大人のオンナの集まるところ。
harco
世界の片隅であなたが味わう美味しい月の物語
人は『食』で創られる。スペインの歴史を手繰り、人と共に動いてきた食文化を通し、人々の食べて生きる姿に触れる。命を繋ぐ鍵を探すスペインの旅の千夜一夜物語。
上手く作れなくても大丈夫。作る・食べる・分かち合うをシンプルに楽しむいメントです。卵とフライパンと自分オリジナルの具で作る「アタシんちのアイツ」の写真をTwitterもしくはnoteで公開してくださいね。
お食事処『コシーナかもめ』でご紹介したエッセイの中のレシピを再現してくださった方々のnoteをまとめました。
病院の面会時間は一日に15分まで。歩行器をゆっくりと押しながら面会ホールへとやってきた6年ぶりに見る母は、もともと153センチと小柄なのに、さらに小さくなっていた。 「えらい、ちいさなってしもて」 と握った手も顔も皺だらけで、最後に会った時の記憶が、こんなふうに塗り替えられるのは寂しい。出来ることなら、またね!と手を振ったあの時に戻れたら、少しは老いた様子も見慣れているんだろう。 でもきっと、母の方だって、久しぶりに見る娘のことを、なんとまぁ、すっかりオバハンになっ
「歳とったら誰にでも、なんなと出てくるねん」 スマホ越しに何度も耳にした言葉なのに、母は明らかに大したことはないと自分を納得させようとしていた。 ついでに、一週間くらいの手術入院なので、父のことも何とかなるから帰国しなくてもいいと言う。 帰国しようかと何度も聞いてはみたけれど、そのたびに「何とかなるから大丈夫。あんたは、春になって気候が良くなったら帰っておいで」というだけだった。 「大丈夫?」と聞けば、「大丈夫」と答えが戻ってくる。 「大丈夫とちがう?」と聞いて
『アカン!帰ってきて!』 そう母に言われて、内心、ほっとしたのかもしれない。 日本を出てちょうど32年。日本に生まれ育ったのに、いつの間にかスペインで暮した時間の方が長くなってしまった。 そんな今までの『海外へ嫁に行き、すっかり外国人みたいになってしまった人』という私のステージが、『なんやかんや言っても、結局は日本に根っこを持つ人』のステージへ瞬間移動させられるという緊急事態が発生した。 この世に生を受けた以上、避けられない流れの中で、いつかは来ると分かっているの
やっぱりこそばゆいわ。 大体、何て言うわけ? 「ただいま!」 「お久しぶりです」 「ご無沙汰しております」 違う。違うのよ。 そういうのは、時間的な空間とか、物理的な距離があってこその言葉で、そもそも、私たちの間にはソレがない。 喧嘩別れした訳でもないし、第一、私が勝手にふらっと旅に出てしまっただけの話。 自分の前に隔たるものはPCだけだから、お別れとかへったくれはなく、書くか書かないか、画面を開くか開かないかの話。 友達として冷たくない? 理由ぐらい言ってくれても
長らく遠ざかっていたnoteですが、こっそりと戻ってきました。理由は、やっと自分の枠を外すことができたからです。 何者でもない自分、何者でもないと思い込んでいた自分を受け入れて、そのままの自分を楽しむ。 言葉にすると、50字にも及ばない。簡単そうに思えて、実は案外、難しかったりするこの壁を、50代後半になってようやく崩すことができたのも、人工的に作られたものではなく、自然の中にある素のものに触れることの大切さを理解できたからです。一人で生きているのではないと気付いたからで
【さんちゃご!!】 イベリア半島の最北西部ガリシア地方に位置するサンティアゴ・デ・コンポステラ。 この町の名を聞いて、すぐに「巡礼」という言葉が思い浮かぶ人もいるように、9世紀初頭にキリストの12使徒の中の一人、聖ヤコブの墓がこの地で発見されて以来、ローマ、エルサレムに並ぶカトリック教の3大聖地の一つとされている。 ローマ時代にはガリシア最大の都市として繁栄し、当時の城壁が世界遺産として保護されている歴史あるルゴからサンティアゴ・デ・コンポステラへ突き進む道のりは、
【ブルーチーズは本当に苦手だったのか】 それにしても肉と豆の煮込み《ファバダ》のパワーはすごかった。夜になっても一向にお腹が空く気配がない。 普通なら、このまま夜は食べなかったり、軽くフルーツやヨーグルトで済ませればいいのだけれど、今回は、せっかくの機会を逃しては勿体ない。せめて、味見だけでもと、すっかり膨張した胃袋を労りつつ出掛ける支度をする。 こうまでも探求心をそそられるのは、「この地に来たからには食べずに帰るのは犯罪だ」とさっきの店で言われた名物チーズを探しに
【リンゴ酒サービスは鮮やかに】 サンタンデールを出た車の車窓から見えていたカンタブリア海がやがて消し、舞台は美しい絵画のような緑の世界へと切り変わる。単に色や気温といった体感できるももではなく、おとぎ話の中で。トンネルを抜けたら別の国に紛れ込んでしまったかのようなの感覚に陥ってしまうアストゥリアス地方。この中心に今日の目的地オビエドの町がある。 西ゴート族の貴族の末裔とされるペラーヨ指揮するキリスト教軍が、ついにイスラム軍を撃破したレコンキスタ(国土回復運動)発祥の地
カンタブリア地方の小さな海辺の町サンタンデール。ここからスペイン・イギリス間を結ぶフェリーが運航しているせいか、町のあちこちに英語で表記された看板があるうえ、お隣のバスク地方とも異なるヨーロピアンな造りをしている建物がいくつもある。それなのに、ちゃんと主張する昔ながらの漁村の田舎臭さがたまらなく心地良い。 北スペインの旅といえば、必ず覗いてしまうのがお菓子屋さん。どうしてお菓子屋さんなのかというと、イスラム文化の影響が強いスペインでは、多くのお菓子が素朴で茶色っぽく、ケ
【鰻の稚魚のアヒージョに教わったこと】 海沿いのサン・セバスティアンから西へ約100キロ移動する。今までの穏やかな藍色の海の雰囲気は一転し、バスク地方のビスカヤ県都ビルバオが姿を現す。 重工業都市でもあるビルバオの湾内には大きな船がいくつも停泊し、街中には、壁の所々に残された鉄砲弾の跡や、バスク語でなぐり書かれた落書き、険しい顔の守衛兵が重圧感を増す。全体的に茶色いトーンで纏まった角のある建物が緊張感をさらに高め、それを程よく緩和するように、近代的で遊び心のある建築物が
パステルな味 サン・セバスティアンの海辺に立つ。目の前に広がるビスケー湾の色。明らかに地中海の色とも、日本の海の色とも異なる深い藍がそこに広がっている。いつものように、コンチャ海岸の周囲には、ランニングを楽しむ人や、海岸の波打ち際を素足で歩く家族連れ、最高の波を探してサーフィンを楽しむ若者の姿がある。 スペインの長い昼食タイムには、観光地といえども、公館や一般店だけでなく美術館なども閉まってしまい、夕方5時頃まで何もできないということがある。時間は、誰も対しても平等に
チャ・コ・リ🤩 パンプロナから北上するバスが、山中の朝露に冴えた緑の中を通り抜ける。四方八方に牛が放牧されている様子に、まるで絵画の中に入り込んでしまったような感覚に陥る。視界に入る家屋の数よりも牛の数のほうが圧倒的に多い。 フランスと国境を分け合うバスクの大地。バスが傾斜を何度も上がったり下がったりを繰り返し、ようやく、イサベル2世が避暑地に訪れたというサン・セバスティアンの町が見えてくる。 バスク地方の人々は独立気質が強いことで有名で、彼らは21世紀の今でも
牛追いが行われる日の朝。真っ白いシャツと長ズボン、赤いスカーフを身につけ男たちが、緊張した様子でスタート地点となるサント・ドミンゴ通りに集まり、牛追いが無事に終わることを祈り、聖フェルミンに聖歌を捧げる。三度目の聖歌。彼らの緊張がピークに達し、その直後に放たれる花火を合図に、朝露に濡れた石畳の上を、十数頭の牛たち共に駆け抜けていく。 聖人サン・フェルミンの記念日から一週間に渡ってパンプロナで開催されるスペイン三大祭に一つである牛追い祭り。へミングウェイの小説の舞台ともな
サンティアゴ巡礼路のフランス側からピレネー山脈を越えてスペインに入るルートで、スペイン側の出発地点のあるのがナバラ地方。眩しいほどの緑溢れる平原の田園風景の中を北に向かう列車が走り抜ける。 車窓から外を眺めていると、やがて、中世の趣を今に残す美しいオリ-テ城が姿を現す。赤茶けた壁石の一つ一つがそれぞれの歴史を語っている。 この城は、15世紀初頭のナバラ王国の最盛期にカルロス3世により建設され、16世紀にカスティージャ王国と連合するまでの間、ナバラ王国の歴代国王の住居
今年、何してたんだろう? 消し残されたカレンダーの日付を見ながら考える。 風の時代には新しい波に乗ってコミュニケーションを大切に云々……という声を聞き、これはエライこっちゃと自分の見直し作業をした2021年。 けれど、結局、何が変わったのかというと、私はやっぱり私のままで、体重とシワとシミが増えたくらい。けれど、自分も含めて家族も周りの人たちも、そのまんまでいることの大切さを改めて知った一年となった。 そのまんまでいるというのは、変化しないということではない。川の水が一
「自己紹介してください」って言われたんですよ。 私、自己紹介が超苦手なんです。だって、自分のことなんて知らないし、家庭的権威はあるけれど、社会的権威なんてないでしょ。 仕事はあれこれとやってきたから、コレッていうかが滝、(なにそれ?)、がたが気(じゃなくて)肩書(やっとでた)なんてないしね。強いて言うと、「器用貧乏な主婦」とか。 これが、結構、苦しい。 たいがいなことは、そこそこまでなら出来てしまう。けれど、抜きに出ることは滅多にない。ごくたまに、(こりゃ、いい線いっ