見出し画像

「ニャンニャン」と言えば通じるだろうか

東京での仕事に支障が出ぬよう東下を1日早めたというのに、肝心の台風は遅々としてやってこない。
ギリギリ逃げ切れるかどうかのはずが、どういうわけか、明日仕事を終えて夜行で西上したらちょうど神戸で迎え撃つタイミングだ。
なんてこった。
台風には台風の事情があるのは分かるが、仕事が遅い台風はごめんだ。

1日早く東下したからといって、その分宿泊代を出してくれるかといったらそんなに甘い世界ではない。
早めたのは自己判断、早めず仕事に間に合わなければ自己責任。
納得いかないが、会社がすべての面倒を見てくれるサラリーマンではなく、一つの仕事に対していくらのフリーランスゆえ致し方ない。

結局、増えた1泊は関東住まいの長男の家で過ごした。
仕事あがりの彼は新社会人半年のフレッシャーズだけど、なんだかすっかり仕事してます風情が板について、わが子ながらかっこいい。

駅前の大衆居酒屋で人生初のホヤを試してみたが、貝と違ってフニャフニャなんや。

壁のポスターに流通量の少ないサッポロ赤星を見つけ、これがうまいんよ、今やサッポロといえば黒ラベルやけど本命はこっち、などと偉そうに注文したが、その日の飲み量からしてすでに味など分かるはずもない。

いやいや、もはや味など分からずとも、息子と飲む酒のうまさよ。
それだけで十分だ。

一夜明けて息子は仕事へ行き、僕は所在なく街に放り出された。
宿泊地の秋葉原にとりあえず移動する。
でもホテルのチェックインは15時、それまで7時間ある。
うぅむ…

午前はカフェで、1杯のコーヒーで粘りに粘って4時間。
PCを展げ、淡々と仕事を進める。
キャリコンの面談希望が2件も入ってありがたい。
いただける対価は正直格安で、仕事として考えるとどうなん?
でも今は困っている人の役に立てることが純粋に嬉しい。
…来年には一斉値上げに踏み切ろう…か。

昼時になり、いい加減いづらくなったカフェを出て、はたと困った。
ここは秋葉原だ。
見渡す限り、メイドカフェしか目に入らない。
うーん、コーヒーは今4時間かけてちょびちょび飲みきったところだし、そもそもコーヒー飲むのに「ニャンニャン」とか言ってる場合ではない。
10年ほど前になるだろうか、物は試しと意を決してメイドカフェに入ったことがある。

——ご主人さまぁ、お帰りにゃさいぃ♡
は? へ? ほ?
——にゃんににゃさいますかぁ♡
あ、いや、その、え、っと、コ、コーヒ、ー…
——はぁい、わかりましたぁご主人さまぁ♡

「♡」を会話で表現できるスキルに面食らう。

——お待たせしましたぁご主人さまぁ、今からカップに注ぎましゅからぁ、いいところで「ニャンニャン」て言ってくだしゃいねぇ♡
え? まじ? 何の試練?
——いきますよぉ、いい? ご主人さまぁ♡
は、はい…

アカン、完全に主導権を握られて、どっちがご主人さまぁか分からんようになってるやん!
アカン、アカンて! そんな勢いで注いだら、すぐ「ニャンニャン」言わなあふれるやん、待て、待って…
「ニャ、…ニャンニャン」

10年前のその光景がまぶたの裏に浮かび、身震いした。
なんでコーヒー1杯飲むのにヘトヘトにならなアカンねん。

街をさまよい、何ブロックか歩いて見つけた古い和食店に入った。
ここならフリフリのエプロンも「♡」もないはずだ。

しかし失敗だった。
頼んで3分で出てきた天ぷらがうまいはずがない。

ぼってりと油を含んだ衣は、作り置きの二度揚げだろう。
食べながらに胸やけの予感。
なんとか口に運ぶが、全部食べきれるだろうかと不安が走る。

やめたい、この天ぷら…ストップ、この天ぷら…
「ニャンニャン」と言えば通じるだろうか。
ここは秋葉原だ。

(2024/8/29記)

サポートなどいただけるとは思っていませんが、万一したくてたまらなくなった場合は遠慮なさらずぜひどうぞ!