ここを歩くことは必然だったのかもしれない
今朝は早くから大学を訪れて就活セミナー。
亡くなった母の出身大学だ。
長らく女子大だったからか、近くを通っても母は僕ら子供を案内することはなかった。
共学となった今、キャンパスは青春を謳歌する色とりどりの男女で賑わっている。
60年前に母が通った学び舎に初めて足を踏み入れて、僕はいささかの緊張を感じた。
だが、母の後輩たちはきちんと挨拶をしてくれ、その緊張も解けた。
母もさぞかし安心したことだろう。
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朝が早かった分、セミナーが終わるのもまた早い。
せっかく神戸の都心部に出てきたならと県庁周辺を歩いてみた。
このあたりも元町エリアだが、僕がふだん大好きと言っている元町は海側。
この山側の県庁周辺にはほとんど訪れることはない。
県庁のすぐそばに四宮神社。
三宮だけが突出して知名度があるが、神戸には実は一宮から八宮までが揃っている。
そのうちの4番目がここ四宮神社だ。
てっきり「しのみや」と読むと思っていたが、「よのみや」というらしい。
弁財天だけど、芸能神としても花街・花隈の芸者の尊崇を集めた。
前から気になっていたカレー店を訪れる。
神戸洋食を代表する老舗〈伊藤グリル〉の流れを汲む〈curry 味善〉だ。
信長が築いた花隈城跡のすぐ向かいにちょこんと建つ小さな佇まい。
看板もないからうっかり通りすぎる可能性大。
おかみさん1人で切り盛りする、たった10席だけの店だ。
出てきたカレーは一見ドロリと濃厚、でも口に入れると意外にあっさり。
神戸っ子の大好きな牛すじがごろっと入って、サラダつき900円はお得。
ジャンルとしてはスパイスもルーも入らない欧風カレーだけど、カレーの要素はどこかなぁ…これはもはやビーフシチューである。
でもカレー専門店だからカレーなのだ。
しかもたまらなくおいしい。
牛すじなんてホロホロホロリンである。
また少し足を伸ばして向かったのは、神戸らしからぬ和風庭園〈相楽園〉。
明治期の神戸市長の本邸に営まれた庭園という。
母からもその昔デートをしたことがあると聞き、その存在は知っていたが、今日初めて門をくぐってみた。
2組の新郎新婦が前撮りをやっていた。
なんと平和な。
せせらぎの音、鳥の声、揺れる緑…
後ろの県庁や県警のビルがなければ、神戸の人でもここが神戸とは分からないかもしれない都会のオアシス。
東屋で目を閉じ、このところ失ったいろいろをチャージした。
今日の旅の〆は、自家製プリンが人気の〈モトマチ喫茶〉に決めた。
実はここ、とあるnoterさんと2月に訪れる話があったが、都合で流れてしまったのだ。
前から行ってみたかったうえに、ようやく行けると思った話が突然なくなったらそれはもう誰にも止められない。
3か月遅れで叶える日がついに今日来たのだ。
前はスナックだったという店内はそこかしこにスナック感が漂う。
壁掛けのチクタク音に、静かに降り注ぐジャズの調べ。
いや、もう見るからにうまそうではないか。
ブレンドコーヒーはなかなかにガッシリとタフな味わい。
さらにプリンはギュッと詰まったしっかりめ。
スプーンで削って食べて最後のひとかけらになっても直立するといえばそのしっかり具合が伝わるだろうか。
苦みのきいたカラメルといっしょに頬張ると、風邪を引いて学校を休んだときに母が作ってくれたプリンを思い出した。
僕は幼い頃すこぶる身体が弱く、風邪を引いては1週間、中耳炎を患っては1週間、お腹を壊しては1週間と本当によく休んだのだ。
そのたびにプリンを作っては、またスが入ってしまったわぁと舌を出すお茶目な母。
ふだん歩かない県庁周辺には、そこかしこに母の面影が残されていた。
何の考えもなく歩くことにしてみたけれど、両親を失った今、ここを歩くことは必然だったのかもしれない。
(2024/5/14記)