自己への配慮~アガンベンの考察~
アガンベンは、古代ギリシャの「自己への配慮(epimeleia heautou)」という概念を、ミシェル・フーコーの晩年の研究を踏まえつつ、独自の視点で解釈しました。
フーコーの「自己への配慮」:
まずフーコーは、この概念を通して、自己を統治する倫理的主体形成の重要性を説きました。それは単なる自己愛ではなく、自由な主体になるための実践でした。アガンベンの再解釈:
本質主義的自己の解体:アガンベンは、この「自己」を固定的な実体としてではなく、「裸の生」のように、可能性に開かれた動的なプロセスとして捉え直します。
自己の非所有性:さらに、自己は完全に自分のものではないと主張。むしろ「自己への配慮」は、この非所有的な自己との関わりを意味するのだと。
形態-の-生:アガンベンは「自己への配慮」を、自らの生を一つの形式(forma-di-vita)へと変容させる実践として解釈。これは法や規範から切り離された、純粋な「生き方」の探求です。
政治的含意:
この解釈は、生を規定する権力からの解放を示唆します。「自己への配慮」は、単なる個人的な問題ではなく、権力の及ばない領域を創出する政治的な実践となるのです。
つまりアガンベンは、「自己への配慮」を通して、固定的な自己や権力の規定から解放された、開かれた可能性としての生の探究を提案していると言えるでしょう。