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ドイツ語の美しさを聴く

2021年、寒い年明けとなりました。今年も「とりのうた通信」をよろしくお願いいたします。クラシック作品の歌や声の持つ力を、一人でも多くの皆様の心にお伝えしたいと思います。どうか希望の年になりますように!

家で過ごすことの多いこの冬、あらためてドイツリートを聴くのもいいですね。シューベルトの連作歌曲集《冬の旅 Winterreise》D911 (全24曲)はこの時期に味わうにぴったりな作品でしょう。ほかにシューベルト〈冬の夕べ Winterabend〉 D 938、シューマン〈待雪草 Schneeglöckchen〉Op.79-26、R.シュトラウス〈冬の捧げもの Winterweihe〉Op.48-4など、単独の曲でも味わい深い冬の歌がいくつもあります。…人の声は温かいのですよね。寒かったり、孤独だったり、静かだったり…そんな夜に、人の声音に耳を傾けてみるのは良いものです。たとえ、歌詞の意味がわからなくても…。私はいつもは、詩の意味を理解してドイツリート聴くことを基本お薦めしていますが、あえて今回は、ドイツ語を聴く…という観点で考えてみたいと思いました。ドイツ語という「音」を聴く楽しみについてです。

ドイツリートに初めて触れた10代のころ、私が最初に抱いた感想は「ドイツ語の響きってきれいだな~」…というものでした。忘れもしませんが、「Im wunderschönen Monat Mai」の「wu~」の u の母音の美しさに、惹きつけられてしまったのです。思い返せば当時ドイツ語はまだ習い始めで、意味は必ずしも理解できていたわけではないのですが、言葉の持つ「音」の美しさが耳に残ったのですね。それまでテレビなどで聞くドイツ語というと、なんだか堅い、たたみかけるような演説口調(?!)という印象があったためでしょうか、歌われるとこんなに伸びやかできれいなんだ!って感動しました。その気持ちは今も変わらずです。私はどちらかというと女性より男性が歌うリート演奏で、言葉の(発音の)美しさに惹かれることが多いです。音の周波数の関係なのでしょうか。上手な男声歌手の発音は明瞭で本当にきれいです。先ほどの u 母音はもちろん、 ü の響きとか…!!

私はかつて旅先で知り合ったイタリア人女性から、「日本語ってきれいな響き。イタリア語と似てカンタービレで…」と言われて、へえ~っと驚いたことがあります。ふだん伝達手段として使っている母国語だと意外と気づかないのですが、「音」として意味解釈なしに言葉を聞く外国人には、そのように受け止められることもあるのですね。…ということは、私たち日本人はドイツ語の「音」の魅力を、もしかしたらドイツ人以上に感じられる…ということかもしれないと思うのです。他の外国語も然りです。外国人として歌曲を聴く特権でしょうか!言語を知らなければ知らないほど、意味メッセージに邪魔されず、純粋に音を聴ける…ということに他ならないでしょうか。

声の美しさというのは、突き詰めていえば「母音」の響きの美しさです。母音が、音楽で言うところの「音」を作ります。どんな言語でも母音の種類は複数あります。声楽家の仕事の大変さは、まず、低音から高音まですべての音域で、どんな母音で歌ってもムラなく美しい音を出せるよう、声という楽器を整えていくことにあります。ドイツ語には基本の i,e,a,o,u(eとoには、開口と閉口の2種あり)に加え、ウムラウトのつく母音(ü, ö )の音もありますが、歌っていて母音が変わると自然に口腔内で共鳴する場所も変わるので、訓練していなければ音はデコボコ出たり引っ込んだり…と聞こえてしまいます。それを滑らかにする、響きを統一するために、声楽家は大変地道な発声の訓練をしているわけです。ただ、どんなに美しく響きが統一されたとしても、u は u であり、i は i である…それぞれの母音の個性はしっかりと生きていなければなりません。

どの母音の発音が難しいかは、個人差あるかもしれません。声ならし的に発声練習でよく使われがちな a は、実は多くの人にとって難しい、トリッキーな母音。開いた e [ɛ] も私は長らく苦手でした。初心者でこの [ɛ] につまづいている方は多いように思いますが、ドイツ語に頻出するとても大事な母音です。個性ある音色を作り、特に高音にこの母音が来ると、独特の「張り」が生まれます。ドイツリートの詩に頻出する大事な単語「Herz」(「心」の意味)の母音はまさにこの[ɛ] であり、意味上しばしば高音があてられます。《詩人の恋》第7曲〈Ich grolle nicht〉の最高音もそうですね。また、母音 u は日本語のウとは全く違うので日本人には要注意と言われますが、とてもドイツ的な響きの美しい音色を持ちます。これまたドイツの詩に頻出する単語「Ruhe」(「安らぎ、静けさ」の意味)、意味上やわらかく静かに歌われる必要がありますが、まさにこの母音の特徴が出るすばらしい言葉だと思います。単語の「音」そのものに意味が内在しているようです。

一般的には、ドイツ語よりはイタリア語のほうが初心者には歌いやすいとされ、声楽の入門者はまず古典イタリア歌曲集などから勉強することが主流ですね。ドイツ語が歌いにくいとされる主な理由は、まず子音の問題でしょう。子音がたくさん付いているがために、フレーズが滑らかに歌えない、子音をはっきり言おうと一生懸命になると音楽がレガートにならない…というジレンマですね。確かに。私も長らく葛藤してきました。それでもあるとき以来、私は子音こそが母音発声を助ける、子音が母音をより良くする…と確信するようになりました。むしろ子音がたくさん付いているドイツ語にこそ、声の美しさを鍛える要素が豊富に存在している…とも思っています。

実際、私が渡欧して師事した先生からは、ベルカントを基本とした発声練習法を学びましたが、その練習パターンの8割は子音を付けたものでした。さらにドイツ語の特定の単語を使って歌う練習法も加えられたのですが、これなど非常に有意義でした。少し専門的になりますが、子音も母音も同じ「息の上で歌う Auf dem Atem singen」ことが大事であり、言葉の先頭に付く子音が、正しい息の流れ(軌道)のいわば「出発点」というか「きっかけ」を作るのです。母音を歌うときの口腔内の共鳴ももちろん大切な要素ですが、子音がその呼び水となる…ということ。(ある箇所でうまく声が決まらないとき、母音はそのままで子音だけ違うものに変えて歌ってみたら良い声が出た…という経験された方いらっしゃるかもしれません。呼び水である子音の働き方のちょっとした違いが、母音の音に影響します。)また、語尾の子音もはっきり発音すれば息を吐き切ることにつながり、次のフレーズにスムーズに入れます。子音も母音も、同じ「息を吐く ausatmen」という一連の行為上にあることをお忘れなく。

さらにドイツ語のリズムも大事ですね。母音の長さに長短ありますし、アクセントの位置は重要。例えばシューベルトの名曲〈水の上で歌う Auf dem Wasser zu singen〉の詩は、言葉の流れそのものに「弱弱」のリズムがあります。「Mitten im Schimmer der spiegelnden Wellen」←太字で示した母音がアクセントの位置。詩の中に登場する「踊る tanzen」という語とまさに合致するのですが、この詩につけたシューベルトの音楽は、言葉自体に宿る律動を見事に生かした3拍子、ワルツ風になっています。またドイツ語は、単語の中間や語尾に「n」がつく単語が多いので、比較的「弾む」言語です。有名なシューベルトの〈鱒 Die Forelle 〉の詩など「…des muntern Fischleins Bade im klaren Bächlein zu.」(※太字=アクセント)のように、言葉そのものがピチピチした鱒のように弾んでいますね。

かのディートリヒ・フィッシャー=ディースカウは、こうした言葉のリズム感を大切にした歌唱を数多く聴かせました。彼のドイツ語はとにかく生き生き、瑞々しいです。フリッツ・ヴンダーリヒは、逆に全体的に長めに保った母音の美しさを際立たせた歌唱です。また女性歌手で発音が美しいと思うのは、例えば、フィッシャー=ディースカウと同世代のソプラノ、アグネス・ギーベル(1921-2017)です。私は彼女の歌唱を尊敬してやまないのですが、特に自然な明るい a 母音が気に入っています。声の美しさもピカイチ。

ドイツリートの初心者がドイツ語の歌唱に慣れるために、まず何から歌ったらよいか…。シューベルトで始めるという方は多いでしょう。声質による差もあると思うのですが、私個人的には、シューベルトは初心者には案外難しいものも多いと感じますので、上手に選曲する必要があります。すばらしい名作に触れる意味は大きいので、歌いやすい音域のものを選ぶ(移調するなりして)と良いですね。私としては、最初は音域があまり広くない、音の跳躍の少ないもの、例えばハイドンの歌曲の幾つかとか、シューマンの《若者のための歌のアルバム》Op.79の中からとか…。いわばドイツ民謡ふうの歌曲といったらよいでしょうか、誰もが口ずさめるような曲です。こうした素朴なもので、息の流れを損なわずに(力まずに)丁寧に発音する、という徹底した練習を重ねることが基礎になるのでは…と思います。その後だんだんに音域を広げていくようにするのです。

声がある程度できている中・上級者でしたら、ドイツ語歌唱を洗練させていくために、バッハを勉強することは有意義と思います。優れたドイツリート歌手には「バッハ歌い」と言われる方が多いのも事実です。バッハは受難曲、ミサ曲のほか、カンタータに膨大なレパートリーがあります。しかもすべての声種のために…。バッハを歌うことは精神力も体力も使い、ハードですが、まぎれもなく楽器としての声を鍛えることにつながります。メリスマやロングトーンも  ü だったり ö だったり様々な母音で出てきますから、余分な力が抜けた発声をマスターしなければ歌えません。とりにくい音程も含む広い音域において、楽器のように、時には休みもなく長い1曲を正確に歌うのは、声楽家にとってまさに心身の修行…です。でも、そうしてバッハを歌った後にドイツリートをさらうと、驚くほど息の流れがスムーズになり、さまざまな表現が可能になる…その道すじに気づくことがあります。ピアニストやヴァイオリニストなど器楽奏者の多くの方が、バッハを日々の稽古の基礎に置いているのと、おそらく共通する原理ではないかと思います。

…と、この段階に来てようやく、ドイツ語は歌いにくいどころか、声を鍛え、作り上げてくれる素晴らしい言語だと気づくに至るわけです。そして、こうした血と汗のにじむ(?!)長年の訓練を経ているにもかかわらず…、そんな努力などまるでなかったかのように、あたかも自然に生まれたかのように発音されるドイツ語の美しい歌唱が、聴く者の心を本当に幸せな気持ちにさせてくれるのです。

【今日のお薦め】今年65歳、精力的なリート演奏活動を続けるドイツのテノール、クリストフ・プレガルディエン。落ち着きのあるリリックな声で丁寧に語るシューベルト演奏には、彼の温かな人間性がにじみ出ている。自然、素朴な《冬の旅》だ。リズミックかつ非常に滑らかなドイツ語を聴いてほしい。(CDのほか、DVD盤もある。)鬼才ミヒャエル・ゲースとのデュオでの来日、今年こそは実現が期待される。同じく今年の秋に来日予定の息子ユリアン・プレガルディエンも今、最も魅力あるリート歌手だ。




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