どーーーーーしたって、嫌いな人がいる。
😣😖😫😂😅😆
こんなイ〜歳をして、そんな事ブログにわざわざ書くか??
と思われそうだけれど(笑)。
しかし、イ〜歳だからこそ、もうそろそろ変な頑張りは手放そうかな、と思うのである。
だからと言って勿論、ワタシあの人嫌い‼️だってさー、、などとわざわざ改めて大悪口祭を開催するつもりもないが、昨日までの私は、どうしたって好きになれない、むしろ『嫌い』という、どうしようもない感情を上手く処理しようとするあまりに『好き』の感情と『嫌い』の感情を平均化する事によって、心の平和を何とか作り上げ、平静という場所を得て来たのではあるまいか。
、、とハタと気づいたのだ。
『大嫌い』というヘヴィな感情を封印するためには『大好き』を捨てるという重い対価を有するんだー!!と、何かどこか深い根っこで考えちゃったのかもしれない。
思えば子どもの頃、偏食をさせないために『好き嫌いしないで残さず全部食べなさい❗️』という母の教えは大変厳しいものであった。
お腹の中に入れば全部一緒だ!という理屈で丸め込まれた時もあったし、嫌いなものがお皿に残っても、それが口の中に入って飲み込めるまで食事の時間が終わらない時もあった。
そんな厳しい躾のおかげで、偏食なく健康に育ったわけだけれど、あの、お皿に野菜のかけらが残ったま、シーンと容赦無く過ぎる時間と、ダイニングテーブルを取り巻くブラックホールに飲み込まれて行くような空気感は、なかなかのものだった。
食べ物の話と物事の好き嫌いは別だ、とも言えなくはないが、どうしてどうして。
やっぱり、広い意味では同じであるように思う。
でも、『嫌いな人』の場合は、何でその人の事がそんなに嫌いなんだろうか?どの辺がどんな風に??と掘り下げてみるのはなかなか興味深い事だと思う。
掘り下げて行くと、なーんだ、ヤキモチからか!とか、アレ?!これ私の事やん😝などと、色々な事が判明したりする。
そして『嫌いな他人』であるはずなのに、その人の事を分析していると、結局『自分自身』に出会ったりしてしまうので、アッハッハ‼️なのである。
嫌いの呪いを解いて、好きの封印もついでに解いて、
わー❤️これ好きー😆😆😆😆😆✨✨✨✨
好きなものは、こよなく愛し、、
オェーーッ‼️これ嫌いーヒィ〜😱😱😱😱
😅😂🤣
嫌いなものは、ちょっと離れて解明の楽しみとする。
どんどんシンプルに身軽になろう♫
と誓った秋の日でした👍👍👍👍👍
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