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お金について考えてみる〜持てる者という感覚〜
こんばんは。Vinoです。
はじめましての方へ。
人間って不思議な生き物だと思います。
なんの変哲もないバターロールが紙袋に入って置かれていて、食べても味は普通だったとして、このバターロールに価値を1番感じる人は、めちゃくちゃお腹が空いている人でしょう。
でも、なんの変哲もないバターロールだと思っていたら、実は、希少価値のある超高級バターを使用し、年に一度しか採れないミルクを使い、人間国宝が焼いた紹介制パン屋でしか買えないという情報をキャッチします。
その時、急に美味しく感じたり、妙に惜しく感じたりする人は、少なくないと思います。細かくちぎって皆で味わうなんてことを始めるかもしれません。
これは、素材そのものよりも情報が味付けとなっていて、バターロールを脳で味わっているようなものです。
でも、一方で、なかなか手に入らない高級バターロールという情報を聴いたとしても、自分は、この味好きじゃないし、本当にこれ美味しいか?と言う人もいます。
こんなの買うくらいなら、隣のパン屋の食パンの方がよっぽど美味しい、大金出すなんて勿体ないわって、揺るぎない自分の判断軸で情報に惑わされません。
ある意味で本能的、動物的とも言えるでしょう。
誤解を招くのを覚悟で言うと、欲深い人は、自分の五感の情報よりも外側の情報に左右され、自分の価値基準に他人の価値観を侵入させてしまっているのだと思います。
わたしは、職業柄、札束を目にする機会があるのですが、100万円の束でも新札なら1センチの高さです。
1,000万円なら10センチ、1億円なら1メートルです。
それなのに、普通のサラリーマンからすると、1,000万円の借金がある、1億円の家を買ったなんて言うと、どこか途方もないような感じがしてきます。
この感覚って不思議だなぁと、わたしは、札束を見るたびに思うのです。
お金なんて食べても美味しくないのに。
シカさんやヤギさんにとっては、紙だから美味しいかもしれませんが。
手に入らないほど欲しくなる、というのも同じ原理ですよね。
どうして手に入りにくいものに価値を置いてしまうのでしょう?
潤沢にあるものを「豊富」というのに、どうして豊かさよりも数が少ないものに目を向けて価値を見出してしまうのか。
そして、何故、お金を手に入りにくい希少価値のあるものという認識を持ってしまうのか?
とても不思議です。
この世界の真実が、実は、豊かすぎて豊かさを感じられないから、希少価値のあるもの、無いに目を向けることによって、自分の置かれた立場を確認したいのかもしれません。
そういう意味で、お金というのは自分は「持てる者」だと感じるのに丁度いい存在なのかもしれません。
お金については、今後も考えていきたいテーマです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!