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じっ・・と耐える。

息子の大学受験の結果が芳しくなく、今のところ滑り止めの2校とも不合格。翌週発表のところはもっと偏差値の高いとこだから、これも期待できないという状況。本人は落ち込んで部屋から出てこないので、「気持ち切り替えて、次の専門職の受験がんばりー」とラインでさりげなく励ましてみた(こういうとき親ってほんと無力ですね)。もともとマイペースで要領の良くない子だからある程度覚悟はしていたんだけど、ため息ついてるの見ると本当に可哀想で。でも一緒に落ち込んでるといろんなこと考えちゃうので、母親だからこそ距離を置かなきゃな、とは思っている。浪人なり夜間大学に行くなり、本人から考えが出てくればいいんだけどね。今は必死で何も浮かんでこないだろうし、ダメならダメで、結果がわかってから改めて相談しようと思っている。ほんと、いまだ春遠し、なんですよ我が家は。

このじわーっとした重い空気を払いたくて、夕方からなんとなく、庄野潤三の随筆集『庭の山の木』(講談社文芸文庫)を読み始めた。冒頭は昭和30年ごろの随筆からはじまるので、わたしの生まれる20年以上前の話ということになる。わたしも中年になり新しいことについていくのが苦しくなっているので、世の中がデジタル社会になる前の話を読むとほっとする。しかしよくよく読んでみると、戦後の日本はすでにのんびりした社会ではなかった、ということが見えてくる。テレビディレクターの一日を取材した記事には、スタッフたちがカメラや録音機材など当時の新技術を使いこなしながら食事をとる暇もなく動き回る様子が描かれている。庄野はディレクターのようにみんなを統率する仕事は自分にはできないと感心している。その最先端であったテレビが今や「オワコン」とされているだなんて・・庄野がユーチューバーやらVチューバーを見たらどう思うかしら・・等々、わたしはいろんな思いに耽りながら、彼の淡々とした文章を読んでいる。

今日は一日暖かく、しかし風が強かった。思い切って洗った毛布と枕カバーは無事に乾いて、すこし埃っぽい(春らしい)匂いがする。明日の天気は雨予報で最高気温は10℃とのこと。部屋で本を読んでいたい気もするし、新宿の映画館に行きたいような気もする。一晩ぐっすり寝て、明日の朝決めようと思う。



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