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老若男女よ、マジパン畑で愛を叫べ!

バレンタインデーにチョコレートをプレゼントするという習慣は、日本の健全な若者たちがチョコレート会社のマーケティング戦略の罠にまんまとかかってしまった結果だというのは既によく知られている。

それでもこの日、女性から男性にチョコレートを添えて愛を告白し、1ヵ月後のホワイトデーをドキドキしながら待つという一連のイベントは、告白のタイミングがなかなか掴めない女性たちにとってはドンと背中を押してもらえる絶好のチャンスでもある。

おそらく、初恋の彼に告白をしたのはバレンタインデーだったという思い出のある人は多いのではないかと思う。

万が一、好きですの「す」の字すら喉元から発せられなくてもチョコレートが代わってファーストパンチを食らわせてくれるのだから成功の可能性は高い。

ちなみに、私が誰かに初めてチョコレートを渡した思い出については、確か小学3年生ぐらいの頃にハート型のチョコレート菓子を作っていた記憶はあるのに相手が誰だったのか思い出せない。

話のタネに恋してみたかったのよ。そんな感じだったのかもしれない。



ところか、ここスペインにはバレンタインデーがない。

この日は単に2月14日を司る聖人サン・バレンティンを祀ると同時に、バレンティン(男性名)さんとバレンティナ(女性名)さん達を、聖人のご利益があるようにとお祝いする日に過ぎない。

ということは、スペインにはシャイな人もそうでない人も一斉に「せ~のっ!」て愛を告白する日はないのか。


それは、困るじゃないか!

困らなくていい。
ちゃんと、そういう日が存在するのだ。

バレンシアでバレンタインデーにあたるのが、今日、10月9日のサン・ディオニスの日。

1237年にジャウメ一世がバレンシアに入城し、事実上イスラム勢力下よりバレンシアを奪回したレコンキスタ。バレンシアの建国記念日が今日にあたる。

実はこの日、バレンシアにはラ・モカオラ(La Mocadorà)と呼ばれる、男性から女性へ様々な果物や野菜を形どったマジパンを絹のスカーフに包んでプレゼントするという古い風習が残っている。

その起源を辿ると、レコンキスタの際にイスラム軍よりジャウメ1世王妃に贈られた貢物の一つが絹の布に包まれた色とりどりの農作物だったというのが始まりらしい。

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製菓店のウィンドウが華やかに飾られるこの時期になると、心なしか男性客の姿が多くなっているのに気付く。

繊細さに欠ける食紅たっぷりのマジパン細工のミニチュア農作物が逆に素朴で可愛いくてたまらない。



スペインでは製菓店の多くがパン屋を兼ねている。今朝、パンを買いに行くと、散歩の途中にこっそりとマジパンを買いに来たらしきおじさんが目に止まった。

小綺麗なブルーグレー色のスウェット姿で恰幅の良いポッコリとしたお腹のおじさん。

年齢は70歳そこそこだろうか。生え際はすっかり寂しくなってはいても、髪の毛は綺麗に整えられ皮膚にも艶があり若々しくも見える。散歩で疲れた様子もないので、もしかしたら家からここに直行したのかもしれない。

ようやくおじさんの番になり、店員に注文する。

「焼き立てパン2本とマジパンを僕のセニョーラに!」


妻(mujer)でも、嫁(esposa)でも、彼女(chica)でもない奥様(señora)という言葉選びに、想い人に対する真摯な敬意を感じずにはいられない。

店の天井には色鮮やかなスカーフが虹のように吊り下げられ、どのスカーフがいいかと店員に聞かれたおじさんが答える。

「去年は赤にしたから、今年はロサ(ピンク)にするよ。ロサ。彼女の名前と同じだ」

そう言った時、おじさんの顔がふっと色付いたような気がした。

去年も、今年も、そして来年も再来年も、今日のこの日に愛を形にして贈り届ける。

それを疑う方が滑稽に思えるほど、おじさんの気持ちは真っ直ぐで清々しい。

誰よりも幸せそうなおじさんの顔に店にいた全員の顔がほころぶ。

愛する人がいること。
愛する人に愛を届けられること。
受け入れてくれる人がいること。

おじさんはきっと今、誰よりも幸せだ。

言わなくても分かるだろうとか、今さら恥ずかしいとかは納得できない。

もう若くないからとか、甘い物は嫌いだからとかも冗談じゃない。

誰にも知らさず抱き続ける愛がある。
交差することのない一方通行の愛がある。まだ気づいていない愛がある。

でも、もしも愛を告げることのできる人がいるなら、何度でも伝えたい。

誰かを心から愛することは、愛されることより難しい。

そして、愛を素直に伝えられる人は、きっと、その愛を受け取る人以上に幸せに違いない。



ピンクのスカーフに包まれたマジパンを愛しげに抱えて店を出るおじさんを見送りながら、店員が次の客を探す。

息を大きく吸って叫ぶ。

「次は私です!」

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