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情報哲学-心の距離

*こちらは定期購読マガジンの記事ですが、非常に重要な問題の一つであるため、無料記事の方でも掲載させて頂きました。

ヘッダー画像の出典元:Gerd AltmannによるPixabayからの画像

現在の制度のもとで、この業界をクリーンにするのは無理ですよ。真面目にルールを守るほうが損をする風潮が根強すぎる
ものを考える文化があまりないというか・・・
搾取される側だった外国人労働者は、やがて同胞を「喰う」側に容易に回る。

1 博学篤志・切問近思

 『論語』(子張 19:06)にこうある、

 子夏はこう言った、
「博く学んで篤く志し、切に問いて、近くに思う。仁は其の中に在る。」

 多種多様な学問を学んでは、真心のある情熱を以て目的を確立させて、これを追求し、そして、詳細かつ真剣に疑問を懐いて、身近な問題や課題として思慮していく。
 このような奮励努力こそが、誠実さや思い遣り、親切や礼儀等の向上や深化に繋がっていくのではないだろうか?
 現代社会において、過去を比較すれば、情報の収集や獲得が、遥かに容易くなっていることは、明らかである。
 だから、「本当に知ることが出来なかった」ということは、圧倒的に少なく、「知らなかった」ということには、多かれ少なかれ、「興味や関心が無かった」「知ろうとしなかった」「怠けていた」ということが「理由」になっており、私達は、このような「言い訳」を止めなければならないだろう。
 また、「忙しかった」「疲れていた」「余裕が無かった」というような「原因」は、悪意の無い無関心や無知を蔓延させる、非常に危険なものである。
 日本で、孤独死・過労死・自殺・引きこもり・ストーカー・誘拐・洗脳等が決して少なくないのは、このような大都会や群集の中で生きているにも拘らず、社会的にも個人的にも、深刻な孤立状態に陥っていることが、一つの原因であると考えられる。
 そのような原因の原因となっているのが、上記のような、学業や仕事、人間関係等に忙殺される社会構造なのではないだろうか?

2 心の距離

 「知りたくない」「考えたくない」「学びたくない」・・・これらは、少なくとも日本では、「安定」「安全」「安心」の状況下や環境下で過ごしている自分自身の意志の弱さや認識の甘さ等による場合が、圧倒的に多いのではないだろうか?つまり、「微温湯につかる」ということが、圧倒的に多いのではないだろうか?
 一方、実際に苛酷で悲惨な状況下や劣悪で危険な環境下で生きている人々は、自分達の意志に拘らず、突然、殺害されることですらあるのだ。

11歳の息子が殺されたという別の母親は「別の村の実家へ逃げたが、そこも攻撃された」と述べ、息子の埋葬ができていないと悔やんだ。

 しようかしないかで悩み続けるのは、実質的には、何しないのと同等である。そう悩んでいる内に、問題は起き続けているのだ。
 楽しい話や笑い話をしたり、奢ったりするのは、本質的には、時間の浪費である。そうしている内に、問題は膨らみ続けているのだ。
 確かに、大したことは出来ない。いや、何も出来ない、というのもまた、私達の大多数の現実である。しかし、「やろうと思えばすぐに出来ること」である「学び知る」ということを、日々、積み重ねていくべきであろう。これが、「心の距離を短くする」ということである。

3 紹介文献


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