真珠の錠剤
私はこういうものを買うために働いていて、こういうものを愛でるために生きているんだ、と確信できるものほど、私という存在をはっきりさせてくれるものはない。ぼんやりとしていた體の輪郭がみるみる線を取り戻し、髪の一本一本までがきちんと私のかたちになる。私の鎖骨はこんなふうに出ていて、足の肉付きはこう、爪の形はこうで、、、ということを私はすぐに忘れてしまうけれど、これでやっと思い出すことができる。
シドニー=ガブリエル・コレットを知ったのは、そもそも何からだったのか?
私は最初にまず、図書館でコレットの作品の入った本を探し、「毛虫の舞踏会」(※)という古い古い本を借りたのだった、さらにその書物自体をたいへん気に入ったのでインターネットで探して買った(絶版だったので古書で手に入れた)、続いて「[コレット]花28のエッセイ」という、コレットによる花にまつわる随筆を集めたもの(これも絶版)を入手し、そしてこのたび「コレットの地中海レシピ」(村上葉編訳/水声社)が手許にやってきた。
内容は、コレットが残した随筆に詩的な料理のレシピをつけたもので、グルメエッセイ兼フランス料理本のような感じだと思う。
ぱらぱらと読んでみたら、もしかしてこの本(コレットの地中海レシピ)を書店で立ち読みしたことで私はコレットという作家を知り、かの女の作品を読んでみたいと思ったのかもしれないという思いに至った、というのも私の持っているコレット三冊の中で、この本がとび抜けてかがやいていたから。
そしてその理由として翻訳のちからがおおいに関係していると思う、この本を訳した村上葉さんという方の訳文は、私のために書かれたような私好みの読み物に仕上げられている!それはこっくりとふくよかでとろりとつややか、こっそり入れた数種の果実や種や香草たちのプライドが遠くから匂い立つような、ガーネット色に煮込まれたとろとろの牛のようであり、けれども横に添えられたパンのようにさりげなく佇み、それでいてデザートの青ぶどうのようにどこまでもみずみずしい。フランスの食べ物を語るのにはこういう文体がぴったりだと思う。
本の中で随筆に添えられているレシピがコレット自身でなく訳者によるものだということがあとがきでわかりがっかりした、というのはこの本のレビューでしばしば目にするところだけど、そんなものは心の底からどうでもよいことだと思う。
とにかくこの情熱的で詩にあふれた読み物は私に養分をくれる。そういうものは何よりも私をかたちづくり、つよくする、むだなものを頭から放すための薬のようでもある。こういうものを愛でるために私は生きているんだし、こういうものを買うために働くんだと思う。
※「毛虫の舞踏会」--堀口大學がフランス文学の中から動物を主題にした極めつきの物語をあつめ、みずから翻訳した小説集。講談社。