『召使たち』⑩(作:ヴー・チョン・フン):1930年代ベトナムのルポタージュ
Ⅹ 取材を終えて
読者各人、今、私は既に元の生活に戻っている。
半袖の桃紅色シャツを脱ぎ捨て、シルクの黒色ズボンを脱ぎ捨て、黒い眼鏡も両耳に垂れていた髪の毛も全て取り去り、元の自分の衣服を着用している。今日でやっとのこと各人に対し歓談することができる、一人の・・・まともな人間として。
つまり現在、私は召使たちを吟味する側の主人の立ち位置に立っているというわけだ。
私は聞いた話を捏造して各人に本当らしく思わせることもできたが、反対に、聞いたそのままの話を書き上げることで、各人に捏造だと思われることもできたろう。
私の所にいた老いた乳母について話してもよかった。彼女は独り身で、私に告げ口はするし、叩くし、インチキで脅してくる輩であったが、しかし幸いなことだ、もう死んでしまった・・・永久にこの世から。
また本当は私がしばらく面倒を見ていた少年のことについても語ることができた。面白い奴だった。私の友人たちも遊びにやってきては必ず彼を呼び、尋ねるわけだ、それも彼の正確に物事を話すという気質があるために。
「お前、兄弟姉妹はいないのか?」
「一人ずついます!」
「お前の父や母や親戚はどうなんだ?」
「死にました!」
「死ぬ前に、お前の両親は妻をお前にやろうとはしなかったのか?」
「どうしてやれるもんですか!」
私の友人はどいつもこいつも彼女を連れてきて、まるで映画『Charlot』を見るかのように、笑いやがるのだ。
私は色々と糾弾することもできたであろう。都会の空気にほだされたまま数か月を過ごし悪ガキのように盗みを働く輩もいた。無慈悲に間引きを行う輩もいた。また水運びの者と共謀して、飯の度に余分な米も炊き、とぎ汁の入った鍋の中に冷えた米を移し替える輩もいた。
まだ言い足りない。召使を業とする者たちについて言えば、様々な気質と生き様を備えた人物たちが紹介しきれないほどにいるのだから。
主人に打ち殺される召使たち。
妻以上に主人から寵愛を受ける女中たち。
主人たちを皆殺ししようと毒薬を放つ少年たち。
煮魚の鍋に痰を吐く料理人たち。
姑のように権威を振るう老乳母たち。
お嬢様たちの背に触れることのできる少年たち。
奥様と香港寝台の上で寝ることのできる車夫たち。
主人の死をまるで両親の死を悼むかのように涙を流す下人下女たち。
主人を救うために命を懸ける下人下女たち。
主人の家を燃やす兵士たち。
または家の略奪を先導する者。
または手紙の往来を担い、売春の斡旋に従事する者。
役人の娘を強姦する少年たち。
強欲な野郎に強姦される女中たち。
あまりに多くの者たちがいることよ!
十分な厚みを持ってしまった取材帳の量を見て、レ・チャン・キエウ氏(※Lê Tràng KIều [1912-1977] : ハノイ新聞の編集者)は顔をしかめた。
彼は私に告げた。
「もし、今のまま君がずっとやっていくようなら、きっと道を彷徨うだろうな」
私は尋ねた。
「道を彷徨う?」
彼は言った。
「ええ、これはホアン・チック・チュー(※Hoàng Tích Chu [1897-1933] : 1900年代のベトナム人ジャーナリスト)時代の『苦界の面』を捕らえた記事のひとつになる」
「・・・」
「新時代を語ろうとする場で、例外的な記事になるからなあ、君がこの記事の中で糾弾してくれたことは、必ずや忌み嫌われる事実だろうね」
それでもなお、読者と約束を交わしている私たち文士たちがするべきは・・・。
「作家として約束したことを実行したまでに過ぎません。ただ記事は掲載されなければ、十分に約束を果たしたことにはならないでしょう。それに加えて、自らを写実主義作家であると自認する者たちは、つまり、とても多くことを約束したことになります。ただ一編とだけでなく記事を続けていくことで、はじめてその約束を守っていけるんです」
それでも、私たちはずっと躊躇い続けていた。ある事実を書き綴ったこの文章が、本当に人々へ語られる必要のあるものなのかどうか、計りかねていたのだ。
幸いなことに、私たちはグエン・コン・ホアン氏(※Nguễn Công Hoan [1903–1977] : ベトナムを代表する文豪。短編小説の達人とも呼ばれる) と語らう機会があった。
彼の文章論から言えば、この『召使たち』は掲載されるべき一編の記事になりうるとのことだった。
彼は粗野な家主たちのことや無教養な召使たちのこともよく語った。
歓談の際、私は言った。
「家主と召使に関する記事を一編書けるほどのお話ですね、参考になる話がこうも聞けるだなんて。特に召使と凶悪な主人に関する話なんかはとても」
私がまだ言い終わる前に、グエン・コン・ホアン氏はいたずらっぽく笑い、言った。
「自分の信じるがまま、誠実に探究を続けていますから」
その時、私はホアン氏に対して何を言っていいものかわからなかった。
しかし、今ならば全ての私の愛惜する読者人たちにもこう言えよう(各人、私は全てと言った)、各人には各人の誠意ある探究を続けてもらいたいと。
もし私がそんな言い様をしていたことも忘れていた時には、今日のこの記事を私の前で読んでもらえればと思う・・・。