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ものを大切に使う心の灯

おっと! 炊飯器の釜がこんなことに!

などと今気づいたかのように書いたが、そんなはずはもちろんない。
何年か前から一歩ずつこの状態に近づいてきた。

ここ最近は、ついに炊いたご飯に黒い欠片が混じるように。
取説によると黒い欠片はフッ素皮膜で食べても無害とある。
しかしいくら無害とて、ヒトは基本的にフッ素皮膜は食べないものだ。

もう10年選手だし、買い換えるしかないか。
そう思ってネットを見ると、ん? 釜だけ買える?

費用的にはもちろん釜だけで済めば助かる。
でも昔と違って昨今の家電はあっけなく壊れるものが多い。
釜だけ新しくして、その直後に本体が壊れたらどうしてくれよう。

逡巡ののち、釜だけを買うことにした。
不自由なく動いている本体を廃棄するのはあまりに忍びないから。
万一すぐ壊れたら壊れたとき考えよう。

そして届いた新しい釜。

新旧交代の儀式。

左が10年後に右にならないよう、できる限り丁寧に使おう。
古い釜、おつかれさま。

釜だけ買うことで、ゴミは減らせた。
しかし、それでも古い釜は捨てなくてはならない。
この鉄の塊は貴重な資源のはずなのに、捨てれば埋め立てだ。

などと考えていたら、フッ素コーティングをしてくれる業者を見つけた。
炊飯釜ならわずか数千円できれいに再生してくれるようだ。
残念、知っていれば利用したのに…

ふと江戸時代の日本が頭をよぎった。
江戸の日本は世界が驚くようなリユース社会だった。

着古して破れた衣類は、襟や裏地などを売り歩く古着屋から必要なパーツを買って手縫いで再生し、素人の手に負えないほどボロになると、その古着屋が買い取ってパーツに分けてまた売り歩く。
傘も破れては補修を繰り返し、いよいよ骨だけになったら古傘屋が買い取って、傘張り職人の手によって再生された。

割れた陶磁器は、焼き接ぎ屋が白玉粉で接着加熱して修理。
桶や樽を締める箍(たが)が緩むと、箍屋が新しい竹で締め直す。
提灯は貼り替える、朱肉は詰め替える、下駄は歯を入れ直す、鏡は研ぎ直すなど、あらゆるものを専門業者が修理し、長く使った。

鍋や釜は…
鋳掛(いかけ)屋の出番だ。

傷んだ鍋や釜があれば、鞴(ふいご)を天秤にかけて「いかけ~いかけ~」と歩く鋳掛屋に声をかけよう。

「あいよ」と鋳掛屋はその場で火をおこし、修繕材の金属を溶かして釜の傷んだ箇所に流し込み、あっという間に修繕完了。

日本は資源が乏しい。
現代の人は、ならば海外から買いつければいいと考える。
しかし江戸の人は、ならば繰り返し使おうと考える。

だからこそフッ素コーティングをしてくれる業者の存在は希有だ。
ものを大切に使う心の灯が今もかすかに社会にあることが嬉しい。

捨てる予定だった傷だらけのフライパン、この業者にお願いしてみようか。

(2023/5/21記)

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へんいち
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