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皆さんは負けることが好きですか?
そのような方は、あまりいないかもしれませんね。
今回は、私の負けず嫌いの話で、雑談、雑記記事です。
よろしければご覧いただければと思います。
最近は、この過度な負けず嫌いはだいぶマシになりました。
悔しくてなかなか眠れず、寝返りを100回以上することも、歯ぎしりで顎が痛くなることもなくなりました。
「負けるくらいなら、死んだ方がマシだ」などと血が頭にのぼることもたびたび。
バレーボールの試合をテレビで観ていても、日本の選手たちを応援します。
何がなんでもこの試合は勝つ。
接戦になろうものなら、神頼みをする。
逆転すると「あー、神は存在するんだ」と神を讃える。
そして、さらに逆転され、この世の終わりのように絶望する。
神頼みも虚しく試合に負ける。
喜び狂う相手の選手たちを恨めしく思う。
選手たちは握手を交わした後、ストレッチをする場面が映し出される。
なんて無情で厳しい世界なんだ。あの時、あのミスがなければ、勝っていたかもしれない。
あの手の長い真上から叩きつけるような憎きスパイクを打つ選手が憎い。
小学生の頃から家族と一緒に観るバレーボールには熱い思い出がありました。
しかし、これは大人になってもなかなか治りませんでした。
どうしても負けたくない。
あんな思い二度とするのはごめんだ。
それからです。
応援している日本が負けそうになると、負けるのがどうしても嫌なので、対戦相手の外国のチームを応援することにしました。
発想の転換です。
そうすると、負けることはなくなりますので、私が応援しているチームは100%勝つことができます。
これで、あの悔しくて仕方ない感情に耐えなくても良くなります。
長い手でバネのようなスパイクを、私は勝つためだけにただ眺めて観るようになりました。
この遺伝子なのか、次女も負けず嫌いで生まれてきました。
出産後、実家でオムツを替えていた時、私の顔めがけて💩が飛んできました。
顔は💩まみれです。でも、乳児なのでなんの問題もありませんでした。
それを見て母が
「もしかして、この子」と言って黙りました。
その後も、娘はスクスクと負けず嫌いで育ちました。
小学生の時には、友達より成績が低くて悔しがって泣いていました。
成績なんて、どうでもいいのに。私は内心そう思っていました。
それでも、あまりにも勝ちにこだわり、挫折を繰り返している娘が、なんとも娘なりの自己実現をしようとしており、自己を確立しようとしている姿に、応援したい気持ちになりました。
負けて悔しがっている娘に私は手紙を書きました。
「負けず嫌いは良いことだよ。負けず嫌いは、最後までやり遂げようとする力があることだよ。」
その後も、娘の負けず嫌いは続いています。
やり遂げる。
何があっても。
例え失敗しても。
例え挫折しても。
負けず嫌いは最後までやり遂げようとする力があるということ。
娘は留年しそうになっている失敗を犯しました。
そのエラーは娘を奮い立たせました。
毎日夜10時まで大学で勉強して帰ります。
実習も全て無事終えました。
再試験のチャンスをもらいました。
さて、そろそろ再試験の日が近づいています。
私はというと、相変わらず負けるのが嫌いです。
でも、前よりはだいぶ良くなりました。
しかし、今日も運が巡っている相手選手の刺すようなサーブやスパイクに魅力されています。
やはり、私は負けるのは嫌い。
例え負けても最後には勝ちたい。
負けたくない。
特にあいつには。
映画アイアムサムで弁護士が言っていた。
「私は負け知らずの女よ」