「Bones and All」は「君の名前で僕を呼んで」を語り直した作品 映画感想文
はじめに
ルカ・グァダニーノ監督、テイラー・ラッセル、ティモシー・シャラメ出演の「Bones and All」(ボーンズ・アンド・オール)を観ました。
「Call me by your name」(君の名前で僕を呼んで)のグァダニーノ&シャラメ・コンビの再タッグ。
CMBYN(Call me by your nameの頭文字。以降の記述はこれで)は好きな映画。なので二人の再タッグと聞いた時に興味はあったのですが、いかんせんカンニバル、カニバリズム、つまり食人がテーマと第一報で知り、えぇ~マジ!?…と、やはり第一印象はドン引き(;^_^A
’(Youtubeでドラマ「ガンニバル」のCMが頻繁に流れたり、最近流行りなの?食人作品。食人作品といえば古くは「食人族」とかの疑似ドキュメンタリー映画や、やっぱりハンニバル・シリーズですかね?)
でもnoteで感想書いてる方の記事を読み、
そこまでグロくはない、ラブストーリーがメイン、最後は涙を流した…等々、ハードルを下げてくれる評価が多かったので、じゃあ観てみるか!ということに。
まずはツッコミ
私の感想、ツッコミどころはこの方の意見と似てる。
そうそうと思いながら読ませてもらいました。
まずカンニバル人種である主人公たちの生態がよくわからないんですよね。
ツッコミ1:人の肉を食べないと生きていけないのか?
普通にシリアルとかパンケーキとか食べてたし、肉食にこだわってる感じでもない。普通の食事しておけばいいやん…とはず~っと頭の片隅で思いつつw、まあそれとは別の理解できない衝動があるんだろうと自分を納得させながら観てました(;^_^A
ツッコミ2:どういう時に食べたくなるのか?
冒頭、親密な雰囲気の女友達の指を食べてしまうというショッキングな場面から始まる。
(私的にはあそこが一番ショッキングでキツカッタ。監督的にはツカミはOK!ってことで最初にエグイの持ってきたんでしょうね)
てっきり好きな気持ちが高まると食べたくなる欲が抑えられなくなるのかと思ったら、そんなでもない。
でもマレンとリーがキスするときに、いつ唇食べ始めるか、舌嚙みちぎるか、毎度気が気でなかった。で、結局その欲望の高まりはいつ起こるのか不明。
ツッコミ3:欲望を制御できるのか?
ツッコミ2のキスしまくる時にしっかり欲望をコントロールできるんなら、それ以外でもずっとしておけそうだけどなぁ…とは思いましたよね。
あとついウッカリがあるなら、一緒のベッドで寝るのは危険すぎる。寝ぼけて耳喰いちぎられてたりとか起こりそう…と余計な心配もしましたw
ツッコミ4:生じゃないといけないの?
人の肉食べるにしても生じゃないとイケないの?そんな毎度毎度血だらけにならんでも…ただスプラッタ感出したいだけよね?とか、
レクター博士は優雅に生きてる人間の脳みそ切り取って、フォアグラみたいに焼いて食べてたよ。焼いた方が美味しいんちゃう?とか言ってあげたい欲が抑えられなかったですよ、私www
あと、若さは関係ないのか?とかも気になった。若い女子供の方が柔らかそうだけど、婆さん食べたり、オッサン食べたり、人肉なら何でもアリ。
美味しさは追及しないのね(;^ω^)
ツッコミ5:警察はなにしてるんだ?
あんなに事件起こして警察に疑われたり追われたりすることもない。
まあ1988年設定なので、今よりは緩い時代だけど、それでもザルすぎない?途中で出会ったジェイク(CMBYNのエリオパパ役のマイケル・スタールバーグ)の相方ブラッドが警察官とか、同じカンニバル仲間が裏で暗躍して上手いこと隠蔽してくれてるのか?
「羊たちの沈黙」でプロファイルとかが注目されるのが1991年。DNA鑑定は1987年にフロリダでの事件が最初らしい。州またぐと管轄も変わるし、上手いこと逃げてたんですかね?
ツッコミ6:どこを移動してるかよくワカラン
この映画、ロードムービーでもあるんだけど、どこも似たようなアメリカの田舎って感じで、州による微妙な違いが判る人には何か伝わるんでしょうけど、土地勘ない外国人の私にとったら同じ市内って言われても違和感なかったw(;^_^A 土地土地のわかりやすい象徴的な風景とか出て来ない。
ただ最後の方で、ネブラスカで広大な平原みたいなところだけは遠くに来た感あったけど…。それ以外はチンプンカンプン。
ということで簡単にどの州に行ったのか地図に描きこんでみました。
↓↓↓
思った以上に広範囲を移動してました。アメリカを十字に4等分したら、右上部分、五大湖周辺をグルっと回ってた感じですかね?
ツッコミ7:骨まで愛して~はムリ!!
途中ジェイクが薄気味悪く言います…”Full Bones”と。
(「Bones and All」というタイトルもココでの会話で出てくる)
ジェイクが言うには、骨まで全て食べることが「フル・ボーンズ」。
フル・ボーンズを経験すると、新たなステージに行けるとか…。ど、どこへ行くの!?
骨まで愛して、骨の髄まで…なんて表現もありますが、いやいやそりゃさすがに無理でしょう?(@_@;)
この間どこかで、人間の皮を嚙み千切るだけでも大変。ものすごいアゴの力が要るって読みましたよ。
それなのに骨ってどうやって食べるのよ?
何時間も圧力鍋で煮込んだ骨とかならまだしも、この人たち生食でしょ?まだコラーゲンたっぷりで頑丈な骨。あと大人の骨盤なんか物凄い大きいよ。
それに髪の毛も食べるの?私はてっきり髪の毛は消化できないor美味しくないからサリーは記念に取っておいたんだと思ったよ。
カニバリズムは何のメタファー?
という感じで、色々ツッコまずにはいられない映画なんですが、
まあカニバリズムは何かのメタファー、それを通して何かを伝えたいんだろうな…とはやはり考える所です。
LBGTQ+の性的指向の問題や、ドラッグなどのAddiction中毒、依存のこととも置き換えられるというコメントも見かけました。
確かに、”更生”という言葉が何度か使われていたので、
「ゲイ矯正キャンプ」とか「アルコール or ドラッグ依存更生施設」のようなものが思い浮かびました。
で、グァダニーノ監督の発言でもメタファーだと言及されていました。
ティモシーもこう言っている。
圧倒的少数者であるイーター(食人する人)というマイノリティの苦しみと、抑えられない欲望と戦い続けないといけない中毒依存の苦しみ。それを併せ持つ存在としてカニバリズムを採用したということでしょうか。
コチラの論評では監督の過去作を挙げて凄く丁寧に説明してくれていて、いろいろ腑に落ちる。
グァダニーノ監督は、「欲望の三部作」において家父長制社会における女性や同性愛者の苦しみ、そしてそこから生まれるエロスを描いてきた。その後の2作品、「サスペリア」ではタナトス(死の欲動)、魔女、『僕らのままで/WE ARE WHO WE ARE』ではクィアの子供達が社会規範に馴染めない中、行き方を模索していく物語だと説明してくれている。
そして、それらの作品の要素が合わさって出来たのが、今回の「ボーンズ・アンド・オール」だろうと。
監督のグァダニーノも脚本のカイガニックもゲイ。
80年代にイタリアとアメリカの田舎でマイノリティとして疎外感を抱えながら過ごしてきた。
当時夢中になっていたホラー映画では、出てくるバンパイアやモンスターの悲哀、人間社会になじめない疎外感が描かれた。クィアな子供だった監督たちはそれに共感し自身を重ね合わせた。
そのモンスター達をイーター達に置き換えて、悲哀や疎外感を伝えようとしたのだと。
う~ん、ちょっと「妖怪人間ベム」に通ずる感じですかね。エッ、違う?www
ということで、カニバリズム表現はあくまでマイノリティや抑えられない欲望の苦しみ、疎外感、悲哀などを表現するための手段だったということのようです。
「CMBYN:君の名前で僕を呼んで」の姉妹的作品
カニバリズムの意味はわかりました。
で、ココからが私が一番推したい考察!!
(もっと他の方も指摘してる考察かも?と思い、パッとググりましたが見つけられなかった。ということで私の完全オリジナルな考察w)
この作品、CMBYNの語り直しというか、姉妹作というか、タイトルが表す本質的なテーマは同じだと思うんです。
まず、CMBYNで一番有名なシーンは、
ティモシー・シャラメ演じる主人公エリオが桃を使ってマスターベーションをするシーン。とにかく桃が頻出して、それをエリオがかぶりつく。
桃はやはりお尻を連想するわけで、彼は好きな人のお尻を想像してマスターベーションをするわけです。なので桃=お尻を齧ってるようにも見えてくる。
実際、桃をかぶりついた時の音、果汁だらけの口元は、今回の肉にかぶりついた時の音、血まみれの口元と凄く似ている。グジュ、クチャクチャクチャ…と。
ここにスゴイ共通点、CMBYNにも食人を感じさせる要素があった、ということがまず一つ。
そしてタイトルです。
「ボーンズ・アンド・オール」とは骨まで全て食べつくすということ。
映画の最後にリーがマレンに懇願する、自分を食べてくれと。
そして全部食べられたと思われるリーのネックレスだけが残る…。
これは愛する者と一体になりたいという願望の現れですよね。
カニバリズムにも種類があって、愛する者を食べる族内食人と敵を食べる族外食人がある。
族内食人の呪術的信仰、また宗教儀礼にはこんな意味がある。↓
リーにとってもマレンの中で血肉となって生き続ける。
マレンにとってもリーを取り込んで一体になる儀式であり愛情表現でもある。
この、愛する人との一体化、同一化というのが究極の愛の形として描かれるわけです。
それは人類が生まれ持った愛という欲望の源泉みたいなものですよね。
さびしい。わかり合いたい。誰かとひとつになりたい…。
で、ココでCMBYNです。
「君の名前で僕を呼んで」というタイトル。最初はどういう意味やねん?って思いました。なんでそんなややこしいことすんの?とwww
オリバーがベッドの上でエリオに言います。「君の名前で僕を呼んで」と。
これがものすごくロマンティックでエロティックだと言われていました。
”え~そう?どの辺が?よくワカラン!!”派だった私は当時色々調べました。納得したくて。
それでCMBYNの色々なメタファーなんかを考察しているサイトで納得したものがありました。当時のサイトはどれかわかりませんが、似たような記述のある掲示板のスレッドがあったので抜粋します。
意訳&拙訳すると、
ということで、愛する人の名前で呼ぶこと、呼ばれることは、その相手を自分の中に取り込む、一体になるという意味の行為だったというわけです。
これは「Bones and All」の”ラブストーリーとしての主題”と完璧に重なりますよね。
いやはや、愛についての色んな語り口があるもんだ!!www
ひとつになるにはセックスだけじゃない。名前を取り入れて概念的に一つになる。肉体を取り入れて存在として一つになる。
グァダニーノ監督が次にどんな語り口でラブストーリーを紡いでくれるのか?その辺りを注目しながら次回作を楽しみにしたいと思います。
マーク・ライランスが一番怖い!!
この映画で一番怖かったのはマーク・ライランス演じるサリー。
もう最初から最後までず~っと気味悪い。
Creeeeeepy!!((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
勝手な偏見で申し訳ないけど、アメリカの中西部の田舎の方って、東海岸や西海岸と違って、閉鎖的でスゴイ保守的なヤバイ人がいそうなイメージある。
サリーの風貌といい、話し方といい、顔面筋肉全然動かさないところとか、そういうヤバイ人を見事に体現していて怖いったらありゃしない。
あの三つ編みの髪の毛も、ネイティブ・アメリカンの頭の皮剥ぐ的な習慣を連想→怪しい儀式しそうな不穏さ漂ってる。
最初の出会いだけならまだちょい不気味、ちょいコワ。でも再び出てきた時はストーキング、逆ギレ、そして最後はリーの妹の髪の毛まで持っていてヒエ~ってなる。(アレ、何で妹食べられないといけなかったの?🤔)
ミザリーみたいに心理的にザワザワず~っとさせられてる所に、いつ食われるか?食われる場面見せられるか?っていう別の怖さも相まって、マレン逃げて~!!ってずっとなってた(;^_^A
ラブストーリー部分よりマーク・ライランスの怖さにビビったり気味悪すぎて笑ったり、そちらを楽しむ方が多かった気がする映画でしたwww
あとクロエ・セヴィニーが出てるの、事前に確認していたのに最初全然わからなかった。あの手の方が衝撃過ぎ&いつものオシャレでスカした女風じゃ無さ過ぎて…。
まあマイケル・スタールバーグもマダラ模様の素肌にオーバーオール着て超不気味だし(エリオパパの面影はどこ!?)、バスのチケット売り場のおばちゃんも殺される兄ちゃんもみんなどこかしら不気味に見えてた。
最後に、この映画の主題「カニバリズム」。
全く別世界の話のように思うけど、日本だって200年ほど前の飢饉の時なんかは人まで食べたという話も聞く。今生きている人の先祖たちは戦争で人を殺し、飢饉で人を食べてきた人たちの末裔という可能性も十分ある。
そう思うと、そういうことをしないでいい時代に生きられているのは幸せなことなんだと改めて思う。
そしてカニバリズムを考えた時に、「君の名前で僕を呼んで」のオリバー役、アーミー・ハマーのカニバリズム・スキャンダルのことも考えずにはいられませんでした。(SNSで知り合った女性に”君を食べたい”と言って炎上していた問題です)
ルカ・グァダニーノ監督とこの映画のプロデューサーも担当したティモシー・シャラメはどこまでそれを意識したのか?してないのか?このテーマは偶然なのか?製作開始時期とスキャンダルの時期はどのくらい重なっているorズレているのか?
その辺りから色々考えた話はまた次回の記事に書きたいと思います。