大江健三郎と伊集院光に社会福祉士の仕事について学ぶ
大江健三郎を読んだことがない私が、
NHK100分de名著で伊集院光さんの言葉を聞いて、
改めて、大江健三郎の息子の大江光さんに障害があり、
その息子に向けて、
自分がこの世からいなくなっても生きていけるように、
息子に対して言葉を紡いでいるのだということに思い当たった。
そうか、障害者福祉の根幹はここにあったのか。
伊集院光さんが、
近所で老々介護をやっていたおじいちゃんが、
おばあちゃんの世話をしている時はものすごく大変だったけど、
看取った後、何の感情もないと言っていたということを話していて、
これだ、と思った。
そうなんだよね、
お世話する側が犠牲にして尽くしているみたいな図になりがちだけど、
何か、あるいは、誰かをお世話する立場にいることができるということ自体、
幸せなことであり、
誰かのために心をくだき、
ぶつかったり、文句いったり、怒ったり、泣いたりすることを通して、
人は生かされているのだということ。
ただ、そこには、限度というものがあり、
家族の中にとじこめられていくと、
魂が死んでいくというか、
なんで私ばっかりという気持ちにさいなまれるので、
この間読んだ有吉佐和子の「恍惚の人」にも通じるんだけど、
命あるかぎり、もがき苦しむというのは、
悲劇でも何でもなく、
そういうものなので、
できたら明るくさらっと淡々とやりすごせるように、
周りのサポート体制を整えていくのが、
社会福祉士の仕事なんだな。
うん、なんだか、
ちょっと整った。