価値あるものを誰がどこでどのように評価するか
日本選手の活躍に沸いた冬季五輪が閉幕して早々、メダリストに支払われる報奨金の多い少ないが話題になった。
その額が多いか少ないかは他人が断じることのできない部分なのに、それが俎上に載るのはアマ選手の立場が微妙だからではないか。
プロ選手なら活躍が報酬で評価されてよい、というかそれがプロだし、同僚同士で負けじと張り合ってがんばれる環境にいる。
しかし、アマには本業の仕事がある。
ある選手の活躍に対し連盟や協会から報奨金が出るのはまだよくても、所属する会社や社長個人から報奨金が出て、階級まで特進したとあっては、同じ土俵で戦えない同僚にしてみたら、あれ?となるだろうし、まったくの赤の他人からも、やれ報奨金が多すぎるだの、やれ仕事はどうしてるの、など言われる要因にもなる。
これは何も五輪に限ったことではない。
価値あるものを誰がどこでどのように評価するか、これが実に難しい。
わが村おこしのお茶もまたしかりだ。
(2018/3/15記)
チップなどいただけるとは思っていませんが、万一したくてたまらなくなった場合は遠慮なさらずぜひどうぞ!