお話。わたしは高校生くらいになるまで、この映画の原作として漫画があることを知らなくて、漫画を初めて読んだのは大学に入ってからだと思う。ちなみに1982年から連載が始まって、終わったのは1994年なんだって。この壮大な物語が完結するのに12年物歳月がかかっていて、連載途中に映画が製作されたことも知らなかった。

漫画を読んだことのない人がいたら、ぜひ一度は読んでほしい。映画の描き方もだいすきだけど、漫画の壮大なスケールの世界の話を知ってほしい。これから先、ナウシカを読み返すたびに感じること、考えることが増えていったらいいなあって思ってるけど、この物語の感想を書くには、あまりにも今のわたしが見てきた世界じゃ足りないと思う。

今まで信じて疑わなかった世界があって、それらと共に生きている人々がいて、「いつか腐海のない世界で生きていきたい」と当たり前のように腐海が闇のものだと思っていたの。腐海は闇だけど、でもそれは失われた大地を浄化してくれる存在だと気づく。それは映画にも出てきたきたんだけど、本当は腐海がないと人間は生きていけない身体のつくりに変えられてしまっていたの。だから、腐海が大地を浄化したとき、そこに腐海とともに生きてきた人間は生きていけない。それが1000年前の事実だと知る。

1000年前は奪い合いを重ねて、ナウシカが生きる時代よりももっとひどい憎悪に満ちていて、だから腐海と虫たちと浄化したあとに生きていくすべを墓所に残した旧世界の人たちがいたんだけど、ナウシカは「いのちは闇の中のまたたく光だ」と言って、旧世界の人々が残したものすべてを葬る選択をした。だから、この先浄化された土地で人間が生きていけなくなる選択をした。

どんなに今の世界が残酷でも、そこで生命を育んできた歴史があって、虫や毒とともに生きてきた歴史があって、それが全部「つくられたもの」だなんて誰が受け入れることができるだろうか。光と闇はどちらかだけが存在する世界などない。わたしはナウシカが選択した、滅びと表裏一体の世界は間違っていないと思う。きっと新しい、光だけの世界が訪れたとしても、人間が存在する限り、苦しみと悲しみは必ずあって、そこからまた憎しみが生まれていくと思うから。だったら、今残ったものを精一杯両手に抱えて前に進んでいったほうが、人間らしい気がする。

今のわたしたちの生きている世界も、憎しみと対峙しなければ、これ以上前に進めないと思う。誰かの悲しみ、痛みに心寄せなければ、声を聴こうとしなければ、これ以上の人間的な発展はないと思う。地球に「青い衣を纏いし者」が現れはしないけど、誰でも慣れるんだよきっと。

物語の最後は「生きねば」という台詞で終わります。「生きねば」ってジブリファンが聞くと「風立ちぬ」を思い出す台詞。人間は長い歴史の中で幾度となく森を燃やし、虫を殺し、兵器を作り、人を殺し、憎しみを生んできています。でも、それでもこの世界で生きていかなけらばいけないんです。それがどんなに残酷だろうと、世界は同じくらい美しいと信じて。

ナウシカを表現できる語彙力が欲しいです。

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