何よりもぐらつかないように
あるサニヤシンが言います:私も明日帰ります。家族や友人など、解決したいと思っている人たちが、なんだか怖くて...。
そして、そのうちの何人かを連れて帰りたいと思っています。
ひとつ覚えておいてほしいのは、
意識してやろうとすると
失敗してしまうことがあるということを。
例えば、何かを見たり、何かを味わったりしたとき、
それを友達や家族と分かち合いたいと思うのは
とても自然なことだ。
しかし、あまり積極的にならないようにしなさい。
何よりもぐらつかないように。
障壁になってしまうからだ。
実際のところ、誰かを説得しようとはしないように。
ただそこに行って、
自分に何が起こったのかを見てもらうんだよ。
彼らを気にしすぎると、緊張してしう。
神経質になると、緊張してしまうのだ。
すると、あなたは瞑想が静寂を
与えると言うかもしれないが、
あなたの存在全体が別のものを示している。
あなたが緊張していること、
神経質になっていること、
不安になっていることなど、
別のことを示しているのだ。
これでは自滅してしまう。
心配してはならない。
あなたが感じたことを
そのまま伝えられればそれで十分だ。
ただ、彼らの前で楽しみなさい。
あなたがもっと笑っていること、
深く笑えるようになったことを見せてあげなさい。
あなたがより落ち着いて冷静になったことを彼らに見せなさい。
あなたが簡単に反応しないことを
彼らに見せてあげなさい。
あなたの存在を相手に感じさせるのだ。
それが彼らの変化となる。
そうすれば、彼らは何が起こったのかを
尋ね始めるだろう。
それから、攻撃的になりすぎないようにしなさい。
なぜなら、あなたが攻撃的になると、
相手も守備的になるからだ。
それは自然なことだ。
あなたが攻撃的でなければ、
相手は無防備になる。
無防備な人の中に入るのは簡単だ。
相手が防御的になると、
防御したり、議論したり、
合理化したりするようになるが、
それは難しいことだ。
ほとんど不可能だ。
特に、あなたと親密な関係にあった人たち、
つまり、家族や友人など、
あなたを幼い頃から知っている人たちとはね。
彼らは、あなたが変わってしまったことを
信じられないからだ。
それは彼らのエゴにとって
あまりにも大きなことなのだ。
彼らは人生で一度も変わったことがない。
何かが間違っているに違いないと感じる
催眠術をかけられたか、自分を騙しているか、
気が狂ってしまったか。
だから、誰かの改心を
あまり気にしないようにしなさい。
宣教師になってはいけない
それは人がなれる最も醜いことの一つだ。
ただ自分自身でいて、
相手が今まで知らなかった全く別の次元で
自分を表現しなさい。
そして、彼らはそれを見るだろう
-それは隠すことのできないものだからだ。
だから、単純に行って、愛を持って...もっと愛を持って、
もっと親しみを持って、議論をしないようにしなさい。
もし彼らが尋ねてきたら、
しかし、それも決して攻撃的に言ってはいけない。
誰かを改心させようとはせず、謙虚に、丁寧に。
そして礼儀正しく。
そうすれば、何人かの友人が
来てくれるのがわかるだろう
-それだけで多くの人がどんどん来てくれるだろう。
私はこのポーチの外に出ることはない。
言葉ではなく、存在することで、
愛のメッセージを伝えるのだ。
瞑想を続けること...。