「うつ」のしくじり_01
~「身から出たサビ」と今になって気づく~
◉発症早々3つ失敗
2013年の手帳には、《1月8日「夜悪」》《16日「クリニック」》とあります。
これは、「うつ」の症状に耐え切れず、心療内科の予約を入れるも、16日まで待って診察となった、という意味のことを書いています。
そして、この診察までで3つの「しくじり」をしてしまいました。
「自分は打たれ強い」…すでに症状がでていたのに、先送りした
「医師の診察はどこも一緒」…よく調べず、クリニックを選択した
「都合悪いことは黙っとこ」…症状を、キチンと説明できなかった
1については、仕事上の重大な問題が発生したため、その対応に追われていたということがまずありました。
そのリカバリ作業はややこしく、納期ゼッタイでしたので、調子を崩して診察を受ける必要があっても、自分の身体より仕事を優先したということです。
正月休みていどでは回復せず、年始になって「寝られない」「起きられない」などで心療内科に連絡したのでした。
もし、12月の異変を深刻に受け止めてすぐ受診していれば、と今でも後悔しています。
「鋼のメンタルだから」なんてのは、妄想レベルでした。
2については、本当に致命的な選択でした。
自分が住んでいる最寄り駅のクリニックはいくつかあり、最初に目にとまった所で、予約制だから混んで待たされないだろう、ぐらいの理由です。
しかも最初の電話でも、応対に不信さを感じていました。
医師でもない受付が根掘り葉掘り聞いてくる…そういう方針の業務なのでしょうが、こちらの話には恣意的で、木で鼻を括るスタイルなのには参りました。
結果、一番キツい状態から8日経っての受診となりました。
人間が十人十色なように、医院にも良し悪し、合う合わないがあるということです。
当たり前ですが、良く調べてから連絡するべきでした。
現在進行形で、別のクリニックならこんな目に遭わずに済むのに、と思っています。
3は、自身にゆとりがなかったとも言えますが、医師に伝えるべきことを十分伝えていなかったのは本当です。
不信感もありましたが、それより思考がまとまらないというか、言葉不足、説明不足で、うまく伝達できなかったと思います。
また最悪なのが、当時ネットで話題に上っていた「ニセうつ」なのではないか、という心配でした。
ニセうつとは、仕事や学業から逃げるために”自分はうつ”と医師の診察なしに病気を訴え、好きなことしかしなくなるという都合の良さで、世間からは忌み嫌われた現象でした。
医師から「あなたもニセうつです」「気のせいです」と言われるのが恐怖でしかなく、診察では「助けてください」と言いつつ、「大丈夫です!仕事できます」と取り繕っていたわけです。
これでは今の体調がスムーズに伝わるわけがありません。
◉なるべくしてなる「自業自得型うつ」
2013年の年始から今日は2024年の9月18日ですが、現在も治療中で週2回や週1回、同じクリックに通い投薬治療を受けています。
病気も、うつ病から双極性障害(躁うつ病)に変わりました。
会社は発症時と同じところで、同じ仕事をしています。
ただ年齢も55歳ですから、身体に無理はできません。
一時期は窓際に追いやられ肩も何度となく叩かれましたが、若い人が皆キャリアアップで転職しましたので、頭数確保の意味で追い出しはなくなりました。
もう、二十代などは応募もしてくれないようです。
辞めていった若い人らは、「身を粉にして働く意味が見い出せない」「給料に見合った労働で言えば、週4勤3休レベル」といったことをよく言ってました。
実際、身を粉にして、賃金に文句言わず”会社人間”として歯車した結果が、このザマです。
「身から出たサビ」「自業自得」としか言いようなく、彼らの考えはまさしく正しいと痛感しています。
現在進行形でしくじっているこの人生ゲームは、最大要素はうつで、これからの話に多く出てきますが、最後にいまがどんな具合か書きます。
noteのプロフィールを作成したのが「9月2日」となっております。
そして、今日が「9月18日」。
つまり15日間の空白がありますが、これを正確に把握できず「プロフィールを作成して、すぐ今回の話を書いている」つもりでいます。
ヒマがなく忘れていたわけでも、何かを調べて下書きしていたわけでもありません。
日中は会社で働き、夜は家で普通に過ごしていました。
せいぜい1日空いたぐらいの気持ちで、時間の感覚はかなり捻じれてしまって、これはもう治せないかなあ…とは思っています。
そして、これは症状のうちの一つで、ほかにもおかしなことを色々しています。
次回は初診日辺りのことを書きます。
ありがとうございました。
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