麗
今朝は紅茶もココアも切らしていたので暖かい黒豆茶を飲む。天気予報で暖かい暖かいと何度も言っていたので子供たちにも軽やかな服を着せて登園。日中は文章を書いて過ごす。14時過ぎに疲れ果て、夕飯の支度。 ここ1〜2週間ずっとベジの餃子がたべたくてたべたくて…ようやく作った。肉なし、厚揚げとキャベツとニラと椎茸とネギと春雨、塩とごま油のみ。作りながら自分でもおいしいのかなと思ったけどおいしかった、厚揚げって天才。 お豆腐ベースだからなのか、や
先日、手持ちのショートブーツを磨きに出そうと思ってでかけたお店のレジ横にある中古靴コーナーにて、よく履き込まれた革製パンプスに一目惚れ。そのお値段800円也。ジャンク品扱いにもかかわらずすっかり気に入ってしまって、そんなものに惚れた自分に対し「あぁわたしって本当に古いものが好きなんだ」としみじみ実感したのでした。 「そんなもの」とは一般的にはそうだろうというだけで、もちろんわたしにとっては「そんんなもの」ではないのです、その靴は確かに『ぼろ』だった、爪先には雨染みがのこり
冬休みがおわった。小二のむすめにとってはつらいつらい三学期の始まり。いつも長期休みの最終日は翌日の登校を思って眠れなくなる我がむすめ。はっきりとした原因(いじめとか)は無いようなんだけれど、ひとつは今の担任の先生への不信感があるらしく、あとは元々あった彼女のこだわりが主な要因。 ①とにかく自分のペースで行動したい、②好きなことしかやりたくない、③どこへも出かけず家にいたい、④お母さんとずっと一緒にいたい。 これらがとてつもなく強い人なのです。 二学期の最終日、むすめ
先日、娘(7)と息子(5)の七五三でした。 七五三は数え歳でおこなうものだけれど、我が家は子どもたちの様子を見て満年齢ですることに。 夫の甥っ子たちが着た着物と袴を貸してもらって私が着付け。 着せ付け中、息子がなんども「おなかがくるしい」と言って脱ぎたがるので、 お腹まわりをかなりゆるく着せました。 なかなかにこだわりのつよい娘はどうしても着物を着たがらず、洋装に。桃割の髪に筥迫、しごき、あぁ(私の個人的な憧れです)、、、それでもじゅうぶんかわいかったから、いいのだ
田舎に暮らしていても、街に暮らしていても、ひまでも、いそがしくても、うっとりするようなすばらしい朝食の時間はきっと過ごすことができる。それは自分の気持ちを満たすというただそれだけのものであって、それ以上でも以下でもない、無駄だらけの、でも必要な時間。 私の人生の大半はそんな無駄な時間でできています。 朝食について「いそがしくてゆっくりたべられない」なんて思ってしまう場合は、一旦立ち止まって自分の人生を見つめ直す時なのかもと私は思います。 そんなわけで、人生をも左右
「これさえあれば大丈夫」なんていうものは私の中には存在しないから、いま目の前の幸福を逃すわけにはゆかない、そのために、今朝もポットでお茶を淹れるのです。 5月も後半の朝。我が庭に今年もちゃんと顔を出してくれたミントを一枝、それに母が先日どっさり持ってきてくれたカモミールの花を摘む。ティーポットにカモミールとミントを入れて熱湯を注ぎ、少し待つ。カップに注いで好みのミルクを入れればカモミールとミントのミルクティーのできあがり。 ハーブティーはミルクなしのストレートで飲む
年内に入っている仕事は今日でおしまいなのだ。専門学校での二日連続の仕事を終えて、ほっとする。私の仕事は美術モデルといって、美術作品のためにポーズをとるプロフェッショナルです。表現力と体力が勝負の仕事で、私にはどの職業より一番自分に合っていると思っている。いろいろあって何年もお休みしていて今年復帰したのだけど、おかげさまでこの一年で指名もたくさんいただけました。ありがたや。 さて一緒に仕事に入っていた同い年のモデルさんとさわやかに別れたらひとり地下街をすすむ。昨日の帰りに
ローソクを買った。もとい、キャンドルと言った方が通じやすいと思うけれど、仏壇に灯すようなものでもバースデーケーキに立てたりするようなものでもなく、インテリアになるような大きくて長時間燃えているタイプのものだ。 ローソクはもともと好きだったけれど、子供が小さいので火を灯すたびにワーワー騒いですぐに吹き消されたり、そうかと思えば火をつけたいと言って騒いだり、どうしても落ち着いて灯していられなくて、長い間疎遠になっていた。けれども、また久しぶりに買って、火を灯してみた。もちろ
私はこういうものを買うために働いていて、こういうものを愛でるために生きているんだ、と確信できるものほど、私という存在をはっきりさせてくれるものはない。ぼんやりとしていた體の輪郭がみるみる線を取り戻し、髪の一本一本までがきちんと私のかたちになる。私の鎖骨はこんなふうに出ていて、足の肉付きはこう、爪の形はこうで、、、ということを私はすぐに忘れてしまうけれど、これでやっと思い出すことができる。 シドニー=ガブリエル・コレットを知ったのは、そもそも何からだったのか? 私は最
4歳の息子は虫がとくいではなく蝉の抜け殻も触れないほどであったが、今年の6月に庭のダンゴムシをビンに入れて飼い始めてからは少しずつだけどほかの虫たちともおともだちになり始めていた。 そんな息子が幼稚園の仲間に乗り遅れまいと、父親と一緒にクワガタを捕りに行ったのが夏休みの始まった頃だっと思う。一匹だけ雄のノコギリクワガタが捕れた。よく見かける、プラスチック製で青いフタのついた虫かごに土と木の皮と昆虫ゼリーを入れてもらって、そこへクワガタを住まわせ、夏のあいだ一緒にすごした
本という存在がとにかく好きで、とりわけ大きな本が好き、持つのによいしょ、と言わなければならないほどの大きくて分厚いものなどは、無意味にひらいたりとじたり、うやうやしくページをめくってみたりしたくなるくらい、ときめきに満ちている。ひらくとちょうど顔が隠れるくらいの大きさの単行本も安心感があって好きだし、そうは言っても鞄にさっと入ってくれる文庫本の手なづけやすい小ささも好き。 本というものが、たくさんの紙を綴じてつくられていて、持つとある程度の質量を感じ、もちろん紙の匂いが
胸が隠れるくらいまで髪をのばすとか、いつでも適量をたべるとか、嫌なことをちゃんと断るとか。なりたいところへ近づけないままこんな歳になってしまったけれど、なぜか今年になって、わたしの髪は胸にかぶるほどになったし、適量たべることも自然と身体がおぼえたらしい。おかげで、髪は理想の線が出てそのうえ扱いやすくなったし、たべすぎの不快感や重たい身体ともお別れできた。(でもコミュニケーション能力はまだ全然足りない、しかし人生、全てのことが急に好転したら逆に危ないと思うのでこのくらいでよい
夏のあいだ毎朝飲んでいたアイスコーヒーがふと寒く感じたら、秋の入り口だと毎年思う。素足のつま先がほんの少しつめたくて、わたしのむねの中にある透明なビー玉が、朝つゆをのみこんだように透きとおる朝、、、そう、秋は「透きとおる」のだと思う。花のいろや、雨のあとの水たまり、それに晩ごはんの秋刀魚の味までもが透きとおる、、、(今年は秋刀魚が高くてまだ買えていない)。 安野モヨコさんの漫画「ジェリーインザメリィゴーラウンド」の中(たぶん36話)で、モモが朝食にあたたかいカフェオレと
お酒をたっぷりとおいしくのめたらいいのにな、といつも思う。わたしはお酒に対してすごく強くもすごく弱くもないけれど、酔っ払うと身体がおもくなって、つまらない(そういうのを、酒飲みの夫は、ちょっと力が抜けていいでしょ、と言う)。味も、通好みのものになればなるほどそのおいしさがよくわからない。けれどわたしはもっといろんなお酒をおいしくのみたいと思っている。 それというのも、本の中でお酒好きのひとびとがのむお酒の、なんとおいしそうなことか。江國香織さんは随筆の中でたびたびきもち
いよいよ、ムスメ(小1)がきょうから不登校に、、、なるかもしれない。はじめて学校を欠席したのです、「行きたくない」という理由で。 入学以来どうにかこうにかごまかしてここまで来たけれど、もうそれも限界だとはわたしもわかっていたから、休む決断をしたときに「開放された!」と思ったのはムスメよりむしろわたしの方であったかもしれない。 あー、これでムスメと戦わないで済む!それが何よりうれしい! というわけで、きょうは息子も幼稚園が分散登園で休みだし、社会見学と称して家から
きょうは雨、わたしがいちばん好きな9月の雨。 夏も終わるころの、深緑の木々のぬれた葉の姿はうつくしく、遠く聞こえるざぁざぁという雨音も、心地よい程度の湿気も、顔の隙間くらいあけた窓から入るすずしい風も、ぜんぶにうっとりする。 こんな日のおやつには、コーヒーとドーナツがもっともぴったり合っていると思う、まぁわたしの場合カフェオレだけど、雨の日のぼんやりした空気をきりっと締めるようなつめたいアイスでのむ、そこへ生ぬるい室温に溶けそうなぼんやりした味のドーナツ(元来ドーナツの味