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最近、ようやくたどり着いたことを記事にしようと思います。
noteを書くことで、これまで整理できなかったことや新たな気づきがありました。
また、他の方のnoteを読むことができ、それが日々の糧となっています。

8年前に亡くなった母のこと、母への思いを記事にすることにしました。

個人的なことなので、書くことを、また私が辛くなるので書くことを躊躇していましたが、前に進むため、または、「このままで良いじゃない」と思いながらも、書けるときに書きたいと思います。

もし、それが私のように母との別れを悲しんでいる方の何かの役に立てることがあればと思っています。もちろんそうではない方にも読んでいただけたら、幸いです。


病気で亡くなった母に言いたいことがあります。

「何で黙って死んだの?」

私はね、お母さんのことが大好きだったんだよ。
私はお母さんの娘だよ。
私も家族だよ。

母が私を避けたのは、以前にも一度ありました。

目の手術をするために2週間入院するときです。
母はそのことを私に伝え、食費を渡して病院に向かいました。
父が仕事から帰ると、母が私に渡してくれたお金で食事を準備しましたが、父だけが母の病院に通っていました。

[お母さん、どうなの?」

と私が父に聞いても、父は順調に術後回復しているとしか言わない。

私は、母に会いたい。辛くて痛い思いもしているかもしれない。だから父に言いました。

「私もお母さんのところに行きたい」

父はいつも同じように答えるのです。

「お母さんのことは大丈夫だから」

それでも、ある日どうしても私は母に会いたくなりました。
私は母の子供で、家族で、それに社会人として働いている一人の大人です。だから母の役に立てることをしたい。洗濯物や食べ物、何だって頼ってほしい。

父にもう一度聞きました。

「何で、私はお母さんの病院には行けないの?」

父は困りつつも優しく笑って答えました。

「お母さんね、お姉ちゃんに会うと、泣いちゃうんだって。そして、家に帰りたくなるんだって。だから、お母さん、会えないんだって。」

それから、一度だけ台所で炊事をしている母に「お母さん、一緒に写真を撮ろうよ」と言って、弟に写真を撮ってもらったことがありました。
母は手を止めて私の隣に来て、嬉しそうに微笑んでいました。
その笑顔の写真が、私が結婚する前のたった一度きりのツーショットです。

それから色々とあり、長い間、両親とも疎遠になってしまいました。
母が病気だと知りませんでした。
そして、亡くなったときも、お葬式に行けなかった私が、約半年後、父に会いに実家を訪ねる日が来ました。

夜、一人で久しぶりに訪ねた実家の門には灯りが灯っていて、玄関の外にも、廊下にも、私が歩くすべての場所に灯りが灯っていました。

父がひとりで座っている場所へ向かううちに、涙が止まらなくなりました。母は仏壇の中で笑っていました。

「お母さん、こうやっていつも私のことを待っていてくれたんだね。」

お母さん、私があのときみたいに、私から声をかければ良かった。そうすれば、お母さんはきっと喜んでくれたよね。

お母さんに会いたい。

まだ、私は毎日お母さんに伝えていなかった。

お母さんのことが大好きだったんだよ。どんなお母さんでも良いんだよ。
たとえ病気でも、怒っていても、笑っていても、どんなお母さんでも大好きだったんだよ。


その後、父の運転で母のお墓に向かいました。
家族みんなで、父が「みんなで来たよ」と母のお墓に話しかけていました。

これからは、きっと母への問いかけが続くのだろうと思います。

答えはないけれど、母に話しかけながら、思いを伝え続ける。

思いは、生きているうちに伝えたい。
けれど、もし伝えられなかったとしても、きっと母には届いていると思っています。

涙がまだ続いています。母親は特別なものです。
私は日々を生きながらも、まだどこかに留まっているようです。

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