ドイツリートの形式って?…その1
2022年が明け、久しぶりの「とりのうた通信」です。しばらくご無沙汰しておりました。思えば昨年も色々なことがありましたね。感染症と共存しながら、アーティストたちはライブイベント開催に奮起した1年だったと思います。世の中この先どうなっていくかわからない…そんな不透明な状況って、19世紀から20世紀にかけて活躍していたヨーロッパの音楽家たちの環境とも、どこか相通ずるところがあったかもしれない…そんな思いも去来しつつ、生の音楽が誕生する「ライブ」の意味を、改めて感じた1年でもありました。私自身にとっても、ドイツリートを中心にしたコンサート開催に奮闘しながら、新しい出会いや発見が重なった1年でした。このnote記事を読んでくださる方も徐々に増えているようで、本当にうれしいです。ありがとうございます!
さて、歌曲についてのあれこれを語る「とりのうた通信」、これから数回にわたり、今まであまり触れてこなかった、歌曲の「形式」の問題をとりあげたいと思います。音楽で形式というと、ちょっとムズカシイと思われがちですが、歌曲についてはそんなことありません。きっと、ふーんなるほど!と思われるはずですよ。そして、この形式を知ることが、ドイツリートの歴史と変遷を面白く知ることにもつながるのでは…と思います。今回はその1…テーマは「有節形式」or「通作形式」です。
さて、次の詩をご覧ください。
Sah ein Knab’ ein Röslein stehn,
Röslein auf der Heiden,
War so jung und morgenschön,
Lief er schnell es nah zu sehn,
Sah’s mit vielen Freuden.
Röslein,Röslein,Röslein rot,
Röslein auf der Heiden.
Knabe sprach: ich breche dich,
Röslein auf der Heiden!
Röslein sprach: ich steche dich,
Daß du ewig denkst an mich,
Und ich will’s nicht leiden.
Röslein,Röslein,Röslein rot,
Röslein auf der Heiden.
Und der wilde Knabe brach
’s Röslein auf der Heiden;
Röslein wehrte sich und stach,
Half ihm doch kein Weh und Ach,
Mußt es eben leiden.
Röslein,Röslein,Röslein rot,
Röslein auf der Heiden.
子供が小さなばらを見つけた
野原のばらを
あまりに若くてきれいなので
近くで見ようと思わず駆けよって
喜びあふれて見つめた
ばら ばら 赤いばら
野原のばら
子供は言った 君を折るよ
野原のばらよ!
ばらは言った あなたを刺すわ
あなたが私のことずっと忘れないように
ただ耐えるなんて 私はいやです
ばら ばら 赤いばら
野原のばら
それでも乱暴な子供は折ってしまった
野原のばらを
ばらは身をよじって刺したけれど
どんなに泣き叫んでも成すすべなく
やはり耐えるしかなかったのだ
ばら ばら 赤いばら
野原のばら
これはご存じの方も多いはず、J.W.ゲーテ(1749-1832)の「Heidenröslein 野ばら」(1789年出版)の詩です。当時から広く愛され、特にシューベルト(1815年)やH.ヴェルナー(1827年)の作曲で有名になり、ドイツでは民謡として現在も親しまれているほどです。この詩は見てのとおり、3つの段落(「節」と言います)に分かれています。各節の2行目(Röslein auf der Heiden)と最後の2行(Röslein,Röslein,Röslein rot,Röslein auf der Heiden)は同じ文句の反復(「リフレイン」)ですが、それ以外の行の文言は変化していく…つまり物語は展開していきます。このようなリフレインを持つシンプルな詩のかたちは、民謡に典型的に見られるタイプ。語り手が場に集う者たちに向け、朗読したり歌ったりして物語を伝えていく、そしてリフレインでは共感を呼び起こす(民謡の長い歴史の中で、かつてはリフレインをその場一同で唱和していたとも考えられる)というスタイルを持つのです。とても簡素で無邪気な体裁をとりながら、実は意味深なこの詩。ゲーテは民謡のスタイルを借り、自らの苦い恋愛体験を子供とばらの関係に潜ませたと言われています。
ゲーテが活動していた18世紀末から19世紀初頭、ヨーロッパでは文化遺産として「民謡」を収集する運動がさかんでした(民謡は各地で主に口伝えで伝承され、ヴァリエーションも多いから、体系的に記録しなければ失われてしまう…)。ドイツでは哲学者・詩人のJ.G.ヘルダー(1744-1803)が早くも1778年に民謡集をまとめています。ゲーテがこのヘルダーから強い影響を受けたことも、「野ばら」が生まれた背景にはあります。
この詩を読み返してみると(ドイツ語が読める方はぜひ音読してみて下さい)、実にリズム感があって、しかもシンプルですね。物語は実のところかなり生々しいのだけど、子供とばらの関係に例えられているから、なんだかオブラートに包まれている感じ。話がどんどん展開していくわりには、リフレインに依るところもあってか、どこか引き締められていて、全体を通して流れる「基調」というものが変わらずに存在するよう…。「一貫性」があるとも言えるし、物語を語る客観的な姿勢とあると言ってもいいかもしれません。このような詩の「基調」「一貫性」は、民謡運動に影響を受けたゲーテが重んじていたことでもあり、当然ながら作曲にも求められたのです。
さて、この「野ばら」の詩に音楽をつけたシューベルトの代表作。この歌曲は大変有名ですね。1815年の作曲です。
シューベルトは詩の第1~3節の各節に対して常に同じ旋律、同じピアノ伴奏を書きました。音楽の側から言えば、歌に1番、2番、3番があるという形。これはクラシックのみならず音楽全般を通して、現代の私たちに一番なじみのある歌の形ですね。これを歌曲の「有節(ゆうせつ)形式」と言います。詩節ごとの内容変化に関わらず、常に同じ音楽が保たれ、繰り返される…。つまりこの形式は、先ほど申し上げたような、詩全体に流れる「基調」を重んじている作曲のしかたなのです。ゲーテと親交のあったドイツの作曲家J.F.ライヒャルト(1752-1814)やC.F.ツェルター(1758-1832)は、ゲーテの音楽観を尊重し、歌曲をほとんど有節形式で作曲しています。(ツェルターは、かのメンデルスゾーンの作曲の師匠であり、若きメンデルスゾーンにもその影響は受け継がれます。)
この有節形式は、詩を語りながら、どこか一貫性のある主張ができる歌の形ともいえましょう。〈野ばら〉でいえば、各節で繰り返されるリフレインでばらへの同情や連帯感がこの物語に添えられ、余韻を残します。さらに有節形式の利点としては、何といっても同じ音楽が反復されることにより、誰もがメロディーを早く覚えられる。つまり人の心に残りやすく、口ずさみやすいということ。美しい旋律であれば、なおさらです。だから、大衆に受け入れられやすい性質を持つのです。
では、次の詩をご覧ください。同じくゲーテの作。
Ein Veilchen auf der Wiese stand,
Gebückt in sich und unbekannt;
Es war ein herzigs Veilchen.
Da kam ein junge Schäferin
Mit leichtem Schritt und muntrem Sinn
Daher,daher,
Die Wiese her,und sang.
Ach! denkt das Veilchen,wär ich nur
Die schönste Blume der Natur,
Ach,nur ein kleines Weilchen,
Bis mich das Liebchen abgepflückt
Und an dem Busen matt gedrückt!
Ach nur,ach nur
Ein Viertelstündchen lang!
Ach! aber ach! das Mädchen kam
Und nicht in Acht das Veilchen nahm,
Ertrat das arme Veilchen.
Es sank und starb und freut' sich noch:
Und sterb ich denn,so sterb' ich doch
Durch sie,durch sie,
Zu ihren Füßen doch.
すみれが一輪、原っぱに生えていた、
身をかがめて、ひっそりと。
それは可愛いすみれだった。
そこに羊飼いの少女がやってきた、
足どり軽く、元気よく、
原っぱをこちらへ来て、歌い始めた。
ああ!すみれは思った、もし私が
この世で一番きれいな花だったなら!
ああ、ほんのつかの間だけでいい、
あの少女が私をつみとって、
ぐったりするまで胸に抱きしめてくれる、
ほんの15分の間でいいから。
ああ!だが、ああ!少女がやってきて
すみれに気づくことなく
踏みつけたのだ、かわいそうなすみれを。
すみれは倒れ、死んでしまった、それでも喜んでいた、
だって、私は死ぬけれど、あの子によって
あの子の足元で死んでいくのだもの!
この詩「Das Veilchen すみれ」は、先ほどの「野ばら」の後に書かれたゲーテの作(1773/74年)で、読んでの通り、同じような主題内容に基づきます。子供と野ばらの関係が、少女とすみれに置き換えられており、野ばらよりもっと献身的な姿を見せる、すみれの健気な心根が歌われます。「野ばら」の詩のような明快なリフレインこそないものの、リズム感のあるシンプルな3節の構造を持つ詩です。
こちらは、シューベルトの〈野ばら〉よりも早く、すでにモーツァルトが曲をつけています。1785年の作曲です。
モーツァルトの曲づけは、シューベルトの〈野ばら〉とは違い、詩の1節目につけた旋律や和声を繰り返すのではなく、音楽を詩の進行に照らし合わせて常に変化させていきますね。詩の内容の細かな変化に照準を合わせるので、詩の「節」という段落単位はあまり重視されず、全体を通しての物語の進行、情景の変化、感情の起伏がより鮮明に音楽化されるというわけです。このような歌曲の作り方を「通作(つうさく)形式」と言います。モーツァルトはこの小さな歌曲の中で転調を次から次へと繰り広げ、のどかな風景、少女の歌、すみれの願望や嘆きを現すのみならず、最後には元の詩にはなかった2行「Das arme Veilchen! Es war ein herzigs Veilchen. かわいそうなすみれ!それは可愛いすみれだった」まで付け加えています。(この最後については、作曲者モーツァルトの素直なコメントであるし、ならびに有節形式でのリフレインのような意味を付け加えて、作品に統一感を与えた…とも取れそうです。)
モーツァルトが残した歌曲は30曲ほどで決して多くはありませんが、実は単純な有節形式で書かれたもののほうが多いです。しかし、この〈すみれ〉や〈ルイーゼが不実な恋人の手紙を燃やしたとき〉〈夕べの想い〉など、代表作として知られている作品は通作形式であり、それはすなわち彼が19世紀ロマン派の歌曲の作風を先取りしている…とも言えるかもしれません。モーツァルトご本人としては、歌曲というよりオペラなどの一情景を作曲しているに近いイメージだったのかもしれませんが、いずれにせよその精神は、詩に対してより主観的な、よりロマンティックな表現様式とも言えましょう。
通作形式といえば、皆さんよくご存じのシューベルトの〈魔王 Erlkönig〉(1815年作曲)はその典型的な一例です。詩はゲーテによる全8節からなる長い物語詩(バラッド)。8節を通し、語り手、父親、息子、魔王の4人のセリフが交差し、最後には語り手によって息子の死が告げられて終わる、非常にドラマティックな変化に富む物語です。若きシューベルトは、通作形式で作曲することで、この劇的な情景を見事に表出したわけですが、この同じ詩に同時期に作曲したライヒャルトは、(今では驚くべきことですが)有節形式で作曲しているのです!むしろそれが当時ゲーテが望んでいた、詩に対する音楽のあり方だったのですから…。このライヒャルトの〈魔王〉は、あまり現在では聴かれませんね。(有節形式で、魔王のセリフの箇所だけ旋律が同音反復で特徴づけられています。)
ライヒャルトやツェルターら、18世紀末にベルリンで活躍した歌曲作曲家たちのことを、ベルリン歌曲楽派(正確には第2次ベルリン歌曲楽派)と呼びます。彼らは、「歌曲は一般に分かりやすいシンプルな有節形式でなければならない」という主義を(C.P.E.バッハに代表される第1次楽派以来)受け継いでいて、ゲーテの音楽観とも結びつき、このような有節歌曲を数多く生み出していたのです。こうした主に北ドイツの歌曲観に対し、モーツァルトやシューベルトはウィーンで活躍した、いわば南のドイツ歌曲作家。イタリアオペラの影響も大きいウィーンでは、歌曲の形式について、もっと柔軟な考え方を持ちやすかったと思われます。それゆえに、通作形式で作曲することも、彼らにとっては自然な方向ではなかったでしょうか。シューベルトが作曲した数々のゲーテ歌曲は、ゲーテ本人のもとに送られたと言いますが、ゲーテからは返事がなかった…。ゲーテには複雑な感情があったことが推測できます。
では翻って、有節形式は単純だから演奏も簡単…といえるかというと、いや、そうではないでしょう。むしろ難しい!有節形式の歌曲は、通作形式に比べ、演奏者(特に歌い手)自身が担うべき表現の役割が大きいのです。同じ旋律や和声を繰り返すにしても、歌詞の内容は違うのですから、同じようには歌えません。語り部として客観的な立場を保ちつつ、声の表情や音色、ニュアンスの違いなど歌い分けながら、それぞれの節の物語を聴き手に伝えていかなければなりません。そういった詩節ごとの表現変化については楽譜には何も指示が書かれていないことが多いですから、演奏者は自ら詩を読み取って考えていかねばならない。それはある意味、演奏者の自由であり、演奏者の想像力に委ねられている…ということです。〈野ばら〉で3度繰り返される最後2行のリフレインを、3度同じように歌う歌手はいないでしょう。これには相当のテクニックと想像力が必要なのです。それから…歌い手側の現実問題として、民謡風の物語歌(バラッド)などは、モノによっては10節以上あるものも少なくないですから、そうなると歌詞を覚えるのも一苦労。旋律が同じなだけに余計、演奏中の混同や間違いが起こりやすいもの…。有節形式の歌曲を簡単…と考える声楽家は少ないと思います。逆に通作形式では、作曲家が音に込めたものを具現化できるだけのテクニックと表現力が演奏家には求められますが、変化に富む「楽曲そのもの」の力が大きいので、コンサートでは意外と演奏効果が出やすい傾向にあるように思えます。ピアノパートが詩の情景や感情表現に大きく関わるように作曲されているため、ピアニスト側の負担は確かに増えますが、歌手にとっては、むしろ自然と歌いやすく、暗譜すらもしやすい…ように思います。
総じて、有節形式は民謡に由来するところもあり、語りを皆で共有するという「大衆性」を持つ歌の形式です。現代の私たちも、有節形式の歌を数々聴きながら育ってきたのです。ただ、シューベルト以降の(いわゆる狭義の)「ドイツリート」は、有節形式で作曲されることが少なくなっていく、つまりこの民謡的な単純性から離れ、より複雑・精緻な芸術性を求めて発展していく傾向を見せます。その頂点にいるのが、ほとんど通作形式で作曲した19世紀後半の代表的ドイツリート作家フーゴー・ヴォルフと言えるかもしれません。…とはいえ、19世紀の多くの歌曲作曲家は、有節形式で書くことを完全に否定してはおりません。メンデルスゾーンはもともと有節歌曲が多いですし、シューマンでも例えば《若者のための歌のアルバム Liederalbum für die Jugend 》op.79 は、教育用という意図もあってか多くの有節形式による歌曲があり、〈てんとう虫 Marienwürmchen〉など愛らしい。ブラームスの〈日曜日 Sonntag 〉Op.47-3も、とってもチャーミングな有節歌曲ですね。ブラームスは特に、19世紀後半のロマン主義円熟期においても「民謡」を歌曲の理想の形ととらえ、有節形式を重んじる傾向を見せています。詳しくは、次回以降の「とりのうた通信」でお話ししましょう。…そうそう、大切な野ばらのその後についても忘れてはなりません、また次回に。
(本文中の訳詞は筆者訳による。無断転載はご遠慮下さいませ。)
【今日のお薦め】エリーザベト・シュヴァルツコップといえば、D.フィッシャー=ディースカウ と並ぶドイツリート界の大歌手。オペラでも大活躍したディーヴァだが、本人談によれば自分は「決して大きな声ではない」から、むしろ歌曲で様々な声色を駆使しての表現を追求するようになったという。歌曲演奏では、言葉のニュアンスと人物の性格を色濃く表出していることが特徴。このアルバムでは、落ち着いた味わいある〈野ばら〉のほか、女声ではなかなか聴けない〈魔王〉の名演も光る。