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ひとり親の苦しみは私だけ?共感が生む生きる力
「子どもがいるからこそ頑張れる。
でも、ひとりで背負う毎日はやっぱり苦しい。」
先日、高齢者施設の利用者さんからこんな話を聞きました。
「苦しいのは私だけかと思っていた。だけどそうじゃなかった。車いすの方もいるし皆さんもそれぞれ苦しんでいるんだって。」
「最初、私のことを皆とっつきにくい人だなあって思っていたそうよ。でも冗談も言うし楽しい人なんだって分かったみたい。」
「そうやって、私はここに来て皆さんのおかげでこうしていられるんです。」
その話を聞いてハッとしました。
支援を受ける側の方々は、お互いにサポートし合い、ピアサポートをしているのだと気づきました。
最近、ひとり親家庭への食料品提供ボランティアに参加しました。
そこで、ひとつ気になったことがあります。
食料品を持ち帰るのは、いつも子どもたち。お母さんたちは、ほとんど手を伸ばさなかった。
むしろ、遠慮しているようにも見えました。
おそらく、「支援を受けるのは私ではなく、子ども」
そう伝えたかったのではないかと思います。
パートナーが子どもしかいない日常だから、それを子どもと共有するため。
そして、支援を受けることへのプライドもあったのではないかと感じました。
ひとり親になって気づいたこと。
それは、死別とは異なり、周囲の風当たりがとても強いことでした。
偏見やスティグマ、好奇の目、差別的な対応――
全てを一身に受けて、一人で矢面に立ち、子どもたちを守っていました。
「自己責任」と言われ、世間の冷たい視線にさらされながら、自分と子どもたちの未来をどう築いていけば良いのか不安に思う日々を送っていました。
そんな中でも、ひとり親のお母さんたちは、
子どものために、笑顔で日々を乗り越えようとしている。
先日、支援を受けに来たひとり親の方々を見て、
「私だったら、食料品をもらいにすら行けなかったかもしれない。」
そう思いました。
それくらい、毎日がいっぱいいっぱいだった。
だからこそ、その場に来たお母さんたちの姿は、まぶしく映りました。
どこかで聞いたことがあるかもしれませんが、
「お母さん、苦しいのはあなただけではないよ。」
そう伝えたいです。
そして、助けを受けることは恥ずかしいことではないということも、強く伝えたい。
「自分のことは後回しにして、子どものために朝早く起き、子どもや自分のお弁当を作り、支度をし、仕事に行く。帰ってきてくたくたになっても、また子どものために動く。」
「時には自分を責めてしまうけれど、そんなときに思うのは、子ども以外、誰が自分を助けてくれるのか、ということ。」
子育ては、本来、みんなでするもの。
でも、ひとり親は「自己責任」の名のもとに、偏見やスティグマを受け、
たった一人で子育てを背負わされている。
恋愛もしたいし、おしゃれもしたい。だけど、「お母さん」だから。
ひとり親の責任があるから。
そうやって、自分を後回しにしながらも、今日も、子どもたちのために頑張っている。
子どもの気持ちを一番に考え、明日も分からない日々の生活を支えている。
これからの活動の中で、もし話を聞く機会があれば、ぜひ聞かせてもらいたいと思っています。
何ができるか、一緒に考えていきたいです。
苦しいのは私だけかと思っていた。
そんな私に周囲は私に近寄らなかった。
だけど苦しいのは私だけじゃなかった。
そう思ったら皆さんのおかげでこうしていられるようになった。
そんなつながりがあったらいい。
そう思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
私が目指しているのは孤立のない共生社会の実現です。