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いくら物持ちがいいといいましても

子供が小さい頃は写真が増える、どんどん増える。
たぶんどこの家でもあるあるだろう。

昔のように紙焼き写真なら、撮れば撮るほど家が狭くなるから、心のどこかにセーブする気持ちもあった。
なにより、1枚ごとに決して安くはないプリント代もかかったし。

しかし、これがデジタルになるといけない。
物理的にも経済的にも負荷がかからないから、見境がない。

あとでベストな1枚を選べばいいやと同じカットをパシャパシャ撮って、まるで大物カメラマン気取り。
ギガ単位のメモリーカードはいっぱいになれど、テラ単位のハードディスクに移してしまえば、青天井の無限の世界にいるかのよう。
ミスのないよう撮影したあの日の渾身の集中力はどこへ行ったのか。

そうして、気づけばPCは数千枚の写真にあふれることになる。

***

そんな膨大な写真を、当時を振り返りながら見ていた。
見ながらついニヤニヤしてしまう自分に気づく。

――あ、これ懐かしい!
――そうそう、そういえばそうだった。
――え、こんな顔してた?

古い順に見て、二男がまだ1歳と小さかった15年前に差しかかったとき。

――ん? んん?

そこには僕が写っていた。
見ている自分と同じ服を着た自分が。

PCの画面が鏡になってまして…というオチではない。
おいおいおい、15年経ってるんやで?
いくら物持ちがいいといいましても。
でもどれだけ目を凝らしても、いや凝らせば凝らすほど、物持ちのよさが証明されるだけだ。

――嘘やろ…

嘘ではない。
たしかその服は三宮の高架下で、店主がこれは型崩れせぇへんでといって売ってくれた1点ものだし、それで長持ちしているのかも。
目がチカチカするシマシマのデザインもわりと好きだし、それが長く着られているのは賞賛すべきこと。
そう思っておこう。

ようやく心を鎮め、次の写真に移る。

――ふへ? ぬぉーーん?

そこにはまた僕が写っていた。
翌日着ようかなと考えていた服を着た自分が。

――今度こそ嘘やろ…

今度も嘘ではない。
その服は…そこらへんの量販店で買った、なんでもない安い一着だ。
それすら15年もつなんて。
〈もったいないオバケ〉というのはよく聞くが、この世にはどうやら〈物持ちよいオバケ〉もいるようだ。

写真の振り返りは続いたが、もはや子供の表情ではなく、物持ちよいオバケの動向ばかり追っていた。

(2022/11/6記)

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