「現代だからこそ読むべき」 ディストピア小説 マーガレット・アトウッド『侍女の物語』
ラケルはヤコブとのあいだに子供ができないことがわかると、姉をねたむようになり、ヤコブに向かって言った。「わたしにもぜひ子供をお与えください。与えてくださらなければ、わたしは死にます」
するとヤコブはラケルに向かって激しく怒って言った。「わたしが神に代われると言うのか。お前の胎に子供を宿らせないのは神御自身なのだ」
ラケルは言った。「わたしの仕え女のビルハがいます。彼女のところに入ってください。彼女が子供を産み、わたしがその子を膝の上に迎えれば、彼女によってわたしも子供を持つことができるでしょう。
『創世記』第30章1-3節
これはマーガレット・アットウッド『侍女の物語』の冒頭に登場する聖書からの引用箇所です。
女性の権利についてここ数日、議論が白熱していますが、それと同時に「ディストピア」という言葉も一人歩きしているように感じます。
ウィキペディアではこのような定義だそうですが、中々理解しづらい言葉ですよね。
でも実際のところ、「ディストピア」なる世界を描いた作品は、前回のアメリカでのトランプ政権下から注目されつつあります。
代表作を挙げるとすれば、ジョージ・オーウェルの『1984年』などが挙げられると思います。
しかし今回はあえて「女性の権利」というものに着目して『侍女の物語』を読んでいきたいと思います。
あらすじ
ギレアデ共和国で「侍女」として「司令官」と呼ばれる既婚男性の元へと配属される、オブフレッドの役目は司令官の妻に代わって司令官の子供を身籠り、出産することだ。しかしオブフレッドはかつて自分が持っていた名前、仕事、夫、娘、そして「権利」というものを忘れることはできない。自分や家族を取り戻すために生き延びる道を模索する彼女はある日、禁じられた道へと誘われ、次第にそちらへと足を進めていってしまう。その道は、彼女を生かすものか?殺してしまうものか?
「女性は子供を産む機械である」
かつてそう発言した政治家がいましたよね?
(この間もこういう意図を持った発言をした方がいましたね)
でもこの物語の中では平然と、そのような扱いを受ける女性たちの姿が淡々と描かれています。
もちろんそのような絶望的な状況下の中、国側として侍女を支配する小母(おば)、天使、女中、司令官、司令官の妻に対して抗う女性らも存在しますが、拷問を受けたり、その果てに殺されてしまったり、救われない例が多々あります。
そして子供を産めない女性はUnwoman(アンウーマン)とされ「コロニー」送りにされて、つらい思いをするという描写もされています。
「女性は国や男性の所有物である」
ちなみにこの物語に出てくるオブフレッド(主人公)、オブグレン、オブウォーレンなどの名前の頭のオブは英語の“of”
つまり「〜の」という意味で使われており、もちろん実名ではなく、of + 司令官の名前というように名前が作られているため、配属する司令官が変われば、名前も変わるというシステムです。
ここまで読んだら、普通このような絶望的な状況で「死」を選ぶ侍女もいるのではないかと思います。
実際、かつてオブフレッドの前には「オブフレッド」がいました。
しかし物語を読み進めていけばわかるのですが、オブフレッドの部屋の天井のシャンデリアがぶら下がっていたところは、既にシャンデリアが取り外されていて、窓も少ししか開かないようになっている。
ここで違和感を感じる人は多いはずです。
Nolite te bastardes carborundorum.
この言葉の真意を知りたければぜひ読んでみてください。
この世界で女性が生きる意味、生きてきた意味、そしてこれからも歴史を紡ぎ語っていく意味が見えてくると思います。